これは、ある日の子どもの日記です。
「教えることの大切さと難しさ」
さっきまで、妹に算数の掛け算の2けた×2けたの筆算を教えて欲しいと言われたので教えていました。
でも実際普通にやっているからどう教えていいのかわからなかったです。
参考書を見てもまだ3年生なので専門用語的な言葉がわからなかったりして結局はわからないままでした。
最終的に、私が粘り強く教えたので分かってくれました。
前もふり返りで書いたことだけれど、やっぱり教えることの方が分からない時よりも不安に満ち溢れているのでとても大変です。
教えられている時に、分からなかったらそれはそれで不安になるけれど、
実際教えている方が途中で詰まってしまったり、どうやって教えたらいいかが分からなくなってきたりしやすくて、
教えられている時よりも不安がとても浮かび上がってきます。
そういうところからも、やっぱり教えるという事は大変だということが分かりました。
特に、年下の方が言葉の知識量とかも少ないし専門用語や難しい言葉を使ってしまうと逆に分からなくなって相手を不安にさせてしまいます。
なので、今度から教えるときは相手のことも考えながらしっかりと分かっているのかどうかなどを確認しながら進めていきたいと思います。
自分が分かっていることを、分かっていない相手に伝える事はとても難しいです。
この子は、家でも学級での学び合いと同じような経験をしたので日記に書いてきました。
異学年という事で、余計に難しく感じたのでしょう。
ただ、これって同学年でも同じ事です。
一人一人が持っている知識量は違います。
算数が得意な子もいれば、国語が得意な子もいます。
算数でも「割合」が得意な子もいれば、「速さ」が得意な子もいます。
その中で、「教えることの大切さ」を子どもたちが感じたら、学び合いはうまくいくでしょう。
実は、「教える」ことも学ぶことだからです。
「実際普通にやっているからどう教えていいのかわからなかったです。」
と、「普通にやっていること」を細分化して説明していくことでメタ認知力も高まります。
「教えよう」「伝えよう」とする事は、より深い理解へとつながります。
「分かっているつもり」だった自分に出会うこともできます。
「教えることの大切さと難しさ」を一人一人が感じられると学級の学びの質はぐっと高まります。
何となくの学び合いで終わらせるのではなく、常にそこを意識して取り組んでいきたいと思います。
若松 俊介(わかまつ しゅんすけ)
京都教育大学附属桃山小学校 教諭
「子どもが生きる」授業を目指して、日々子どもたちと共に学んでいます。子どもたちに教えてもらった大切なことを、読者の皆様と共有していければ幸いです。国語教師竹の会所属。
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