物語と道徳の違いを説明できますか?
今回は、前回紹介した「文学的認識力」についてより詳しく述べるとともに、「物語」と「道徳」の違いを明らかにしたいと思います(少し長くなってしまったかもしれませんが、最後までお読みいただけたら幸いです...)。
明石市立錦が丘小学校 教諭 川上 健治
前回は、文学作品を扱う授業において学習する目的は、「文学的認識力の育成」と「言語化能力の育成」であるという私なりの考えを紹介しました。今回からは、それをもう少し掘り下げて考えていきたいと思います。
まず、今回は、「文学的認識力の育成」についてです。
1.「文学的認識力の育成」の下位概念
まず、「文学的認識力」の下位目標に「想像的思考力」と「論理的思考力」の2つの「思考力」を配置しています。「想像的思考力」とは、言葉の通り、想像することで、ものごとを認識していくことだと捉えることができます。ただ、ありのままに想像を巡らせたらいいのではなく、深川(1994)は、「ことばや文・文章の表現を手がかりに、素直に自分の想像をめぐらし、そこに非現実世界ではあるが一つの世界をつくっていくこと」[i]であるとし、文脈を手掛かりにしながら想像力を巡らせることでイメージが形成されるのです。
そして、深川(1986)は、「学習者は、イメージ体験によって、現実には絶対体験できないことも体験することができる。現実の体験をはるかに超えたイメージ体験は、学習者の認識を広め、深める。イメージ体験は、このように学習者の精神形成に直接かかわるという点で、読みにおいては避けて通ることの出来ない問題である。」[ii]とも述べています。文学的認識力を高め人間形成に資するような文学作品の読みを目的に置く限りは、この「想像的思考力」を学習目標に位置付け、イメージ形成を促す必要があるということが分かります。
また深川(1986)は、「イメージは、読みにおいて、学習者が、教材の誘いかけ構造に導かれ、それに応えながら創り出していくものである」[iii]とも述べています。この言葉は、恣意的な読みではなく作者が仕掛けた構造であったり、作品の筋であったりを客観的に読みとっていかなければならないことを示唆しているものです。つまり、人間形成に資するような文学作品の読みを行うには「想像的思考力」が必要であり、この「想像的思考力」を働かせるには、「論理的思考力」も同時に働かせなければなりません。田近(2012)は、「『未見の他者』を求めて人物の言動の意味を考えたり、物語の構造(プロット)の持つ意味を考えたり…といった、新たな追究を通して、自ら意味世界を生成していく<読み>の過程を生きるということだ」[iv]とし、自らの意味世界を生成し、本質を見抜く際には、「想像的思考力」や「論理的思考力」が必要であることを示しています。
このように、「文学的認識力」を育成するには、「想像的思考力」や「論理的思考力」の育成が必須になってきます。ただ、現場の先生方は、知らず知らずのうちに、これら二つの力を育成するような授業を実践されていることだろうと思います。いまや児童の発言に対して「ナンデモアリ」と受け止めている先生は極々少数になっていることだろうと思います(そう願っています)。要は、文学作品を扱う授業において「想像的思考力」や「論理的思考力」が、何のために必要になってくるのかを意識していく必要があると考えます。そして、その答えの一つとして、私は「文学的認識力の育成」のためであると考えています。
2.「文学的認識力」と「道徳的判断力」の決定的な差
「物語の授業と道徳の授業ってどう違うの?」
これは、よく現場でも聞かれる声です。特に、私のように文学作品を扱う授業において「人間形成に資する」ような目的をもった授業なら尚更、道徳の授業との差を問われます。これらの違いについて鶴田(1988)は、「問題は、文学作品の『道徳性』をじゅうぶんに認識しつつ、ある作品によって既成の徳目を教えこもうとする偏狭かつ短絡的な考え方を排して、文学教育固有の目標・内容・方法をどのように構想していくのか、ということにある」[v]と述べています。昌子(2010)は、この言葉をより具体的に「そうした作品の受け止めを形成するためには、作品内部の言葉・表現を丁寧にたどりながら読むという過程は欠かせないものであって、そのための場と機会を提供し、その手助けをし、学習者に『読む力』を高めていこうとするのが国語科教育であり、さらにその一連のことを通して、文学作品を読むこと、文学作品と向き合っていくことの方法と構えを醸成していこうとするのが、私の考える文学教育である」[vi]と表しています。
そして、この読みとっていく過程については、「自分なりに人物や事物の『像』を思い浮かべたり、具体的には語られてはいない人物の心理などを、他の場面・部分の読みと結びつけるなどして論理的な整合性も図りながら思考し、想像していく。さらにはそうした思考・想像の過程において、言葉・表現の美しさや、それに伴う効果などにも自覚的になっていく」[vii]と述べています。つまり、文学教育固有の目標・内容・方法を措定し、「文学的認識力」について文章を丁寧に読みとっていく過程で「想像的思考力」や「論理的思考力」を働かせて獲得できるところに「文学的認識力」と「道徳的判断力」の差異があると考えられます。
[ii] 深川明子「文学教材・イメージ化の内容と段階―発問考察の基本的観点―」全国大学国語教育学会『国語科教育』、第34巻、1986年、pp.29-30
[iii] 同上書、p.27
[iv] 田近洵一「創造の〈読み〉―相対主義を乗り越えて、文学の〈読み〉を取り戻すために―」日本文学協会『日本文学』、第61巻、2012年、p.7
[v] 同上。
[vi] 昌子佳広「浜田廣介『泣いた赤おに』をめぐる一考察―童話と国語教育・文学教育、道徳教育―」茨城大学教育学部『茨城大学教育学部紀要』、第59号、2010年、p.18
[vii] 同上書、p.17
川上 健治(かわかみ けんじ)
明石市立錦が丘小学校 教諭
クラスの全員が楽しく学び合い「分かる・できる」ことを目指して日々授業を考えています。また、様々な土台となる学級経営も大切にしています。
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