2026.09.03
  • x
  • facebook
  • はてなブックマーク
  • 印刷

授業はもっと楽しくてよいのでは?  ―遊びの力、可能性―

産業革命が進むたびに、人間の仕事の姿は変化してきました。
では、最後まで人間にしかできない営みとは何でしょうか。
どこにその答えを見出せばよいのでしょうか。

目黒区立不動小学校 主幹教諭 小清水 孝

人間の仕事は、どこまで代替されてきたのか?

  

産業革命によって代替される仕事(筆者作成) 

人間の仕事は、産業革命のたびに大きく姿を変えてきました。二軸四象限を表した図をご覧ください。縦軸は物理(肉体)と、認知(脳)。横軸は定型(パターン)と、不定型(イレギュラー)を表します。

第一次産業革命では、蒸気機関が人間の身体的な仕事を代替しました。第二次産業革命では、電力によって大量生産が可能になりました。第三次産業革命では、コンピュータが人間の知的労働を支えました。

そして現在、第四次産業革命ともいえるAI革命が進んでいます。AIによって不定型な知的労働も代替されると予測します。

では、最後まで人間に残される仕事とは何でしょうか。
私は、「不定型で肉体的な仕事」に注目しています。そこには、「ケア」や「遊び」といった領域が含まれるのではないでしょうか。今回は、その中でも「遊び」という営みに焦点を当ててみます。

なぜ、人は遊ぶことをやめないのか?

  

遊びの四類型(カイヨワ「遊びと人間」を基に筆者作成) 

フランスの思想家ロジェ・カイヨワは、『遊びと人間』を著しました。

カイヨワは、遊びを「アゴン=競争」「アレア=偶然」「ミミクリ=模擬」「イリンクス=めまい」に分類しています。遊びの四類型の表をご覧ください。

今回は、「ミミクリ=模擬」、つまり「なりきる遊び」に着目します。

人間は、古今東西を問わず、何かを模倣してきた生き物です。 誰かになったり、何かになったりすることを楽しんできました。その姿は、私たちの身近な場所にも見ることができます。

例えば、東京ディズニーランド。現実とは異なる世界があります。そこが現実ではないことを、誰もが知っています。それでも、大人も子どもも、その世界を本気で楽しんでいます。衣装を身にまとい、キャラクターになりきる人もいます。物語の世界に入り込み、模倣を楽しんでいます。

もう1つの事例を紹介しましょう。私の五歳の息子は、最近あるキャラクターに夢中になっています。黒いマントを身につけ、私の仕事バッグを持ち歩きます。そして、決まったセリフを言いながら、毎日のようになりきって遊んでいます。まさに「模倣」です。

いずれも、誰かに指示されたわけでも、お願いされたわけでもありません。自分から遊び始め、何度も同じ世界を楽しんでいます。

ここに、遊びがもつ大きな力があるのではないでしょうか。

授業に遊びを掛け合わせると、何が起こるのか?

  

学習活動と遊びの掛け算 

「授業×遊び」という発想を提案したいと思います。遊びを単なる休憩や余暇として捉えるのではありません。遊びそのものを、学びを生み出す仕掛けとして捉えてみます。

例えば、国語や体育といった教科の学習に遊びの要素を掛け合わせられないでしょうか。道徳や総合的な学習の時間でも、遊びの要素を組み込めるのではないでしょうか。

さらに、新学習指導要領下で始まる「余白の時間」にも可能性があります。「遊び」を掛け合わせることで、新しい学びが生まれるかもしれません。

学習活動と遊びの掛け算を表にしました。あくまでも一例に過ぎません。また、空欄がありますが、「こんな掛け算の例がある」という実践例を、日本全国の先生方がお持ちだと思います。

遊びの中では、五感が自然に働きます。身体を動かしながら、さまざまなことを感じ取ります。そこで得られる感覚的な知を、私は「身体知」と捉えています。身体知を振り返ることで、学びは次の段階へ進みます。

友達と対話すれば、自分の感じたことを言葉にする必要があります。さらに、他者の感じ方を知ることで、自分の見方も変化していきます。

体験が知識へ変わり、知識が自分自身の価値観へとつながっていきます。そして、その価値観から、さらに新しい問いが生まれてくるのです。

遊びによって、学びはどう変わるのか?

社会科での漁業の学習を例に、模倣を掛け算することで授業がどう変化するのか具体的に考えてみましょう。

例えば、校庭で「一本釣り漁」を疑似体験してみます。朝礼台の上に立ち、学校にある長い棒(ほうきなど)を用意します。棒の先に糸をくくりつけ、糸の先端に水が入った2Lのペットボトルを付けます。

ペットボトルをカツオに見立て、一本釣りを体験してみます。もちろん、本物の漁とは異なりますが、全身を使って釣り上げます。

以前、私がこの授業を行ったときのことです。子どもたちから、実にさまざまな声が上がりました。

「餌を付けたり、針を外したりするのは大変だよ」
「そんな作業をしていたら、カツオを逃がしちゃうよ」
「わかった!だから針に『かえし』がないんだ!」
「ヘルメットがないと危ないよね?」
「思ったより腕が疲れた~」
「こんなに大変なら、巻き網漁の方がいいんじゃない?」
「でもさ、大変だけれど、一本釣りには価値があるんじゃない?」
「魚が傷つきにくいから、貴重で価値が高いってことか!?」

ここで生まれているのは、単なる「楽しかった」という感想ではありません。身体を使った体験から、漁業についての具体的な問いが生まれています。

さらに、友達との対話によって、それぞれの気付きが共有されていきます。そして、体験から得た知識が、自分自身の考え方へと取り込まれていきます。

その先には、次の学びにつながる問いも生まれます。例えば、「大量生産と高品質は両立できるのか」という問いです。これは漁業の学習だけに限った話ではありません。

遊びを取り入れることで、学習が自分ごとになった様子を指導者として実感しました。

AI時代だからこそ、授業をもっと楽しく

もちろん、授業は楽しいだけで成立するものではありません。しかし、自分からやってみたくなる感覚は、学びの原動力になります。遊びには、人間を自ら動かす力があります。

AI革命によって、人間の仕事はさらに大きく変わっていくでしょう。これまで人間が担ってきた定型の知的労働も、AIに代替されています。

だからこそ、これからの授業も変わらなければなりません。教科書の内容を分かりやすく説明する能力はこれまでのようには求められなくなるでしょう。知識を一方的に伝えることは、AIが得意とする領域です。

教師には、AIには簡単に代替できない学びの「場」をつくる役割があります。子どもが実際に体験し、身体を動かし、他者と関わる場をつくることです。そして、そこで生まれた気付きを、対話によって意味づけていくことです。

これまでの研究授業、教師修行で求められてきた「板書や発問の工夫・改善」の価値は、残念ながら低下していくことでしょう。これからの授業では、教師の「授業デザイン力」が重要になるでしょう。

若い先生方にも、ぜひ考えていただきたいと思います。「これから何を教えるのか」だけを考える必要はありません。「どのような学びを生み出すのか」を考えてみてください。そして、「人間だからできる授業とは何か」を問い続けてほしいと思います。

カイヨワから遡ること20年。ホイジンガは『ホモ・ルーデンス』(=遊ぶ人)を発表しました。人間の本質は、遊ぶ存在であるということです。

教科書をなぞる授業から、学びそのものをデザインする授業へとパラダイムシフトが始まっていると感じています。

その鍵の一つが、「遊び」なのではないでしょうか。私たち教師は授業に「遊び」を取り戻す、取り入れる必要があるのではないでしょうか。

遊びのある授業が、これからの教育を変えるかもしれません。

小清水 孝(こしみず たかし)

目黒区立不動小学校 主幹教諭


フープ1本でできる運動を3つ以上言えますか? 
現場で使える技術、できる実践、リアルな指導法を日々追究しています。
現場の先生方、共に考え、指導法の選択肢を増やしていきましょう! 
NPO教育サークル「GROW5th」代表。

同じテーマの執筆者

ご意見・ご要望、お待ちしています!

この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)

pagetop