2025.09.07
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「特別支援」と「通常級の特別支援」は全く違う 学級運営編(1)

最近、いろんな自治体で先生方にお話しする機会をいただくのですが、どこへ行っても強く感じるのは、先生方が「通常級の特別支援」にほんとうに苦労なさっているんだなあ......ということ。とくに、他の子に害を与えたり、授業妨害する子をどうすればいいのか、頭を痛めておられる。
「特別支援」の専門家は、その子本人の支援について「こうすればいい」「ああすればいい」って教えてくれるけれど、通常級の担任にとっては、その子は30人前後の子どもたちのなかの1人。彼らのアドバイス通りに、その子だけに注力して丁寧に対応することなんてなかなかできない。そうしたいのはやまやまだけれど、学級全体の運営があって、そのなかで、その子と周りとの関係性があって、他にも気になる子がいて、それから手のかからない子だって同じように大切にしたい、となると、......悩ましいですよね。
そう、「特別支援」と「通常級の特別支援」は全く違うんです。私は先生方にそれを強く伝えたい。
そして、なんとか皆さんのお役に立ちたい。
というわけで、今回からしばらく、恥を忍んでここに私の「通常級の特別支援」の悪戦苦闘ぶりを公開します。

東京都内公立学校教諭 林 真未

「通常級の特別支援」には、土台となる学級創りが不可欠です。
だからまずは、個々の子どもへのアプローチの前に、学級全体へのアクションについて語ります。

学級全体で「学ぶ目的」を共有する

著書『子どものやる気をどんどん引き出す! 低学年担任のためのマジックフレーズ』でも紹介しているのですが、子どもたちに「なんのために勉強しているの?」と聞くと、たいていは「将来、自分が困らないため」という答えが返ってきます。
そこで私は「ちがうよ! みんなはそんなちっぽけなことのために勉強しているんじゃないよ。みんなは、幸せになるために勉強しているんだよ。そして、自分だけじゃなくて、ほかの人も幸せにする力をつけるために勉強しているんだよ!」と高らかに宣言するのが毎年の定番。

これは師匠の松崎運之助先生(元夜間中学校教師)に教わったことです。

どの年も決まって、この言葉を聞くと、子どもたちの表情がパアーッと明るくなります。
そして毎日の学習でも、一所懸命勉強しよう、頑張ろうという気持ちが伝わってくるようになります。
人間は誰かの役に立てたとき、いちばん幸福を感じるのだそうです。
おそらく子どもたちは、目の前の、自分が取り組んでいることが誰かの幸せに繋がると知り、やりがいを感じるんじゃないのかなあ。

毎年の定番はもうひとつあります。
勉強には「いやなもの」というイメージがつきもの。すっかりそのイメージを取り込んで、学習スケジュールを聞いて「えーそんなにやるのー」「たいへんだよー」なんて困り顔の子どもたち。そんな彼らに、私は「なに言ってるの! 勉強って楽しいじゃない」って投げかけます。
すると、「そんなわけないじゃんー」という答えが返ってくるのが定番。そして「そんなことないよ、だってさ……」と、私が、勉強が楽しい理由をとうとうと語る……はずなのですが。
ある年、私の台詞を聞いた2年生の女の子が言いました。
「うん! そうだよ。べんきょうってたのしいんだよ。だってさ、わからないことがわかるようになるんだもの」
!!! そう、そうなんだよ! 学びは、それ自体が喜び。
そのことを、小さな女の子に鮮やかに表現してもらって、私は圧倒的な感動を覚えたのでした。

―こんなふうに、勉強=学習は、「自分と誰かの幸せをつくれる、しかもそれ自体が楽しいこと」という学級の共通認識を、4月の最初に作ります。
そうすれば、発達障害のある子は、不登校傾向のある子は、「勉強をサボっていてずるい」という発想は出てきません。
知的障害のある子が「課題を減らしてもらえていいなあ」ということにもなりません。
むしろ、「あの子も、だいじな楽しいことができるといいね」という空気のなかで、それぞれの子どもたちは自分の学びに向かっていきます。

学級全体で「権利」とルールについて共有する

特に他害の恐れがある子を抱えている学級は、このおさえをしっかりしておきたいところです。
このおさえとはつまり、「権利は一人一人が必ず持っていて必ず守られなければならない」という大前提です。
毎年、まずはこれを、板書をしながら、学年の発達段階に応じて、一所懸命伝えます。
私は、小学校低学年に説明するときは、「けんりとは、自分が あんしんして・じしんをもって・じゆうでいられる状態」という、CAP(Child Assault Prevention、子どもへの暴力防止プログラム)の表現をお借りします。

こうして権利を十分理解した後は、その権利を守る方法を教えます。
権利はひとりひとりにあるのだけれど、ときには、自分と他の人の権利がぶつかることがある。
そんなときは、お互い思いを伝えあい話し合って、それぞれが少し我慢して、お互いが納得できる落としどころを見つけること。
学校はそのためのレッスンの場所でもあるんだよ、と。

それがわかったら、今度はルールについて説明します。
話し合うまでもなく、一人一人の権利を守るために、誰が見ても「こうしたほうがうまくいくね」というコンセンサスで出来上がったのがルールだよ、と。
だからルールは、つまらない決まり事なのではなくて、たくさんの人々が一緒に幸せに活動するための道具なのだということをわかってもらう。
逆に、つまらない決まり事でしかないものなら、変えていくこともできる。
これも、その学年の発達段階に応じた言葉で子どもに伝えます。

これらの意識が全員にしっかり根付けば、「ルールを守る」という行為の重みが違ってきます。
発達障害のある子を含む全員が、「ルールを守って!」の一言だけで、行動を抑制できるのです。
そして、あとあと、何か問題が生じたとき、「他害のある子に何かされたら、それは権利を侵害されたのだから怒っていい。」、「他害のある子も、どんな理由があってもそれをすることはできない、なぜなら権利の侵害だから。」と子どもたちに明確に提示することができます。

学級の「雰囲気」を創り出す

権利を学んだからといって、それをふりかざすのも違います。
また、発達障害のある子は、どうしてもルールを逸脱してしまいがち。
そんなときに教室がぎすぎすした空気にならないような布石も、予め打っておきます。

私が使うのは、「大目に見よう」「譲ったほうが幸せになれる」「苦手なんだからしょうがない」といった言葉たち。

小さなことでプンプンしている子には、「そんなちっぽけなことより、怒るべきことはほかにあるよ。いまだ世界平和が実現しないこととか、そういうでっかいことに怒りなさい。」なんて言ったりもします。
とにかく、全体的に緩やかな空気感を醸し続け、ピンチなときもユーモアを忘れず。

赦されることを心地よく感じた子どもたちは、お互いのことも赦しあえます。
この赦しの精神がないと、難しい発達障害を抱える子のいるクラスは、どうしても、ヒリヒリとした雰囲気になりやすいように思います。

教室の温かな雰囲気は、特別支援を必要としない子にとっても居心地のいいものですよね。


そんなにうまくいくかなあと思いましたか。そうですよね……。でも私の最善はこれなんです。これでやるしかないと思っています。次回は、教師のありようについてお届けします。

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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