2025.06.13
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被災地福島県双葉町を再び訪ねて~原発被災地・双葉町の5年を見つめて

毎年春先に、福島第一原子力発電所事故で全町避難を余儀なくされた、福島県双葉町・大熊町を訪ねています。

さいたま市立植竹小学校 教諭・NIE担当 菊池 健一

復興する町?

 

双葉町から福島第一原発方面を望む

東日本大震災で甚大な被害を受けた福島第一原発が立地する双葉町・大熊町。ここは長い間帰宅困難区域に指定され、住民は別の場所に避難していました。それから十数年がたち、人が立ち入りできるようになったのは数年前のことです。そして集中的に除染された地域では、避難指示が解除され、住民が帰還できるようになりました。そんな様子がテレビや新聞でも報道される中で、「福島の被災地は復興に向けて着実に進んでいる?」「それとも、本当の意味での復興と言えるの?」という両面からの意見が聞こえてきます。

今回1年ぶりに双葉町を訪ねました。この5年間、毎年足を運び、現地の様子を見てきました。今回訪れた際に、駅に降り立ってまず思ったのが「まわりに人がいる!」ということです。初めて訪ねた2020年には人の姿を見かけませんでした。
駅前にある町役場の隣には商業施設が建設中で、立ち入りができるようになった海側には多くの企業が建物を建て始めました。原発事故を伝える伝承館やホテルもできました。新しい道路も建設中です。埼玉から来た私には順調に復興しているように見えます。最近では新聞やテレビの報道でも、復興してきた町として紹介されています。

しかし、そこで頭をよぎったのは、以前聞いた「いくら建物を建てても復興にはならないですよ」という、地域の語り部の方の言葉です。震災前は町から見えていたであろう豊かな海も、今では高い防潮堤が建ったために見えなくなりました。また、町から少し進むと未だにバリケードがあり、その向こうはたくさんの除染土が眠る中間貯蔵施設になっています。
本当の復興って何だろう……そんな問いを自分に投げかけてみました。そして、その答えを得るためには、町の移り変わりの様子をこの目で見ないといけないと思いました。ご縁があって現地の方に話を聞くこともできます。これからも私なりに復興に向かう町を見守りながら、エネルギー問題などについて子どもたちと考えていきたいです。

語り部の方の話を聞いて

双葉町にできた原子力災害伝承館では、被災された語り部の方の話を聞くことができます。今回は当時、南相馬市に住んでいた方から話を聞きました。
語り部の方は当時、南相馬市から仕事で福島第一原発近くに来ていたそうです。震災の当日は車の中で大きな揺れに遭い、その後、高台に避難しました。しかし、その方の知人は、家で待っているかもしれない家族を迎えに行ったために、津波に巻き込まれて亡くなったということでした。
地震や津波の被害で大変な被害を受けたうえに、原子力災害によってさらに大きなダメージを負ったのだと改めて気づかされました。

やはり、今回のように定期的に語り部の方の話を聞くことによって、震災の大きさや普段からの備えの大切さが改めてわかります。そして、自分が住む地域の防災は大丈夫なのか……常に見直していかなければならないと感じました。また来年、この地を訪れたいと考えています。

これからも見守っていく

双葉町に立ち入りができるようになって約5年。居住のできない土地には、居住用建物以外の企業の建物などが建ち始めました。また、重点的に除染され居住できるようになった地域も、少しずつ広がってきているようです。
よそから来た私にとっては、少しずつ着実に「復興」しているように映ります。しかし、語り部の方の言葉も常に頭をよぎります。
これから、どのように町が変わっていくのか、見守っていきたいと考えています。そして私は、教師として授業づくりに生かしながら、子どもたちに震災について伝えていきたいと思っています。

菊池 健一(きくち けんいち)

さいたま市立植竹小学校 教諭・NIE担当
所属校では新聞を活用した学習(NIE)を中心に研究を行う。放送大学大学院生文化科学研究科修士課程修了。日本新聞協会NIEアドバイザー、平成23年度文部科学大臣優秀教員、さいたま市優秀教員、第63回読売教育賞国語教育部門優秀賞。学びの場.com「震災を忘れない」等に寄稿。

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