東日本大震災を伝える命と絆の授業(4) ゲストティーチャーから学ぶ(さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池 健一さん)
東日本大震災を題材にした授業について、さいたま市立植竹小学校の教諭・菊池健一さんが全8回(予定)にわたり連載します。震災から14年。菊池さんは記憶の風化を防ぎ、命の尊さや絆の大切さを子どもたちに伝える授業実践に取り組んでいます。第4回では、児童が震災を「自分事」として捉えられるよう、ゲストティーチャーを招いて授業を行いました。震災取材を続ける新聞記者と、震災で娘を失い語り部として活動する方にお話しいただきました。
震災を「自分事」とするために…
国語科授業の板書
毎年取り組んでいる震災学習では、被災地を取材した新聞記者や被災地の方をゲストティーチャーとして招き、児童に話していただいています。担当する児童は東日本大震災後の生まれです。その後、熊本地震、そして昨年の能登沖地震など災害が多数発生していますが、児童の住む地域は防災上安全性が高い地域でもあり、子どもたちにとっては他人事のように感じられます。
こうした状況の中、私自身も教師として、震災について児童と共に考えていかなければならないと感じています。
震災の取材を続けている記者や被災地の方々の声を児童に直接聞かせることで、児童にとって震災を自分事として捉えるきっかけになると考えました。今回の実践では、国語科の単元を活用し、「根拠を明らかにした意見文を書く」という活動を通じて震災について学びます。
国語科の目標も達成しながら、その中で命の大切さや、周りにいる方たちとの絆をさらに大切にしようという気持ちを持ってほしいと願って学習をスタートしました。
今回の取り組みでは、宮城県石巻市の日和幼稚園被害者有志の会代表・佐藤美香さんと、震災後佐藤さんの取材を続けている読売新聞社編集局写真部の関口寛人記者を迎え、授業をすることにしました。
毎年、新聞記者を招く理由は、学級で新聞学習を取り入れていることもあります。しかし、それ以上に「伝える」ことを目的に被災地を取材している記者の視点を通して、子どもたちに客観的に物事を捉える姿勢を身につけてもらいたいからです。そして、記者の取材した記事は、被災地を知るための何よりもの資料となります。
実際に新聞記事を読み、その記事を書いたり写真を撮影した記者から直接話を聞くことで、被災地のことがより分かりやすく、そして自分事として捉えられるようになると感じています。児童には事前に新聞記事などの情報を提供し、関心を高めました。
いよいよゲストティーチャーの授業です。
関口記者による授業
取材について語る関口記者
最初のゲストティーチャーは、読売新聞社の関口記者です。関口記者は東日本大震災が起こった直後から現地の取材をされ、現在も被災地の取材を続けています。
昨年訪れた福島県の原子力災害伝承館で読売新聞社の写真展が開催されており、そこで見た写真がきっかけで今回授業に招きたいと考えました。関口記者は授業への参加を快く引き受けてくれました。
授業当日、関口記者が教室に来ると、大きなリュックから取材に使うカメラを出して子どもたちに見せました。ちょうど、パリオリンピックが終わって間もなかったこともあり、関口記者がオリンピックの取材で使用したカメラに子どもたちは興味津々でした。
そして、このカメラで取材した震災について、関口記者は子どもたちに語り始めました。
「当時は東京にいて、震災後、丸1日以上かけて被災地に入りました」
「震災の2日目からは佐藤美香さんがいる石巻に入って取材しました」
「周り一面ががれきで、町の形がどうなっているか分かりませんでした」
撮影した写真を示しながら話す関口記者。子どもたちは食い入るように写真を見ていました。佐藤さんを取材した記事についても触れ、亡くなった娘・愛梨ちゃんの成長した姿を想像しながら中学校の制服を作ったときの写真や、愛梨ちゃんが発見された場所で命日にたたずむ佐藤さんの姿を撮影した写真などを見せながら、記者として感じたことを話してくれました。
そして最後に、関口記者は次のような言葉を子どもたちに伝えました。
「被災地の方々には、取材だからではなくそれ以外の機会にも足を運ぶようにしています。それが、被災地の方の人生に足を踏み入れた責任だと思っています」
「身近な人が『どう考えているんだろう』と俯瞰する視点をもってほしい。そして、『近くの人ともう会えなくなってしまったら…』と考え、震災を自分事として捉えてほしい」
佐藤美香さんの授業

Zoomで子どもたちに話をする佐藤美香さん
関口記者に続き、佐藤さんの話を聞く機会をつくりました。東北から来ていただくことは難しいですが、石巻市とさいたま市をZoomでつなぐことで実現しました。
「日和幼稚園のバス事故」といえば、記憶に残っている方が多いのではないでしょうか。佐藤さんは東日本大震災で娘の愛梨ちゃんを亡くされました。当時、愛梨ちゃんは6歳…幼稚園の卒園を目前に控えていました。もうすぐ卒園式、そして楽しい小学校生活が待っているはずでした。その矢先の悲劇でした。しかも、乗る予定ではなかった幼稚園バスに乗車したことによって巻き込まれた事故でした。
震災以降、佐藤さんは命の大切さを伝えるために語り部の活動をしています。
佐藤さんは、子どもたちに向かって絵本の読み聞かせを交えながら、当時の出来事や自身の思いを語りました。当時どんな思いで愛梨ちゃんを探し続けたのか。そして今、なぜ語り部としてその経験を一生懸命に語っているのか。子どもたちはその一言一言を真剣にかみしめていました。
愛梨ちゃんを亡くした佐藤さんは、こう語ります。
「『いってきます!』と言って出掛けた愛梨の『ただいま』を今でも聞けていません。『ただいま』という声が聞ける…そんな当たり前のことが、こんなに幸せだったことに気づきました」
「当たり前は、当たり前じゃない。だから、学校に行くときには『いってきます!』をきちんと言ってほしい。そして帰ったときには『ただいま!』を元気に言ってほしい。『いってきます』と『ただいま』はセットでなくてはならないんです」
震災の日以来、娘の愛梨ちゃんの「ただいま!」を聞けていない佐藤さんの言葉だからこそ、子どもたちの心に響いたのだと思います。
2人のゲストティーチャーの話を聞いて、子どもたちは私が授業の最初に投げかけた「命の大切さ」、そして「周りにいる人たちとの絆」が単なるきれいごとではなく、実感を伴ったものとして意識されるようになったと感じています。これから、児童はゲストティーチャーの話を聞いて考えたことを意見文としてまとめていきます。その意見文を新聞社に投稿して、より広く考えを伝えていきたいと思っています。
次回は、児童が意見文を書く活動についてレポートします。
文・写真:菊池健一
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