2023.03.28
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福島から東日本大震災を学ぶ(4) 新聞記者と被災地の子どもたちから学ぶ(さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池 健一さん)

東日本大震災を取り上げた授業を、さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さんが6回にわたって紹介します。菊池さんが実際に福島県の被災地を訪れ、復興する様子などを視察した経験から授業を組み立てました。第4回では、被災地を取材した新聞記者を講師に招いて話しを聞き、福島県大熊町の町長や小学生とオンラインで交流しました。

被災地を取材した記者から学ぶ

児童に話をする読売新聞の高貝記者

毎年の実践で、NIE(教育に新聞を)との関連を図り、被災地を取材した記者を講師として招聘し、子どもたちに被災地の取材について話をしてもらっています。
今年度講師にお呼びしたのが、読売新聞社の高貝丈滋記者です。
高貝記者は、以前はいわき支局の担当として主に福島県の被災地の取材をされてきました。
原発事故のために避難をした子どもたちはどうしているのか…お年寄りはどんなことで困ったのか…など、当時の詳しいことを子どもたちに話していただこうと考えました。

児童にメッセージを送る大熊町の吉田町長

記者を招いて話をしていただく前に、講師である記者の書いた記事を児童と一緒に読むようにしています。そうすることで、児童の関心が大いに高まります。
今回は高貝記者の書いた、被災地・福島の学校や子どもたちに関する記事を提供いただき児童に紹介しました。震災当時、福島県の双葉町や大熊町では全町避難を余儀なくされ、子どもたちも元の学校に帰ることができませんでした。スクールバスで避難先の会津若松市の小学校へ通う姿、数年ぶりに避難区域の小学校に戻り荷物を懐かしそうに見つめる姿などを記事から読み取り、子どもたちはぜひ記者から話を聞きたいという気持ちを高めていきました。

授業当日、高貝記者は子どもたちに取材した時の写真を示しながら当時の様子や今の被災地の様子を解説してくれました。震災当時、全町避難をした大熊町の人たちは、すぐに町に戻ってこられると思って避難をしたこと、そしてその後12年も帰ることができなかったことなど…子どもたちの関心があることばかりでした。
特に、大熊町にあった熊町小学校・大野小学校・大野中学校の3つが一緒になった学校が会津若松市に避難をしており、「学び舎ゆめの森」という名前に変えているということ、そして、この4月に大熊町に戻ってくることなどを聞きました。事前に大熊町の「学び舎ゆめの森」の子どもたちと交流をすることが決まっていたので、子どもたちは「学び舎ゆめの森」の話を真剣に聞いていました。

高貝記者の計らいで、大熊町の吉田淳町長からもオンラインでメッセージをいただくことができました。大熊町が復興を目指して努力をしていること、そして、子どもたちが地域の方と学べる学校をつくっていることなどを説明していただきました。子どもたちにとって町長から話を聞く貴重な機会となりました。

福島県大熊町の子どもたちとの交流

「学び舎ゆめの森」の小学生に質問をする児童

今回の学習で、楽しみにしていたのが福島県大熊町の小学生との交流です。大熊町の小中学校から会津若松に避難をした子どもたちが新しい学校である「学び舎ゆめの森」で学んでいます。この4月から、居住ができるようになった大熊町の大川原地区に新しい校舎が完成し、帰還される予定です。
現在、担当する子どもたちは東日本大震災が起こった当時はまだ生まれてはいませんでした。当時の記憶はなく、人から伝え聞いた情報しかありません。そこで、被災地の小学生が今どのように学習を行い、どんなことを感じているのかを実際に聞くことで、震災のことについてさらに関心を深めるのではないかと思い、今回の交流活動を計画しました。

交流は双方向のオンラインで。まずは、学び舎ゆめの森の小学生が自分たちの行っている授業についての発表をしてくれました。自分よりも年下の1年生もがんばって発表してくれている姿を見て、本校の子どもたちは大変感動していました。発表では、演劇の授業のことや調べ学習の授業など、楽しい学習についてたくさん教えてくれました。続いて本校の子どもたちが事前に考えておいた質問を学び舎ゆめの森の小学生や先生方に行いました。

「どうして、詩人の谷川俊太郎さんに学校の校歌を作ってもらったのですか?」
「新しい学校に行ったら、どんな学習をするのが楽しみですか?」
「どうして、新しい学校では地域の大人たちと一緒に学べるようにしたのですか?」

など、たくさんの質問をしていました。学び舎ゆめの森の小学生や先生たちからは、谷川俊太郎さんのワークショップに参加したことで感動し、自分たちの新しい学校の校歌を作ってほしいと思ったこと、野菜作りやロケットづくりなどの授業が楽しみなこと、そして、大熊町に帰ったら町の人たちと仲良くできるようにするため、交流活動を増やすようにすることなどを知ることができました。
子どもたちにとって、被災地の小学生との交流は大変貴重な経験になりました。

話を聞いて心に残ったことは?

子どもたちが事前に交流を行った学び舎ゆめの森について調べ学習を行ったところ、最新式の魅力的な校舎で、新しい学習機器も使える学校だということが分かりました。

「こんな新しい学校に移れるなんですごいなあ!」
「こんなに最新式のコンピュータが使えるなんていいなあ…」
など、感想を述べていました。

しかし、交流をした際に学び舎ゆめの森の小学生たちが楽しみにしている学習が「野菜作り」や「ロケットづくり」であったことに驚いていました。きっと、最新式のICT機器を使った授業を楽しみにしているのではないかと考えていたのだと思います。避難先の会津若松で生き生きといろんな体験活動をしていたので、新しい学校でもその活動を大切にしたいと思っていると感じたようでした。
交流を終えた後に、国語科の学習として、高貝記者から話を聞いたことや学び舎ゆめの森の小学生たちと交流して感じたことを作文にまとめていました。

学習後…
「先生、今日の新聞に大熊町のことが載っていたよ!」
「先生、今日のニュースで原発のことがやっていて、大熊町の様子がテレビに映っていたよ!」
と話す子が何人もいました。

この学習を通して、子どもたちの震災への関心を高められたと感じています。

文・写真:菊池健一

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