2026.08.31
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その「変容」は誰の目で見たものですか? ―「観更新型」の校内研究へ―

これまで、校内研究の仮説をどう立てるかについて書いてきました。今回は、その手前にある話です。実態を捉えているのは誰なのか、というところから考えてみます。

福島市立福島第一小学校 教諭 横山 淳平

「発表が苦手」と書いたのは誰か

4月に、学級の実態を書くと思います。
「本学級の児童は、自分の考えを進んで発表することが苦手である」
この時期、似たような一文が全国で何千枚と書かれているかもしれません。

この文を書いたのは誰でしょうか。子どもではありません。教師である私です。

例えば、挙手の回数なら数えられます。30人の学級で、4月のある授業に手を挙げたのは12人でした。ここまでは現象と言っていいと思います。けれども、12人という数字を「苦手である」と読み替えたところに、教師である「私」の判断が入っています。手を挙げない子を、考えていない子と読む教師もいれば、周りの話を聞きながら考えている子と読む教師もいる。同じ12人を見ても、実態の記述は変わります。

増えた数字を「成長」と呼ぶとき

変容についても同じです。3月に「進んで発表できるようになった」と書く。12人が20人になったとしましょう。増えたことは事実ですが、増えたことを成長と呼ぶかどうかは、また別の判断です。発表の回数が増えるのは望ましい、という教育観が先にあります。
話し合いの中で黙って考え続ける時間を大事にする教師なら、同じ20人を見て、「少し急がせたかもしれない」と捉えるかもしれません。

つまり、校内研究で私たちが見ているのは、子どもそのものではなく、「私」の目を通った子どもです。ビデオを撮っても、逐語録を起こしても、そこは変わりません。カメラをどこに向けるか、誰の発言を拾うかを決めているのは、やはりこの「私」なのです。

では、何を言ってもいいのか

こう書くと、「では何を言ってもいいのか」と思われるかもしれません。私は、そうではないと思っています。

1人の目は超えられません。だから、他の人の目を借ります。同じ授業を見た3人が、それぞれ違うものを見て語り合う。

「あの子は困っていた」と言う人がいて、「あの子は考え込んでいた」と言う人がいる。どちらが正しいかを決める必要はないと思うんです。3人が見てそう言える部分と、1人にしか見えていなかった部分とは、突き合わせてはじめて分かれます。
前者は少し確からしくなり、後者はその人の教育観を教えてくれる。これを重ねながら、「共通了解」をつくっていきます。

事後の協議会は、授業者の指導技術をジャッジする場ではなく、本来これをやる場だったのではないでしょうか?

また、子ども本人に聞く道もあります。あの場面で何を考えていたのかを確かめると、こちらの見取りが外れていたと分かることは多いものです。それでも、聞いた言葉を解釈するのは「私」です。教師という枠から完全に出ることはできません。出られないと分かったうえで、外の目を入れ続けるしかないと思うのです。

1年で更新されるのは何か

そうだとすると、1年の校内研究で更新されるものは何でしょう。

厳密に考えると、子どもの姿だけではないと思います。更新されるのは、教師の見方の方でもあります。同じ教室に立っていても、4月の私と3月の私とでは、見えているものが違う。何を良しとするかが変わり、どこで手立てをとるかが変わります。教育観が動いた分だけ、次の授業での判断が変わっていくと思うのです。

「観更新型」と呼んでみる

だとすれば、1年の終わりに書き残すことも変わってきます。今年1年で、私たちの見方はどう変わったか。何を子どもの変容と呼ぶようになったか。4月には見えていなかったどんな姿が、3月には見えるようになったか。「子どもがこう変わりました」と証明してみせるよりも、ずっと確かなことが書けるはずです。

こうした進め方を、「観更新型」と呼んでみたいと思っています。効果検証型と並べると、違いがはっきりします。効果検証型は、子どもの変容を成果として示す。一方、観更新型は、教師の観の更新を成果として示す。
子どもを見ないわけではありません。むしろ子どもの姿を持ち寄る頻度は上がります。持ち寄ったものを証拠として使うか、互いの目を確かめ合う材料として使うか。その違いです。

もう1つ枠をもつ

校内研究が「やらされるもの」になるのは、もしかしたら証明を求める形式に当てはめようとするからかもしれません。

この話をすると、「そうなんだよね」と話してくださる方がいます。薄々気づいている先生方は多いのだと思います。誰かが悪いわけではありません。無理があるのは人ではなくて、当てはめようとしている枠の方です。

「観更新型」という言い方がどこまで使えるものかは、まだ分かりません。ただ、名前をつけてみることで、研究をする枠組みが1つ広がると思います。

もっとも、「観が更新されました」で終わらせては、これも別の意味で無責任になってしまいます。では、どう進めるのか。対象群を置けない教室で、数字はどう扱えばよいのか。授業者が自分で分析することの弱みと、そこにしかない強みは何なのか。そのあたりも考えていきたいなあと感じています。

2学期が始まりました。校内研究も、ここから本格的に動き出す時期です。それぞれの学校になじむ枠が、それぞれの現場から立ち上がっていく。そう考えると、今年の研究が少しわくわくするものになってきませんか?

横山 淳平(よこやま じゅんぺい)

福島市立福島第一小学校 教諭


早稲田大学大学院教育学研究科修了 修士(教育学)、日本金融教育支援機構教員アンバサダー、東北社会科を面白がる会・ふくしま社会教育士の会事務局、その他FPやICT関係の資格保有。
「子どもがいるから学校がある」をモットーに、教師としてできることを考えています。

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