福島から東日本大震災を学ぶ(3) 教科の学習で震災を知る(さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池 健一さん)
東日本大震災を取り上げた授業を、さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さんが6回にわたって紹介します。菊池さんが実際に福島県の被災地を訪れ、復興する様子などを視察した経験から授業を組み立てました。第3回では、東日本大震災を教材とした道徳と国語の授業をお伝えします。
道徳で震災を知る
道徳の板書
小学3年生の学習では、東日本大震災を直接扱った単元がありません。そこで、各教科の特性を踏まえつつ、東日本大震災を教材として震災を知る学習に取り組もうと考えました。まずは道徳での実践です。
東日本大震災を取り上げた資料が道徳の資料があるので活用しました。「家族愛」と「郷土愛」に関する教材です。家族愛を扱った教材では震災で母親を亡くした女の子が家族のために自分ができることをがんばろうとする姿が取り上げられています。郷土愛に関する資料では、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」が取り上げられており、一本松が震災で甚大な被害を受けた町の人々の心の支えになっていることが挙げられています。それらの資料を活用しました。
丹野裕子さんの息子・公太さんの部屋
道徳の学習として授業を行いながら、ふんだんに震災の資料を児童に提示しました。授業の前や授業の後も、関連する資料を提示することで、児童が道徳の授業外でも震災について関心をもつようになりました。
示した資料として、まずは宮城県名取市閖上で息子さんを津波で亡くし、現在はその経験を語り部として伝えている丹野裕子さんの新聞記事…丹野さんは亡くなった息子さんが好きだった少年漫画雑誌を今でも毎週購入して息子さんの部屋に収納しています。そんな丹野さんの記事を道徳の授業の前後に示すことで、児童が震災で家族を亡くした方の気持ちに寄り添えるようになってきました。
昨年、丹野さんに直接お会いし、震災についてお話をいただきました。それから授業にもご協力いただいています。
また、奇跡の一本松の教材では、ちょうど一本松の根を見学できる展示会が東京で行われていたので、そこで撮影してきた写真を示しました。
力強い一本松の根の写真を観ることで児童が
「この松はどんな松だろう。」
「どうして根っこだけが飾られているのかな?」
と、関心を示すようになりました。
道徳の学習を通して、東日本大震災についての関心が高まりました。
国語で防災調べ
続いて国語でも東日本大震災を取り上げた実践開始です。最初は関心のあることを調べて報告文を書くことが指導事項である単元を使って震災学習を計画しました。調べる内容として、「自分の家の防災のそなえ」について調べることとしました。防災グッズではどんなものを備えているか、何かあった際に連絡の取り方…などなど、決めていることはあるかなどについて保護者にインタビューする形で調べました。また、単元の導入として保護者の方に「東日本大震災の時にどんな様子だったか」「どんな気持ちになったか」をインタビューして発表し合う活動も行いました。この活動により、保護者の方も学習に協力していただけ、児童がより震災を自分事としてとらえられました。
調べ学習を終えた児童は、
「ぼくの家は、3日間なんとかくらせるように、家族分の食事を蓄えてあったよ」
「わたしの家は、何かあったときに待ち合わせる場所を決めているよ」
など報告をしあっていました。
この後に、グループで家の防災への対策について発表し合い、気づいたことを話し合う活動を行いました。活動を通して、児童の震災や防災への関心の高まりが感じられました。
メインの単元の計画
ここまでの取組を基礎として、今回の震災学習のメインとして、国語科を中心とした単元計画を立てました。3学年の教科書には「強く心に残っていることを」という作文を各単元があります。教科書では、1年間の出来事の中から心に残っていることを選んでその様子を書くことが例示されています。この単元を活用して震災について学んでいこうと考えました。
この授業では、福島県の被災地を取材した新聞記者から話を聞く機会を作りました。実際に被災地を歩き取材をしてきた記者から話を聞くことで、より被災地のことや震災のことを自分事として感じられるようになります。また、国語科の指導事項として「段落相互の関係を考えて書く」ことが挙げられていますので、文章を書く記者から文章の書き方のコツも同時に教えていただけると考えました。今回ゲストティーチャーとして指導をお願いしたのは、読売新聞社の高貝丈滋記者です。高貝記者は震災後福島を中心に取材をしており、東京本社にご異動後の現在も被災地の取材を続けています。高貝記者から話を聞いて、被災地の特に小学生の様子を知らせたいと考えました。
また、高貝記者の計らいで、原発事故で全町避難が強いられた福島県大熊町の小学生とのオンライン交流ができることになりました。大熊町の子どもたちは震災後、会津若松市に避難し、学校も「学び舎ゆめの森」として若松市に拠点を置いていました。この4月からは大熊町の復興拠点地区である大川原地区に校舎を新設し、帰還する予定となっています。被災地の子どもたちとの交流を通して、被災地の様子について詳しく知ることができるのではないかと考えました。児童は、高貝記者や大熊町の子どもたちとの交流を楽しみに待っていました。
(次回のレポートでは、読売新聞社の高貝記者の授業と大熊町の「学び舎ゆめの森」の子どもたちとの交流について報告します。)
文・写真:菊池健一
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