2025.10.10
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変化の時代に、教師に求められる「マインドセット」とは

未来を担う、これからの子どもたちの教育活動に取り組む上で、そして学校改革や教育の変化に対して積極的に取り組んでいくために。
自分たち、あるいは大人たちにとって必要なマインドセットはなんでしょうか。
そこには親や教員が抱く「理想的な教育像・指導像」について、自己の経験が大きく影響しています。
今を生きる子どもたちのために。
経験則や過去の成功体験を前提とし、それを再生産するような視点だけではない姿勢を持ち、教育者自らが探究者になることの大切さについて考えてみました。

花園中学高等学校 社会科教諭 伏木 陽介

時代とともに変わる「教育」の視座

全国の教員、そして教育に携わる方々は、日々の実践の中で数々の先輩方の言葉を指針としてきたことも多いと思います。私も教育活動を考える上で出会い、影響を受けている言葉があります。それは、オンライン教育プラットフォーム「カーンアカデミー」のサルマン・カーン氏が、その著書『世界はひとつの教室』で引用・紹介している、岡倉天心とも親交のあったラビンドラナート・ダゴールの以下の発言です。

「自分が受けた教育を子どもに押し付けてはならない。彼(彼女)はあなたとは別の時代に生まれたのだから」

この言葉は、私たち教育者にとって、変化の激しい時代を生きる子どもたちを前にしたとき、どのような視座を持つべきなのか。そのことについて多くの示唆を与えてくれます。

自らの「当たり前」を問い直す勇気

私たち教員が教壇に立ち、さまざまな指導を行う際には、自分たちが受けてきた教育経験を前提に考えることが多いものです。

「自分が分かりやすいと感じた授業」
「心を動かされた学校行事」
「恩師から受けた指導」
「そして自分自身の大学入試の経験」
「大学時代のゼミや研究の経験」

このような自分の経験は、時に教育活動の前提となり、実践の拠り所となります。また、教員経験を重ね、卒業生を多く送り出すようになると、その卒業生の成功報告は私たちに自信を与えます。私自身、多くの卒業生に勇気をもらうことがあります。

しかし同時に、その経験に無自覚的・無批判的に依存してしまうことへの注意も必要です。卒業生の姿を通して、自らの教育活動に自信を深めることについては、それを相対化する視座を獲得することもまた大切です。子どもたちが生きる社会やこれからの未来は、自分たちが育ってきた時代とは根本的に異なっています。また卒業生が在校していた当時を取り巻いていた時代環境と、現在の教育的・社会的な課題にも変化があります。そうした変化を前提として、教育活動を振り返り、さらにブラッシュアップを図る必要があります。

つまり、さまざまな価値観の創出や、AIをはじめとするテクノロジーの急激な進化により、社会は多岐化し、時に「予測困難」とも呼ばれる時代を迎えています。私たちが学生であったころの成功体験を前提に、自分たちが最適と思って取り組む教育活動が、子どもたちの未来の可能性を停滞させる遠因になっているかもしれません。そのような思考を常に傍らにおいていく必要もまたあるのでは、と感じるのです。

もちろん変化を前提とするばかりの考えが大切なわけではありません。しかし、「変化する状況」にまったくアンテナを張りもしないマインドセットではいけません。私たち教育に携わる者は、将来・未来を生きる子どもたちと大切な時期を過ごす以上、変容する社会や価値、それを踏まえた教育手法について、「食べず嫌い」的な態度を取らないこと。このマインドセットの転換が、何より重要だと考えています。

そのために自身が特に勧めるのは、子どもたちよりもまず先に大人が「越境」していくことです。越境し、学校の外の方々と教員自身がまず交流の窓を持つことで、社会の変化や要求に応じて、情報の窓を持つことができます。例えば、私自身多くの示唆を受けてきた立教大学文学部・河野哲也教授は、探究活動について「真正の学び」を重視し、下記のように述べています。

「探究は真正の学びでなければならず、社会から分離された単なる「教室での出来事」であってはなりません」(『問う方法・考える方法:「探究型の学習」のために』第1章第4節)

ここで、この文脈は子どもたちのみに適用される文面として捉えてはならないと思います。真正の学びを実践し、体現していくのであれば、その先頭に立つ教員もまた真正の学びを行うスタンスを持ち、率先して活動すべきだと感じるのです。

そのような前提に立って学校や教育活動を捉えていく場合、時には経験豊富な先輩教員からのアドバイスも、実践的な知恵として非常に価値があります。その一方で、そうした経験が学校改革や抜本的な発想転換を遅滞させる要因になることもあるかもしれません。それは、学校や教育界という社会をそれ以外の社会と区分けし、それを前提とした指導法や感覚の継承に、当時と現在との前提の違いが潜んでいる可能性があるからです。

大切なのは、先輩方、先人の知見に敬意を払い、学びを大いに得る中にも、そのアドバイスが今、目の前にいる子どもたちの未来にとって本当に最適なのか。そのことを常に立ち止まって吟味し、実践に役立てていく批判的な視点だと感じています。

「パラダイムシフト」

ここで私が主張したいのは、決して従来の教育実践やその利点を軽視することではありません。これまで教育が培ってきた基礎学力の定着を重視する姿勢や、協調性を育む集団活動の価値など、継承すべき優れた点は数多く存在します。

私も多くの実践を拝見し、自らの教育活動を振り返り、諸先輩方の活動に学びを深めてきました。ただ、そのような中でも、近年自身が強く意識しているのは、それらの教育活動の根底にある価値観や方法論を、無批判に近視眼的に当たり前として連続させていないかどうか。その点をセルフチェックする必要があるという部分です。

今、教育現場に求められているのは、まさにパラダイムシフト、すなわち教育に対する根本的な考え方の変革です。例えば、教員の役割も「Teacher(知識を伝達する者)」から、「Coordinator・Facilitator(生徒一人ひとりの学びを支援し、伴走する者)」へと変化してきました。

本校の教員を対象に行った探究活動と探究的な学びについてのヒアリングでも、多くの先生方が、この「伴走し、支援する立場としての教員像」が今後さらに求められるだろうと回答しています。

指導法や授業手法の盲目的な継承ではなく、変化する指導像を踏まえ、従来の優れた指導法や授業手法にヒントがあります。一方で勇気を持って変化を及ぼすべきか、時には捨象するか。私たち自身のマインドセットの転換が迫られています。

伏木 陽介(ふせぎ ようすけ)

花園中学高等学校 社会科教諭/中高一貫(ディスカバリー)コース統括・ICT担当、東西探究交流会代表


長年にわたり、探究学習のプログラム策定や実践に携わってきました。
学校や授業の改革には何が必要かを考え、現場でのチーム作りや実践を重ねております。
また、大学などの「学術知」を中高の教科指導とどう結びつけるかを追求し、共通テストの分析やICTとの接続等の教材開発に取り組んでおります。
こうした経験を活かし、未来の学びの創造に貢献したいと考えています。

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