「読む」と「読めたつもり」
子どもたちは、国語科の授業において物語文・説明文・紀行文など、実に様々な文章に出会い、読み進めていくでしょう。「読む」ということは、書かれている内容を正しく理解することであり、知識経験に照らして、意味合いを「自分なりに」解いていくことです。私は、この「自分なりに」というところに注目すべきであると考えます。
子どもたちは、4月教材の「あめ玉」や「なまえつけてよ」といった物語文を一通り読んだ時に「よく分からないなぁ。」という感想はあまり持ちません。もちろん、語句レベルでは、「漢字の読み方、言葉の意味が分からない。」ということはあるかもしれませんが、文脈レベルにおいては、「分からない」ということはあまりない様です。自分なりには、「分かったつもり」になっているんですね。そんな子どもたちが、文章表現にこだわって読み深めていけるようになるためにどのように指導・支援すべきでしょうか。
問いを持って「読む」
私は、4月から子どもたちに絵本の読み聞かせをしています。1回目はさらっと読む。子どもたちが話し出すことは大切にするが、私から意図的に立ち止まることはしません。しかし、2回目は読みどころでとまり、私から子どもたちに「おたずね」をして、みんなで一緒に考えながら読み進めていきます。すると、1回目には出てこなかった話題で子どもたちはどんどん盛り上がっていきます。
この盛り上がりが「作品に『おたずね』しながら読むって楽しいな。」「一語一文にこだわるとまた新しい考えが生まれる。」という経験を生み出します。この経験があるからこそ、また一人で読む時にも「おたずね」を持ちながら追究していく姿が生まれていくのでしょう。
以前、「問いづくり」で紹介したように、「深い問い」と「浅い問い」について、自分たちで基準を考えられるようになったのは、このような経験からです。自分の中で意味あるものと感じれば、子どもたちはどんどん突き進んでいきます。作品と出会った時にも、自然と問いをつくってどんどん追究していく姿が見られるようになります。その姿を大切にしたいです。
一人ひとりの「読む」の深まり、広がりに向けて
こうした経験を大切にして、物語や説明文では、「ひとり読み」(一人で作品と向き合う時間)と「聴き合い学習」(交流する時間)を中心に学習を進めています。
作品に出会った時に一人ひとりが持った「おたずね」をもとにした「ひとり読み」で言葉から想像したことを、「聴き合い学習」の中で友だちと伝え合っていきます。そこで、自分一人では気づけなかった新たな考えを取り入れることによって読みが更に深まっていく。こうした2つの手立てを繰り返していくことによって、子どもたちは、次に新たな文章に出会った時にも、自分で大事な言葉・文章を見つけ出して、豊かに読み深めていくことができるようになるでしょう。
子どもたちからの「おたずね」「問い」をきちんと活かせるように、これからも教材研究をしっかりと充実したものにしていければと思います。子どもたちの学びのサイクルを促進するような、支援をこれからも追究していきたいです。

若松 俊介(わかまつ しゅんすけ)
京都教育大学附属桃山小学校 教諭
「子どもが生きる」授業を目指して、日々子どもたちと共に学んでいます。子どもたちに教えてもらった大切なことを、読者の皆様と共有していければ幸いです。国語教師竹の会所属。
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