なぜ今、「自走する学習者」が求められるのか?〜教室の外とつながる探究へ、生徒の問いを社会に開く〜(第2回)
前回は、自走する学習者が求められる背景について考えました。
今回はその続きとして、生徒の問いを教室の外へ開いていくために、日々の授業や学校生活の中でどのような土壌をつくることができるのかを考えます。
「好き」や違和感を探究の入口にし、身近な実感を社会との対話へつなげる環境設計に目を向けます。
花園中学高等学校 社会科教諭 伏木 陽介
はじめに――自走のエンジンは、どこでかかるのか
問いが動き出す環境を考える

企業の方々との対話が、生徒の探究を動かすきっかけになる
これからの学校教育では、生徒の主体性を大切にしたいという思いと、決められたカリキュラムを確実に進めなければならないという現実があります。その間で揺れながら、私たちは日々の授業をつくっています。
しかし、「自分で問いを立てよう」「主体的に学ぼう」と声をかけるだけで、生徒がすぐに走り出すわけではありません。多くの生徒は、そもそも何を問えばよいのか、自分の関心をどのように学びにつなげればよいのか、その手前で立ち止まっています。
自走には、エンジンがかかるための環境が必要です。
そこで今回は、生徒の問いを教室の外へ少しずつ開いていくために、学校の中でどのような土壌をつくればよいのかを考えます。
日々の授業、ホームルーム、行事、進路指導の中で、先生方がすでに行っている声かけや活動を、少しだけ社会と接続していく。その小さな仕込みの積み重ねが、生徒の自走を支える土台になるのではないでしょうか。
「好き」をそのまま終わらせない
小さな関心を学びの入口にする

小さな好きや疑問が、探究の入口になる
外部との交流を前提とする際にも、普段の授業などで生徒から発せられる、生徒の「好き」や「気になる」を軽く扱わないことが大切だと思います。
生徒が何かに関心を示したとき、私たちはつい「それで何がわかるのか」「社会課題とどう関係するのか」と、すぐに学問的な形や社会的な意義を求めてしまいがちです。
また、授業の進行を意識するあまり、授業者(教師)側の関心が大きく影響し、「それは今の授業には関係ないから」と捨象してしまうこともあります。
しかし、その前にある小さな関心を急いで整えすぎる、あるいはその部分を軽視し、テーマや目的に応じた問いに大人側が執着しすぎると、時によってはそれは生徒にとって「自分の問い」ではなく、「先生に認められそうな問い」になってしまうことがあります。
また、「大人はこれを探究テーマ・学びのテーマとして取り上げれば喜んでくれる」「先生を困らせないだろう」といった忖度に似た状態を引き起こすことにもつながりかねません。
授業や学習内容に対しての「自分なりの素朴な感想や思い」がすくい上げられないこと自体が、「どうせ、自分の問いはこの先の自分につながらない」と速断する先入観につながってしまいかねません。
そのようにならないためには、生徒が授業に寄せた思いを記録し、あるいは深掘りして、今後の学びへのきっかけに転換することも対応の一つです。
例えば、まずは生徒の関心に対して、問いを一つ添えることから始めてみるのはどうでしょうか。
「なぜそれが気になるのか(背景)」「誰にとって大切なことなのか(効用・効果)」「それを知ると、何が少し変わるのか(変化)」。このような問いかけは、特別な時間を新たに設けなくても、授業中の発言、振り返りシート、面談、休み時間といった、ちょっとした雑談の中で行うことができます。
ただ、これらを教員が個別にやり続けるのは時間的に限界があります。そこで有効なのが、仕組みに落とし込むことです。
私がかつて所属した学校では、学級日誌に「今日の疑問」を日直が書く欄がありました。学級日誌は日直が輪番で回していきますので、その疑問も共有されます。
他者理解とともに、疑問を創出する、日頃の小さな発見が、後に大きなリサーチクエスチョンにつながることもあります。
このように、教員が一人で頑張るのではなく、日誌の枠組みを使って、生徒同士で疑問を共有・可視化させる仕組みに落とし込む。そうしたアイデアと実践も、時には有効かもしれません。
また、私自身、生徒の関心を受け止めるとき、「それは面白いね」で終わらせず、「それを誰かに説明するとしたら、どこが面白さの中心になる?」「どうすればそれを追究できるかな」「探究テーマにしてみたらどうだろう」といった形で返すことも意識しています。
教員が、生徒の考えてきた疑問を本気で深掘りし、向き合うことが大切です。すると、生徒は大人が自分の問いを承認してくれることを認識することもあるし、自分の関心を少し客観的に再度確認し始めることもあります。
ここに、問いが外へ開き始める最初のきっかけがあると思います。
これらの蓄積がある生徒は、いざ外部との交流があった時に、自分の引き出しにある問いを投げかけ、学びの活動を大きく進展・拡大することもできるかもしれません。
「すごいテーマ」より「自分で語れるテーマ」
大きな社会課題を身近な実感から始める

いつもの場所を違う目で見ることから、問いが生まれる
また、探究活動では、環境問題、少子高齢化、地域活性化、AI、ジェンダー、多文化共生など、大きなテーマが並ぶことがあります。それはどれも大切なテーマや社会課題です。
しかし、テーマが大きいほど、生徒はそこに自分が関わる手触りを持ちにくくなることがあります。
私が感じるのは、中高生にとって必要なのは、最初から立派なテーマを掲げることではなく、自分の言葉で語れる入口を見つけることだということです。たとえば「地域活性化」というテーマをいきなり扱うのではなく、「自分が休日に行きたい場所が近所に少ないのはなぜか」「学校帰りに立ち寄れる居場所にはどんな条件が必要か」「通学路で不便を感じるところはないか」「電車やバスで不便を感じることはないか」「ご家庭や地域で困っていることはないか?」と問い直す。
すると、同じ社会課題でも、生徒にとってその課題は近いものになります。
たとえば、生徒が何気なく「近所に遊ぶ場所が少ない」とつぶやいたとします。そこで教師がすぐに「地域活性化の問題だね」とまとめてしまうのではなく、「それは誰にとって困ることなのだろう」と問い返してみる。
すると、生徒は友人との対話の中で、「中高生が放課後に過ごせる場所が少ない」という少し広い問いに言い換えていくかもしれません。
さらに、地域の方や保護者に話を聞く機会があれば、「居場所づくりにはどのような難しさがあるのか」「安心して立ち寄れる場所にはどのような条件が必要なのか」といった問いへ発展していきます。
最初は個人的な不満や違和感に見えたものが、友人との共有や外部との接続を通して、社会とつながる探究テーマへと少しずつ育っていくのです。
授業でも同じです。
私は社会の教員なので、歴史の授業で例えると、単に制度や出来事を理解するだけでなく、「もし自分がその時代の人だったら、何を不安に思うか」「今の社会と似ている点はないか」と問いをずらしてみることがあります。
教科書掲載の資料を自らの地域の資料や自己体験に置き換えてみることもあります。
あるいは理科であれば、教科書の知識を身近な生活や地域の現象と結びつけ、通学路にある似たものを事例として置き換えてみること。国語であれば、作品の主題を現代のコミュニケーションや自分の経験、ゲームや生徒がよく見るメディアと往復させてみるといった、日常と教科の接続の試みです。
これは毎時間の授業を丸ごと探究に変えるという意味ではありません。単元の導入のわずか1分、あるいは振り返りの3行を使って問いを往復させるだけで十分です。
通常のカリキュラムの進度を維持しながらも、小さな接続は可能です。
探究の時間だけでなく、教科の授業そのものを自分の問いが生まれる場に変えていきます。生徒の自走力は、特別な時間の中だけで育つのではなく、日常の生活、特に教科学習の中で少しずつ育っていくものなのだと思います。
そのような意味で、通常の授業の中でも探究的な学びの手法を取り入れることが、結果的にさまざまな教育活動での自走性を育むことにつながると考えています。
外部とつながる前に、教室の中で問いを言葉にする
仲間に伝える経験が社会との対話を支える
このように、外部連携の効果を高めるためには、まず日頃の素朴な疑問を集約し、課題を自分ごと化していくことが不可欠です。
そして、その自分の中にある問いを言語化し、友人や大人に伝わる言葉にしていく。つまり他者に向けて開くステップへと進めていきます。
具体的にはそれらを定期的に文字に起こしておくことが重要です。
といっても、大がかりなレポートを課す必要はありません。普段使っているICT端末の共有ドキュメントに1行打ち込ませる、あるいは振り返りシートの余白にメモさせるなど、生徒にとっても教員にとっても最も手間のいらない方法で残すことが、継続のコツです。
これらの活動は、一見地味ですが、反復して行うことで、生徒たちの方から新しい課題意識や発想が現れることがあります。
意図的に記録しないと、これらの発言や発見は記憶から薄れ、いざという時に出てこなくなります。
これらの活動は生徒が自分の問いを内面化する大切な準備になります。
外部の大人と出会ったとき、生徒が最も戸惑うのは、知識量の差だけではありません。自分の考えを、相手に伝わる言葉で説明する経験が不足していることも大きいのです。
まず教室の中で、友人という身近な他者に向けて自分の問いを語る経験を積ませ、文字化・言語化しておく。その積み重ねが、やがて社会との対話に向かう足場になっていきます。
「本物の知」と出会う前後を設計する
出会いを一過性の刺激で終わらせない

外の世界と出会うことで、教室の問いが動き出す
そして、そのような教室での日々の取り組みを前提とした場合、外部の専門家や企業の方、地域の方々と出会う機会は、生徒にとって大きな起爆剤、跳躍の機会になります。
普段の授業では聞けない話や、大人が本気で悩むリアルな課題に触れるとき、生徒の中にあった素朴な疑問やモヤモヤが、外部の刺激とカチッと接続します。
この瞬間こそが、大きな理解と「さらに知りたい」という自走への原動力となるのだと思います。
しかし、外部と出会う機会は、単発のイベントで終わってしまいがちです。大切なのは、出会いそのものよりも、その前後をどう設計するかです。
事前には、「何を聞くか」だけでなく、今までの教室の授業や生活で培った疑問を基に、「自分は何を確かめたいのか」を考えさせる。
事後には、「印象に残ったこと」だけでなく、「自分の考えはどう変わったのか」「次に調べたいことは何か」を振り返らせます。
この前後のマインドセットを教師が伴走し、生徒がそれを踏まえることで、外部の専門家や企業、地域の方々との出会いは、単なる刺激から学びの更新へと変わっていきます。
大きな連携事業でなくても、オンラインで話を聞く、地域の方に質問をする、卒業生に経験を語ってもらう、詳しい保護者に聞く、保護者の仕事について短く紹介してもらうなど、始め方はいくつもあります。
重要なのは、外部の人を呼ぶこと自体ではなく、その出会いによって生徒の問いがどう変わるかに意識を向けることです。
そのために、大がかりな計画を新しく作る必要はありません。普段の授業と同じ感覚で、総合的な探究の時間やLHR、あるいは教科の単元の合間を使い、外部との出会いの前後の1コマをセットで設計しておくだけで十分だと思います。
次回へ――社会とつながった学びを、どう自走へつなげるか
外との出会いを継続的な学びへ
以上のように、今回は外部とつながる上で、普段の授業や学校生活でどのようなことに意識を向けていくべきかを考えてきました。
生徒の小さな疑問や感想をすくい上げて記録に残していくこと。そしてそれらを外部との交流に有機的に活かし、前後の学びを地続きにデザインすること。
こうした日常の小さな仕込みの積み重ねこそが、生徒の背中を外の世界へと力強く押し出す、何より強固な土壌になるのではないでしょうか。
次回は、年間を通して外部とつながる探究活動やNPOや学生との交流プログラムが子どもたちにどのような影響を与え、どのような点が課題となるかを中心に考えていきたいと思います。

伏木 陽介(ふせぎ ようすけ)
花園中学高等学校 社会科教諭/中高一貫(ディスカバリー)コース統括・ICT担当、東西探究交流会代表
長年にわたり、探究学習のプログラム策定や実践に携わってきました。
学校や授業の改革には何が必要かを考え、現場でのチーム作りや実践を重ねております。
また、大学などの「学術知」を中高の教科指導とどう結びつけるかを追求し、共通テストの分析やICTとの接続等の教材開発に取り組んでおります。
こうした経験を活かし、未来の学びの創造に貢献したいと考えています。
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