2018.02.20
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「当たり前」の違いから

これまでの経験によって、一人ひとりの「当たり前」が異なります。それを活かした学級経営や、学習指導をしていく必要があります。

京都教育大学附属桃山小学校 教諭 若松 俊介

私には3歳の娘がいます。
話せる言葉がどんどん増えてきており、
一緒に遊んだり、話したりすることがさらに楽しくなりました。

遊んだり、話したりしている時に、
よく親指を立てるポーズをします。
娘の親指と私の親指を突き合わせて楽しんでいます。

ある日、私が「グーっ!」っと言ったら娘が少し戸惑いました。
親指を立てて「グーっ!」ってよく言うことなのに。
なぜ娘が戸惑ったと思いますか?

「どうしたの?」と聴くと、

「親指を立てても『グー』、なくても『グー』ってどういうこと?」
と聴いてきました。

娘からしたら同じ「グー」なのに、
親指を立てる場合もあれば、立てない場合もあるから、
よく分からなくなってきたんでしょうね。

親指を立てる「グー」は「good」の「グー」。
親指を立てない「グー」はじゃんけんの「グー」。

うまく伝わったかは分かりませんが、
違いを丁寧に説明しました。
戸惑いも少しずつ消えていったようです。

正直、大人になってこんなことを考えたこともありませんでした。
娘の一言に驚かされました。
経験するにつれて「当たり前」になってきていることがあり、
ただ、他の人にとっては「当たり前」ではないのだと気づかされました。
経験の少ない娘なんてもっと「当たり前」が少ないんですよね。

教室の子どもたちも同じです。
みんな違った経験をしています。
獲得している言葉や知識も全く違います。

ついつい自分の「当たり前」をもとに話してしまいますが、
子どもたち一人ひとりの「当たり前」と照らし合わせていかないと、
どんどん溝が生まれてくるのだなと改めて思いました。

授業をおこなう時も同じです。
目の前の子どもたちの「今」を知ることで、
どんな授業をするかが変わってきます。

これらを無視することはいつでもできます。
教師本意で授業をすることは簡単です。
でもなぁ・・。

子どもたちの「当たり前」が違うからこそ、
学び合う集団になっていくことにもしていけますね。
こうした「当たり前」の違いを楽しめる学級になればいいなと思います。

娘のふとした一言から、
改めて、子どもたちとの向き合い方を考えさせられました。

若松 俊介(わかまつ しゅんすけ)

京都教育大学附属桃山小学校 教諭
「子どもが生きる」授業を目指して、日々子どもたちと共に学んでいます。子どもたちに教えてもらった大切なことを、読者の皆様と共有していければ幸いです。国語教師竹の会所属。

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