2020.07.30
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授業実践からみる「書く」指導part2(第7回)

前回は3年生の「書く」指導について紹介させていただきました。今回は、高学年(6年生)の「書く」指導について紹介させていただきます。

明石市立錦が丘小学校 教諭 川上 健治

光村図書「未来がよりよくあるために」

前回は中学年の「書く」ことについての具体的な授業実践を紹介させていただきました。今回は、高学年(6年生)における「書く」ことについての授業実践を紹介させていただきます。

紹介させていただく教材は、光村図書の「未来がよりよくあるために」です。私は、何年生を担任しても、国語の授業に関して、なるべく最終的にクラスの子ども達が行う言語活動を生活と切り離して考えたくありません。学びの必然性を大事にしたいと思っています。前回のビブリオバトルでも、「あらすじ指導」は指導事項に入れてはいましたが、単なるそこの指導に留まっては面白くありませんし、実際に子ども達が主体的に学び、使える知識にはならないと感じました。そこで、あえてビブリオバトルという活動を最終目的に置くことで、あらすじを学ぶ必然性が出てきます。

指導事項と単元終末の言語活動がうまくつながりあるものになれば、子ども達も主体的に学ぼうとします(終末の言語活動が子ども達にとって魅力的なものであるのならばなおさらです)。今回の実践でも学びの必然性を大切にしています。

1.必然性がある相手意識をもたせた上での「書く」指導

さて、この子達は、この単元を学ぶ前に、平和学習のため、修学旅行で広島に行っています。現地では、袋町小学校や平和記念公園など被爆地へ赴き、戦争の悲惨さや平和の大切さを学んできています。また、そこでは、語り部さんから貴重な体験談を聞かせて頂く時間もとりました。そういう経験をしている子達ですので、なんとか、本教材を、その体験に結び付けたいと考えました。それが「学びの必然性」と考えたからです。

そもそも、この単元では、「意見文」を書くことを目的としていました。ただ、相手意識もない意見文ほど、面白くないものはなく、また、それを書いたところで、生きて働く力には到底なりえません。もちろん、主体的ではなく、書かせられるだけの受け身の意見文にもなります。そこで、まずは、相手意識をもたせることから始めようということで、単元名を「平和への意見文を語り部さんに伝えよう!」と題し、「実際にみんなが書いた意見文を語り部さんのお家に送るよ」という相手意識をもたせました。そして、「その意見文の書き方をこれから学習するよ。」と伝えました。

相手意識をもつのともたないのとでは、これから学習する上での意識もずいぶん変わってきます。しかし、架空の人物や関係の薄い人物を対象にするのも現実的ではありません。今回は、クラスの子達にとっても、たくさんの実体験を聞かせて頂いた語り部さんを相手としたところがポイントでした。これで、「意見文を書く」ということに必然性が出てきました。そして、これにより、これからの学習は「どう書けば、自分の思いを上手に伝えられるか」という書き方の工夫に焦点が当てられます。

2.「レベル分け」をした意見文

相手意識をもたせることで、「書き方の工夫」に焦点があたりました。では、書き方の工夫はどうすればよいか。学習指導要領の「書く」指導事項には、「目的や意図に応じて、感じたことや考えたことなどから書くことを選び、集めた材料を分類したり関係付けたりして、伝えたいことを明確にすること」や「筋道の通った文章となるように、文章全体の構成や展開を考えること」などが含まれています。

従って、まずは、教材文から「双括型」「常体」「意見に対する根拠、反論が書かれていること」「具体例が用いられていること」の4つの観点が重要であることをおさえます。おさえた上で「では、この4つの観点を入れて書きましょう」といっても、書ける子は書ける、書けない子は書けない状態になります。特に、ここでの分かれ目は「反論」にあると思いました。正直、6年生にもなると、双括型で書くことや常体で書くことは、そこまで苦にならないとふみました。なぜなら、今までも学習してきているからです。しかし、この「反論」となると、6年生にとっては、初めてのことで、大人でもしっかりとした反論を書こうとしたら難しいものだからです。そこで、この反論を2つのレベルに大別しました。

レベル1は「自分の意見の裏返しから反論を考える」です。レベル2は「根拠となる出来事や資料から反論をつくる」です。このレベル分けの内容自体は、今でも妥当だったかは分かりませんが、自分がどの反論パターンで書いていくのかのレベル自体を自己決定できることは、特に書くことが苦手な児童にとっては大切なことであると思います。

まとめ

以上、高学年の「書く」ことについて紹介してきました。「書く」ことは、特に高学年の児童は敬遠しがちになってきます。その中でも、「学びの必然性」を保ち、また、レベルを自分で選択決定し、「自分でも書けそう」と思ってもらえる手立てをうつことは、非常に大切なことです。教科書も新しい内容になり、この教材もなくなってしまいました。しかし、「学びの必然性」を考えることや自分の学習レベルに応じた内容を選択できることなどは、どの内容でも普遍的なものであると思いますので、ご参考までに。

また、この詳しい指導案につきましては、学びの場.comの指導案のサイトにも投稿しております。

川上 健治(かわかみ けんじ)

明石市立錦が丘小学校 教諭
クラスの全員が楽しく学び合い「分かる・できる」ことを目指して日々授業を考えています。また、様々な土台となる学級経営も大切にしています。

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