先哲に学ぶ~村を育てる学力とは?〜東井義雄から学ぶ(4回)
東井義雄という教育者を知っていますか。村を育てる学力の大切さを訴え、日本の教育に大きな影響を与えたことで知られています。では、一体どのような人物だったのでしょうか。今回は東井義雄についてお話しします。
木更津市立鎌足小学校 山本 裕貴
【東井義雄を知っていますか?】
かつて日本のペスタロッチと呼ばれた教師がいます。名前は東井義雄(とういよしお)といいます。生涯、子どもの側に寄り添った教育を続けた人物です。地域の人たちに愛され、慕われ、敬われていました。生まれ故郷には現在「東井義雄記念館」が建てられています。
記念館が建てられるほど、人々に愛されていた東井は、どのような人物だったのでしょうか。
【東井の生涯】
1912年、東井は兵庫県富岡市の東光寺で生まれました。お寺で生まれた東井は、教師でありながら、僧侶としての仕事も務めていました。東井の教育観として「いのちを輝かせる」というものがあります。もしかしたら、そのような生育歴も関係しているのかもしれません。
幼い頃は、貧しい暮らしをしていたそうです。師範学校に進学しますが、その理由は「一番安く学べるから」だったと言います。卒業後、富岡市の高等小学校に着任し、小学校教師として働き始めます。
その後、実践を重ね続け、校長となります。その頃から徐々に、東井の実践が世に知れ渡り始めました。「ペスタロッチ賞」をはじめとする数々の賞を受賞し、定年退職を迎えます。
定年退職のあとも、大学の非常勤講師などの教育活動を精力的に続けます。そして1991年、みんなに惜しまれつつ、79歳でこの世を去ります。
そんな東井はどのような考えを持っていたのでしょうか。
【村を育てる学力・村を捨てる学力】
東井は生涯で多くの書籍を世に出しました。その中でも最も有名なものが『村を育てる学力』(現在は絶版)です。村を育てる学力が大切だと、本書で東井は主張します。これはどういうことなのでしょうか。
戦後の貧しい地域で教師をしていたときのエピソードが紹介されています。その地域で、農家の方に東井は次のようなことを言われます。
「うちの長男には勉強を教えないでほしい」
当時、農家の家に生まれた長男は家の跡継ぎとなることが一般的でした。勉強を教えられると、進学したくなる。進学すると村を出ていってしまうというわけです。当時の村の方々の切実な願いが表れています。
しかし長男以外は別です。
「村から出ていけるように、勉強を教えてほしい」
貧しい家では、何人も養うことができません。よって跡継ぎ以外は、村を出て就職してほしいということです。これを知った時、私は衝撃を受けました。これが、当時の現状なのです。
この「村を出て行くために勉強する」という環境に、東井は疑問を持ちます。そして進学するための学力を「村を捨てる学力」と呼びました。しかし大切なのは、その地域を豊かにする「村を育てる学力」であると主張します。
では、東井はどのような教育を実践したのでしょうか。
【生活綴方的教育方法】
東井は生活綴方を学習として取り入れました。生活綴方とは、子どもが生活の中で見たもの、聞いたもの、感じたもの、考えたことなどを文章として表現した作品です。今でも小学校で行われている生活作文に近いものです。
特筆すべきは東井の授業展開です。東井は生活綴方を学習するときは、次のように授業を展開しました。
「ひとりしらべ→わけあい・みがきあい・おおぜいしらべ→ひとり学習」
始めは個人で計画を立て、学習に取り組みます。その次に話し合ったり、協力したりして学習を進めます。そして最後に再度、個人での学習に戻ります。このような流れで生活綴方の指導をしていたそうです。
現代の学校でも、個別学習→協働学習の流れはよくあります。そして、振り返りとして個別学習に戻ることは重要なことです。私たちが行なっている学習展開の源流には、東井の教育があると思います。
【学習帳の機能】
東井は学習の際に、学習帳を積極的に使っていました。そこで、学習帳の機能について2つに分類しています。
(1)練習帳的機能
(2)備忘録的機能
練習帳的機能とは、学習帳を練習のために使うということです。現代の学校で考えると、作文の構成メモや下書きがこれに当たると思います。
備忘録的機能とは、板書を書き写すことなどを挙げています。今も行われている一般的な使い方です。
学習帳での実践を多く重ねたからこそ、このような考えに至ったと思います。東井の教育に対する情熱が伝わってきます。
【東井の言葉】
私の師である野口芳宏先生は、東井義雄を敬愛しています。野口先生が教えてくださった東井の言葉があります。
「太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない。太陽が昇るから夜が明けるのだ」
これを聞いたとき、ハッと気付かされたのを覚えています。私はこれを「行動することで、環境が変わる」と解釈しています。それ以来、自ら行動するよう心がけています。
というわけで今回は「東井義雄」についてお話ししました。少しでもみなさんのお役に立てたら嬉しいです。ここまでお読み頂き、有難うございました。
関連リンク
参考資料
- ・村を育てる学力 東井義雄 1957年 明治図書
- ・東井義雄の「教科の論理」における指導法に関する研究ー主体的・対話的で深い学びの視点からー 齋藤 義雄 東京家政学院大学紀要第59号 2019年

山本 裕貴(やまもと ゆうき)
木更津市立鎌足小学校
千葉大学大学院教育学研究科学校教育学専攻
木更津技法研所属
高校、特別支援学校、小学校算数専科を経て、現在小学校の学級担任をしています。
人を幸せにするには、どうすれば良いのか。たどり着いた答えが小学校の先生でした。
教育の根本・本質・原点を問い続けていきます。
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