書籍からの具体な学び~谷川彰英の地名教育~(5)
今回も「書籍からの学びの具体その5」ということで、谷川彰英氏の「地名教育」を取り上げます。社会科教育の中では地名は地理教育に一番深くかかわるでしょうが、谷川氏は地名を歴史学習の中で活用できると主張し、『地名に学ぶー身近な歴史を見つめる授業』(1984)黎明書房、において「木下」「新宿」「日本橋」「世田谷」といった授業を開発しています。個人的に地名の由来などに興味・関心が高いということもあるのですが、社会科授業の中での少しでも活用できれば授業が面白くなるのではと思っています。
大阪市立野田小学校 教頭 石元 周作
実践「新宿」
さっそくですが、谷川氏の開発した実践「新宿」の概要を説明します。私立の成城学園初等部6年生での実践であり、授業者も教育実習生という実験的な授業です。子どもたちにとって新宿は自分の町続きぐらいに身近な存在であり、クラスの中には新宿に住んでいる子どももいる状態だったようです。目標と指導計画は以下の通りです。
目標
①地名によって、地域の歴史を探ることができることに気づかせる。
②江戸時代の内藤新宿の発展の様子を甲州街道の性格ともにとらえさせる。
③新宿と水の以外な関係に気づかせ、多面的に地域を見る態度を育てる。
指導計画(4時間)
第1時:「新宿」の地名の由来を考え、宿場開設までの経過を知る。
第2時:甲州街道の性格をとらえ、そのなかにおける新宿の位置と役割をとらえる。
第3時:「水道橋」の地名の由来を考えることから。神田上水・玉川上水について学ぶ。
第4時:淀橋浄水場の役割を知り、水と新宿の結びつきをとらえる。
第1時で、「新宿についてなんでもいいから書いてごらん」という指示によって子どもが書いた新宿の認識は「ごみごみしている」「空気がきたない」「交通は便利だけど住みたくない」というマイナスイメージであり、そこで「新宿はなぜ『新宿』というか考えたことがありますか」と子どもにその由来を考えさせますが、当然「新しい宿」「新しい宿場」という予想しかできません。そこで、地図によって青梅街道と甲州街道の分岐点となる宿場町であることを確認しますが、その当時の「内藤新宿」という名前の「内藤」がどういう意味なのかを考えます。(長野県の高遠の藩主の内藤氏の屋敷があった)
第2時では、甲州街道は五街道にも関わらず、甲州街道を利用していた大名はわずか3名だという特殊性に気づかせると共に甲州街道だけ江戸城に直結している事実から「なぜ甲州街道は江戸城から出ているんだろう」という問いを導きます。(逃げ道として作られていた)
第3時では「水道橋」の地名の歴史の説明から、玉川上水の終着点として新宿が重要な機能をもっていたことを解明します。
第4時はコレラ発生により、近代的な水道建設の課題から新宿に淀橋浄水場ができ、東京にいける最も重要な水の供給地であることを理解させます。
子どもたちの感想文から、谷川氏は「子どもたちの反応は予想以上に良かったといえよう」と述べており、一定に成果があったと評価しています。
地名を取り上げる理由
谷川氏は、地名を授業で取り上げる理由として以下の3点を挙げています。
①地名は一見ささいなものに見えるが、実は我が国の歴史を物語る重要な文化遺産であること
②地名は教材としての価値が高く、地名を学習することはまず文句なく楽しいこと
③沈滞しきっている現在のわが国の教育界に新しい風を送り込み、少しでも活力を呼び起こそうと考えていること
③については時代も違いますし、どう評価されるのかはわかりませんが、個人的には②の理由が一番大きいように思います。谷川氏の他の実践を見てもそうですが、基本的には「なぜ、このような地名がついているのか」という問いを考えることになります。そしてその理由には「~と言われている」とか「~と推測できる」といったはっきりしない点はあるでしょうが、ある程度納得できる理由が存在します。いわば「謎解き」のような面白さを味わうことになります。そしてその謎解きからその土地の地形や位置形状、そこにある特産物、産業、職業、生活などが見えてくるので、社会的な見方・考え方を働かせることにもつながるとも言えます。また「新宿」の実践のように一つの謎解きから複数の謎解きが生まれてくる可能性があります。教材としての面白さを感じずにはいられません。
池田昭氏も「地名と社会科教育」という論文の中で、次のように述べています。
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地名のもつ情報が多面的で豊かであるということ。つまり,地名は耳に聞える「生活説」であり,目に映ずる「生活意識」なのである。ゆえに,その情報は社会科の学習内容として必要なものであると考えるからである。さらに重要な点は,地名というものが子どもたちの関心を強くひきつけるという事実である。それは地名が保存している無意識の過去を,過去の知識として復元し,それを通して今まで見えなかった過去が見えてくるおどろきと喜びによるものであると考えられる。(中略)現在と過去との相互検証作業を通し,社会構造や生活習慣さらには生活感情(情意のあり方)までも内容とした,人間の存在のあり方へ総合された認識をしなければならない。 さて,このような認識の過程において,とりわけ現在と過去との相互検証作業に,現在と過去をつなぐパイプとして地名を使うことによって,見えなかった過去が見えてくるからである。
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社会科で大切な社会を理解する(社会認識)こともおさえていることを述べています。
教材化における課題
しかし、実際に地名を教材化しようとすると課題もあります。以下のような課題が考えられます。
①教材化できる地名が限られてくること
②教育課程や学習指導要領における位置づけ
③単元としての開発が難しい
④教師主導型の授業になりやすい
①は、教材化できる、つまり学ぶべき歴史が見えてくるものはそう多くはないということです。それだけ教材研究の時間がかかります。
②も悩みどころです。特に6年生の歴史学習で活用するとなるとどこに位置付けるのかは難しいでしょう。どうしてもトピック的な扱いや1時間の中での導入部分などに限られるかもしれません。ただ、3年生の「市の移り変わり」などは活用しやすいかもしれません。
③は②の課題とも重なる部分がありますが、時間的な問題と地名だけで単元を通すことが難しいかもしれません。
④はどうしても資料を教師から提示し「なぜ?」と発問していく型式になりやすいということです。学習後は子ども自ら調べていくことは可能でしょうが・・・。ただし、その型式が悪いと述べているわけではありません。
③、④については「新宿」の実践でも大きな問題点があるとして谷川は次のように述べています。
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わずか四、五時間で一つの単元としてまとまりをつけなければならないため、十分考えさせる時間も取れず、一方的に教師の側から資料を提供することになってしまう傾向も現れた
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教材化の例
教材化の例として6年生「豊臣秀吉」の学習の導入で地名を活用しました。秀吉は、大阪においては町づくりに着手しています。天下統一の拠点として多くの人が住み、町を活性化させることは自分の権力を示す一つの証拠でもあります。導入では、現在の大阪市に「安土町」という地名があることを提示し,既習事項である信長の「安土」と関連があることを知らせます。「安土」と大阪とどんな関連があるかを予想する中で,実は,秀吉が滋賀の安土町から,安土の人々を大阪の住まわせたことに気付かせます。そこから,秀吉が天下統一と同時進行で「町づくり」を行ったことを説明し,町づくりの前後の想像図から,「秀吉は天下統一のためにどのようなことを行ったのだろう~町づくり編~」という問いを立てる流れです。「安土町」の他にも「淡路町」(淡路島から連れてきた)「平野町」(裕福な町人が多かった平野区から連れてきた)などの関連する地名も多く、過去と現在のつながりを感じることができます。
他にも実際にやったことはありませんが、架空の場所を設定したり、地形や歴史を説明したりした資料からみんなで地名を決めるという小西正雄氏の「提案する社会科」のような学習も可能かもしれません。
多くの批判や課題があるのは事実ですが、地名を活用した授業づくりは多くの可能性があると思っています。
参考資料
- 『地名に学ぶー身近な歴史をみつめる授業ー』谷川彰英(1984)黎明書房
- 「地名と社会科教育」社会科教育研究,52号,pp.1-12 池田昭(1984)
- 『提案する社会科―未来志向の教材開発―』小西正雄(1992)明治図書
- 『新版 社会科教育事典』日本社会科教育学会編著(2012)ぎょうせい
石元 周作(いしもと しゅうさく)
大阪市立野田小学校 教頭
ファシリテーションを生かした学級づくりと社会科教育に力を入れて実践してきました。
最近は、書籍からの学びをどう生かせるかや組織開発に興味があります。
統一性がない感じですが、子どもの成長のために日々精進したいと考えています。
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