仮説を立てる前に考えておきたいこと ―校内研究のための五つの前提―
「今年の研究仮説、どうしましょうか」
その問いの前で止まってしまったことはないでしょうか。
仮説という言葉を書き出す前に考えておきたい、五つの前提を紹介します。
福島市立福島第一小学校 教諭 横山 淳平
校内研究の仮説をどうやって立てていくのか?
前回は、校内研究の出発点を問い直す視点について書きました。右肩上がりのグラフは、私たちが最初から描いていた答えをなぞっているだけではないだろうか、と。
けれど、違和感を書いただけでは、研究主任の仕事は一ミリも前に進みません。四月は来るし、仮説は立てなければならない。
今回は、その先について書きます。私が仮説という言葉を書き出す前に置いておくことにした五つの前提です。
1 課題は、一つに集約できない
研究テーマを決める協議は、たいてい似た道をたどります。各学年から出された課題を持ち寄り、似たものを集め、最後に「主体的に学ぶ子どもの育成」といった一文に落ち着く。誰も反対しません。反対する理由がないからです。
けれど、誰も反対しない言葉は、たいてい誰の教室の話でもなくなっているのではないでしょうか。
一年生の教室と六年生の教室では、課題の姿が違います。同じ学年でも、隣のクラスとは違う。
一つに束ねようとした瞬間、課題は平均的な折衷案へと矮小化され、目の前の一人ひとりの生々しい事実ではなくなっている気がするんです。
だから私は、課題を集約されるべき対象として扱うのをやめました。課題とは、教師と子どもの生活の中に無数に立ち現れてくるもの。ここが第1の前提です。
2 課題は、その都度変わっていく
「自分の考えを話せない子が多い」。4月にそう書いた課題が、夏を過ぎるころには「話せなかったのではなく、まだ話す相手を信頼していなかっただけだった」と見え方を変える。
研究報告では、年度当初の課題設定と年度末の結論が一貫していることが、なぜか美徳のように扱われます。
けれど、一年間子どもと過ごして課題の意味が一度も変わらなかったのだとしたら、それは子どもの成長を見ていなかったということかもしれません。
課題は絶えず変容し続け、変わり続けること自体に価値がある。年度末に「当初の課題設定は適切ではありませんでした」と書けることこそが、実は一番の成果なのではないか。そうも考えるようになりました。
3 授業の目標とは本時のねらいを達成することの連続である
ここまで読むと、何もかもを相対化しているように聞こえるかもしれません。課題が多様で、変わり続けるのなら、何を頼りに研究していくのか。
だから、3つ目にこれを置きます。本時のねらいを達成しようとする意志だけは、揺らがせないということです。
45分の中で、目の前の子どもたちにこれをつかんでほしいという意志は、研究の枠組みや仮説がどう変わろうと、教育活動の根幹だと思います。
ここが揺らげば、他の四つの前提はすべて、ただの言い訳になってしまいます。
仮説は、授業を飾るためではなく、本時のねらいに向かう意志を支えるためにあります。1と2の前提が成り立つのは、この一点が動かないからです。
4 「AをすればBになる」を前提に置かない
前回の続きです。指導と子どもの変容の間に、「AをすればBになる」という単純な因果関係を想定しない。
ある手立てが効いたように見えるとき、そこには数えきれないほどの相関としての要因が同時に作用しています。
その日の天気、前の時間の出来事、隣の席の子がふともらした一言。教師が用意した手立ては、そのうちの一つでしかありません。
ですから、仮説の文末を「〜すれば、〜になるであろう」と書き切ることに、私は慎重でいたいのです。それは検証すべき仮説というより、あらかじめ用意された結論に近い。
効果があったかどうかではなく、そこで何が起きていたかを記述する。そうすることで、仮説は証明のためではなく、教室をよく見るためのレンズとなっていくのではないでしょうか。
5 原因を一つに特定しない
そして最後に、変容の原因を一つに絞り込まない、ということです。
研究協議会では、つい「やはりあの手立てが有効だったのですね」と言いたくなります。けれど、原因を一つに特定することは、そこで働いていた他のすべての要因を消してしまう行為でもあります。
あの子が変わったのは、教師の手立てのおかげかもしれない。班の友達の言葉かもしれない。前の学年の先生が育ててくれたものが、たまたま今、芽を出したのかもしれない。
短絡的に原因を決めるのではなく、教室内の相互作用や環境、経験といった「相関のくり返し」をまるごと受け止める。協議会で交わすべきなのは、どの手立てが効いたかではなく、あの場面で、何が起きていたかという語りではないでしょうか。
複雑なものを複雑なまま引き受ける
5つ並べてみると、決めない、絞らないばかりに見えるかもしれません。実際、これらの前提を置くと、研究はきれいにまとまらなくなります。
それでも私は、複雑なものを複雑なまま引き受ける構えを、研究主任として持っていたいと思っています。
曖昧にするのではありません。本時のねらいを達成しにいく意志があるかぎり、これは逃げにはならないと信じているからです。
みなさんの学校の研究仮説は、どんな前提の上に立っていますか?

横山 淳平(よこやま じゅんぺい)
福島市立福島第一小学校 教諭
早稲田大学大学院教育学研究科修了 修士(教育学)、日本金融教育支援機構教員アンバサダー、東北社会科を面白がる会・ふくしま社会教育士の会事務局、その他FPやICT関係の資格保有。
「子どもがいるから学校がある」をモットーに、教師としてできることを考えています。
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)
この記事に関連するおススメ記事
「教育エッセイ」の最新記事













アグネスの教育アドバイス
映画と教育
震災を忘れない



この記事をクリップ
クリップした記事
ご意見・ご要望










