愉しい授業を創る まちがいと失敗を生かした学び編
まちがいや失敗って誰しもしたくないものですよね。
でも、「失敗」から学びを創っていく、「Productive Failure(プロダクティブ・フェイラー)」という概念もあります。
学生が考える「体育を学ぶ意義」についての考えを紹介しながら、まちがいと失敗の意味を考えてみたいと思います。
浜松学院大学地域共創学部地域子ども教育学科 教授 川島 隆
テストの結果が返ってくると……
中学校や高校では、中間テストが終わり、子どもたちは、ほっとしているころかもしれません。
わが家では、受験生を2人抱え、テスト前には、家庭内にも緊張感が張り詰めていましたが、テストが終わって私自身もほっとしております。
さて、結果が徐々に返ってくると、とかく〇と×、点数に目が行きがちです。
点数が良いとか悪いとか、つい一喜一憂してしまいます。
(いけない、いけないと思いながら。)
学ぶ意義を問い掛ける
大学での後期の授業、初等教科教育法体育の授業での一場面です。
つれづれ日誌でも取り上げたことがありますが、授業の中で、運動が大の苦手のまる子ちゃんの事例を取り上げました。
「体育の授業は、人間形成において学校教育の中に取り入れなければならないほどの重要な役割をどのへんに秘めているのであろうか」という、まる子ちゃんのギモンにどのように応えたらよいかを考え合いました。
つまり、体育を学ぶことの意義は、一体何なのか、ということを子ども目線で考えました。
時代が異なれば、学生が異なれば、出してくる答えも異なります。
学生の中にも決して運動が得意な者ばかりではありませんから、まる子ちゃんの経験と重なる意見も見られました。
授業で出てきた意見のうち、印象的だった3人の考えを紹介します。
学生A:まるちゃんは体育が嫌いでも、ここまで体育をしてきたことはとってもすごいことだから、きっと楽しめる時が来るかもしれないね。体を動かして、大人になっても元気でいられるように、体育の楽しさを見つけていこうね。できないことができるようになったときは、とっても気持ちが良いよ!
学生B:私もまるちゃんと同じように、「どうして体育をしなきゃいけないのかな」って思ったことがあるよ。でもね、体育をすることで、自分の体を動かす時間になって、体が健康になる良さがあると思うよ。まるちゃんも「健康に生きたいな」って思うことあると思うよ。私は、体育はいやいや体を動かす時間ではなくて、自分の体と向き合うことができる時間って考えてるよ。
学生C:「できた」「できなかった」という結果ではなく、できるようになるために、まる子ちゃんが努力したことに意味があるんだよ。周りの子と比べずに、自分が成長できたと思えば、それだけで体育の授業を受けた意味があるよ。体育での「できなかった」は、恥じゃなくて成功のための必要な道のりだから、そこで諦めずに、何回もチャレンジすることを学ぶことができるよ。
この3つをこんなふうに考えました。
Aさんは、「体育の愉(楽)しさ」とは何か、ということにつながる考えです。
以前(2024年2月)に掲載した記事では、高田典衛氏の「楽しい体育4原則」の考え方を紹介しました。
「精いっぱい運動すること」「技能・体力が伸長すること」「友達と協同すること」「新しい発見をすること」
この4つを子どもが実感できることが、楽しい体育の授業につながります。
Bさんは、自分の体と向き合う、つまりは「自分の体を知ること」に意味があるという考え方です。
米国の小学生向けの健康教育プログラム、KYB (Know Your Body)にも通じる考えです。
Cさんは、結果ではなく、プロセスや努力、そして「できなかったこと」を大切にしたいという考えです。
「失敗」から学びを創る、「Productive Failure」
最近読んだ本の中に「Productive Failure」という言葉がありました。
「生産的失敗」あるいは「創造を生み出す失敗」と呼ばれ、
教育学や組織論の中で注目を集めている概念です。成功につながる学びや発見を促す失敗のことを指します。
私たち大人もそうですが、成功よりも失敗の中に気づきや学びがあって、記憶に残っていることが多いのではないでしょうか。
例えば、運動が得意な人は何でもすぐにできてしまうことがあります。
しかし、不得意な人は「どうやったらできるようになるんだろう」「どうしたらうまくなるだろう」って何度も考え、繰り返し試しながらできるようになっていきます。
できないことやうまくいかないこと、いわゆる失敗から多くのことを学んでいくわけですね。
それを、教育する側が意図的に仕組んでいくというのです。
体育に限らず、教科学習や日常生活の中でも、生かせる考え方です。
「××ちゃん式まちがい」法から学ぶ
かつて、日本の教育者・斉藤喜博氏は、その著書の中で
「××ちゃん式まちがい」という指導法を紹介しています。
算数の授業での立式とか、計算、文章の解釈をするときに、子どもたちの中には、さまざまなおかしなまちがい方をする子どもがいます。
そういう場合、そのまちがいをみんなで究明し、まちがいの原因を共有していくというのです。
そして、それを「××ちゃん式まちがい」と命名し、同じようなまちがいをしないようにしていくのです。
まちがえた子どもが、自分のまちがいをみんなのところに出してくれたおかげで、みんなが新たな発見(気づき)や学びができたという意識をもつようにしていきます。
こういう学級(学習集団)ができると、子どもはまちがいをおそれることなく発言するようになります。
逆に、こういう集団になっていないと、まちがいや失敗をおそれ、授業中の発言を躊躇するようになります。
まちがいや失敗が、劣等感や子ども同士の差別化につながってしまうのです。
まちがいや失敗が、新たな学びにつながるんだ。
まちがいや失敗は、新たな発見を生み出す価値あるものなんだ。
そういう実感ができるような仕掛けや働き掛けを積み重ねていきたいと思います。
むすびに
冒頭の話題に戻ります。
テストの結果は、進路を気にかける子どもたちにとって、とても重要なことかもしれません。しかし、その場の結果に一喜一憂するのではなく、正解できなかった問題、バツがついた解答に、自分なりの意味を見出してほしいと思います。そこから学ぶ姿勢を大切にしてほしいと思うのです。
そして、学校や教室では、学習集団として、そういう姿勢が育まれていくことを願ってやみません。
また、国語科や算数科、理科はどうして学ぶのでしょうか。
それを考えるヒントは、その教科の持つ「楽しさ」を考えることにあるのではないかと思います。
子ども自身が「楽しさ」「よさ」を実感しない限り、本当の意味で主体的には学ぶことはない、そう考えます。
また、学びがいを実感することもないでしょう。
このことが、子どもにとっての「愉しい授業」につながっていくのでは。
そう考えます。
いかがでしょうか。
参考資料

川島 隆(かわしま たかし)
浜松学院大学地域共創学部地域子ども教育学科 教授
2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。
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