「Lifelong Learner」を育てるー観点別学習評価とはー(No.4)
前回の記事では、PISA(学習到達度調査、Programme for International Student Assessment 2018)の結果をご紹介しました。この結果から日本では、落ち着いた雰囲気で授業を行うことができており、先生も熱心に生徒への支援を行っているが、生徒が学習したことに対するフィードバックが不十分であるということがわかりました。これはつまり、学校で行っている評価に課題があるということです。今回は、現在行われている観点別学習評価についてもう一度整理してみます。
小平市立小平第五中学校 主幹教諭 熊井 直子
定期考査で良い点をとっても、まじめに授業を受けなければ「5」はつかない!?
先日、某SNS上で「定期考査の結果は90点台なのに、どうして『3』なんですか?」という生徒からの質問に対して、「授業中の課題に全く取り組まず、妨害のようなことばかりするから」という教員の答えが議論の俎上に上がっているのを見つけました。
皆さんは、この教員の答えについてどのように考えるでしょうか。
この答えを否定的に捉える背景として、「授業にまじめに取り組まない」=「やる気がない」=「評価に値しない」という見方が挙げられます。「定期考査で点が取れているということは、授業で扱っている内容に見合った学力をもっているはずなのに、やる気がないという主観的な観点を評価材料にしてしまうのはいかがなものか」という考え方です。
似たような話題としては、「提出物を出さなければ成績に響く」というものがあります。宿題の提出率が悪いと成績が下がる、というのは適正な評価といえるのでしょうか。また、適正といえるにしてもいえないにしても、その理由は何なのでしょうか。
現在行われている観点別評価と評定の関係性をまず確認します。
私の考えを述べる前に、まず、現在どのような形で評価が行われているかについて確認したいと思います。
現在の学習指導要領では、観点別評価という手法が取り入れられています。この「観点」は、平成20年告示の学習指導要領では、各教科でやや異なるところもありますが、主に「関心・意欲・態度」「知識・理解」「技能」「思考・判断・表現」の4つです。私が担当している国語科では「関心・意欲・態度」「聞く・話す」「書く」「読む」「言語事項」の5観点について評価を行っています。
教員はそれぞれの観点についての評価材料と評価基準を設定し、一つ一つの評価材料に対する達成率を統合し、各観点の評価(A、B、C)をつけます。さらに、各観点の達成率を統合し、教科の評定(5,4,3,2,1)をつけます。これが観点別評価です。
この時に大切なことは、授業を受けている全員に身に付けさせたい基準を教師が明確に設定することです。この、「この授業でこれができるようになればOK」というラインが「B評価」に値します。教師が設定した評価基準をさらに上回るような力を示した生徒には「A評価」がつくということになります。また、教師は全員が「B評価」のラインをクリアできるような授業方法を考えなければなりません。このことが「指導と評価の一体化」と呼ばれているものです。
例えば、国語の「書くこと」の観点において「根拠を明確にした意見文を書く」という単元を行ったとき、「具体的な事実を根拠として取り上げていること」と「自分の主張に対して取り上げた事実が適切であること」の2点を「B評価」の基準として設定するとします。教師は、授業を通して「具体的な事実とはどのようなものを指すのか」「取り上げられている事実と主張との結びつきは適切か」などについて生徒に考えさせ、同時にそうした授業の流れを通して「C評価」になってしまいそうな生徒を支援していきます。最後に生徒が書いた意見文を「具体的な事実を根拠として取り上げているか」「自分の主張に対して取り上げた事実が適切であるか」の2つがそろっているかどうかで評価をつけます。この時、「自分の取り上げた事実がなぜ適切か詳しく説明している」「複数の事実を組み合わせながら主張を書いている」ような意見文は、「B評価」の基準をクリアした上でさらに工夫が見られるので「A評価」になる、ということです。
適正な評価を行うために大切なことは、
・適切なB評価の基準を設定すること
・すべての生徒がB評価を達成できるような指導方法を工夫すること
・C評価になりそうな生徒に対する支援を行うこと
の3点です。
このことから、冒頭の「定期考査の結果は90点台なのに、どうして『3』なんですか?」という生徒からの質問に対して「授業中の課題に全く取り組まず、妨害のようなことばかりするから」と答えた教師が、もしこの生徒に対して「B評価」を達成できるように支援を行っているのであれば、この生徒の課題に「A評価」がつくことはない、ということになります。「宿題を出すこと」は適切な評価材料と言えるのか
ここで問題となってくるのが、宿題の取り扱いです。「宿題を提出すること」は、適切な評価材料と言えるのでしょうか。
これについて私は、基本的に評価は授業の中で完結させるべきであると考えています。宿題の評価は、言い換えれば家庭学習の評価です。学校でつけるべき最低限の力は学校の授業時間内で身に付けさせなければならないのではないでしょうか。
とはいえ、矛盾するようですが私も宿題を出します。私の出す宿題は大きく2種類にわかれます。1つ目は、授業中にやりきれなかった課題を家でやってきてもいいという時間的猶予を確保するための宿題です。例えば、先程の例で言えば、授業中に意見文が書ききれなかった生徒に対し、もし希望があるのであれば家に持ち帰って納得いくところまで書ききってから提出しても良いということにしています。反対に、これは強制ではないので、意見文の途中で授業が終わってしまった場合でもこれが自分の限界であると考えるのであれば提出させます。このように、課題の終わりを自分で決められるようにするための宿題です。
2つ目は、授業の予習や補修としての宿題です。例えば、漢字の練習は生徒一人ひとり必要な時間が異なります。こうした反復練習を必要とする学習については、家でやるように指示します。この場合、せめて1回は練習をする必要があると考えているので、漢字ワークを提出するという課題を出しています。ただ、この課題についての評価の比重は、あまり重くはしていません。
評価をするにあたって一番大切なことは何か
「定期考査はなぜ必要か」「宿題はなぜ必要か」といったような指摘もよくありますが、これに対する私の答えはこれまで述べてきたように「評価をするため」です。
では、評価は何のために行われているのでしょうか。ここをさらに考えなければ、「定期考査はなぜ必要か」「宿題はなぜ必要か」という疑問に対する本当の答えにはならないでしょう。これに関するキーワードは、評価の観点の一つである「関心・意欲・態度」です。次回の記事では、この「関心・意欲・態度」について踏み込んで考えてみたいと思います。
熊井 直子(くまい なおこ)
小平市立小平第五中学校 主幹教諭
英語もできる国語の先生を目指しています。2016年度に1年間フィンランドの高校で国語の授業を研究していました。英語教育に力の入る今だからこそ母国語教育のあり方を今一度よく考える必要があるのではないかと考えています。
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