探究に手応えがないとき、教室で起きていること
「探究って、結局やって意味あるの?」
「生徒が受け身で、テーマも決まらないんです」
ここ数年、職員室や研修の場で何度この言葉を聞いたかわかりません。
立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任) 酒井 淳平
「結局やって意味あるの?」と悩む学校現場のリアル
今、探究の取り組みは確かに広がっています。現在の学習指導要領が実施されて以降、ほとんどすべての学校で「総合的な探究の時間」のカリキュラムが整備されました。探究発表会が開かれ、地域と連携した取り組みも増えています。かつて、総合がおまけのように扱われていたことを思うと、この変化は大きな前進です。
それでも、どこかに手応えのなさが残っている学校は少なくありません。生徒はテーマを決め、調べ、まとめ、発表します。発表会には地域の方も来校し、一見すると探究は定着したように見えます。
けれども「なぜこのテーマにしたの?」と聞くと、生徒がうまく答えられない。発表会に向けての準備や調整は大変なのに、生徒の目が輝かない。
ある学校での探究発表会後のことです。生徒たちはスライドを使って堂々と発表し、会場からは拍手も起こりました。けれども、終わった後に「どうだった?」と声をかけると、「大変でした。特に学んだことや気づいたことはないです」という言葉が返ってきました。
うまくいっているように見える。でも、どこかに手応えがない。
「やっているのに、手応えがない」。そんな感覚が、学校に残っているように感じます。この感覚は徒労感や取り組みの意義を感じないことにもつながることがあります。
手応えがないときに、起きている3つのこと
手応えがないと感じるとき、教室では何が起きているのでしょうか。いくつかの学校(もちろん勤務校も含みます)での実践を振り返ると、大きく3つのことがあるように思います。これらは、探究が失敗しているサインというより、探究についての「誤解」が生じ始めているサインなのかもしれません。
一つ目は探究に取り組む目的が外側にあることです。社会のため、評価されるため、正解を探すため。これらはすべて目的が外側にあります。この側面が強くなりすぎると、生徒にとってはやらされるものとなってしまい、学びが自分事になりにくいのです。
二つ目は教師が背負いすぎていることです。学ぶのは生徒ですが、教員は生徒のことを思うあまりつい探究を自分事にしてしまいがちです。その結果、生徒の代わりに先生が考えたり、コンテスト受賞などの成果のために指導をしすぎてしまうときがあります。
こうなると生徒にとっての学びは弱くなってしまいます。生徒が変化する姿は教員の疲れを吹き飛ばしてくれますが、学びが弱いとそうした場面に出会う確率も低くなり、仕事だけが増えていく感覚が残ります。
三つ目は成果物で判断してしまうことです。成果物や発表だけを見ると、作品の質や発表の出来にはどうしても差が出ます。しかし、私たち教員が本来見たいのは結果ではなく、その過程での生徒の変化や成長のはずです。成果物だけで判断すると、プロセスが見えにくくなってしまいます。
成果物の完成度よりも生徒の変化や成長に価値を見いだす
もしかすると、私たちはうまくいっているかどうかを見ようとしすぎているのかもしれません。探究においても成果物や発表はあくまで結果です。大切なのは生徒の学びや成長のはずです。わかっているようで、実は見失いやすいポイントかもしれません。
例えば、文化祭や体育祭などの学校行事でも、結果として賞を取ることはありますが、私たちはそのプロセスにこそ価値を見いだして生徒と関わっています。探究も同じように考えることができるのではないでしょうか。
結果として良い成果物ができることもあります。しかし、それが目的ではない。生徒の学びが動いているかどうか。そこに目を向けることで見える景色は変わってきます。
「何も興味がない」と言っていた生徒が、学びを通じて自分の好きなことを少し見つけてまとめる。そうした小さな変化の中にこそ、学びの価値を感じるのではないでしょうか。
手応えがないと感じるとき、教師の側にも迷いが生まれます。「このままでいいのだろうか」「やり方が間違っているのではないか」。こうした不安が積み重なることで、探究そのものに対する見方も揺らいでいきます。
しかし、手応えがないのは珍しいことではなく、むしろ自然なことかもしれません。もしかすると、それは「うまくいっていない」のではなく、「まだ見えていないだけ」なのかもしれません。こう考えると、今感じている手応えのなさにも、少し違った意味が見えてくるように思います。
そして大切なのは、その背景で何が起きているのかに目を向けることなのだと思います。それこそが何かに気づくための入口なのでしょう。私自身、こうした現場の手応えのなさを手がかりに、探究が行き詰まりやすい背景や、そこで生じやすい「誤解」について整理を続けてきました。
手応えのなさに出会ったとき、それを失敗と片づけるのではなく、どんな誤解が起きているのかを丁寧に見直すこと。そこから探究を立て直せる場面は、少なくないように感じています。
今後も、現場で感じたことを手がかりに、探究について考え続けていきたいと思います。

酒井 淳平(さかい じゅんぺい)
立命館宇治中学校・高等学校 数学科教諭(高校3年学年主任・研究主任)
文科省から研究開発学校とWWLの指定を受けて、探究のカリキュラム作りに取り組んでいます。
キャリア教育と探究を核にしたカリキュラム作りに挑戦中です。
ご意見・ご要望、お待ちしています!
この記事に対する皆様のご意見、ご要望をお寄せください。今後の記事制作の参考にさせていただきます。(なお個別・個人的なご質問・ご相談等に関してはお受けいたしかねます。)
この記事に関連するおススメ記事
「教育エッセイ」の最新記事













アグネスの教育アドバイス
映画と教育
震災を忘れない



この記事をクリップ
クリップした記事
ご意見・ご要望










