2025.03.07
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教材研究の変化

これまで社会科の教材研究や教材開発についてたくさん書かせていただきましたが、教材開発や教材研究も人生のライフステージや教師の成長ステージによってその方法が変化するだろうなと感じています。というのも現在、自分が行っている教材開発・教材研究と社会科を学び始めた頃の方法が明らかに違うからです。「そんなことは当たり前」と言われればその通りなのですが、改めて何が違うのかを言語化するのも大切だと思うので、今回はそのことについて書かせていただきます。

大阪市立野田小学校 教頭 石元 周作

あらためて教材研究

宮本(2013)は、教材研究を「当該の教育目標を達成するために、何かの内容と学習者の認識を教材という概念で適切に関係づけようとする教材の営為」と定義づけています。
そして教材研究は、「教材開発」と「教材活用」の2つに区別することができ、社会科の醍醐味は、やはり「教材開発」です。これまで何度も書かせていただきましたが、他教科よりも「教材」を扱う自由度が高いからです。

さらに教材開発は①教材構成②教材解釈③学習理論の3つで構成されており、一番の教師の出所は「教材構成」だと思います。
「教材構成」については、長谷川(2013)が「教師が子どもに学習させたいという願う内容を適切に含む教材を選択し、配列し、組み立て、授業の展開過程に位置づけ、子どもに提示して学習活動を指導方法をさぐること」と定義づけているように社会科授業づくりそのものを表していると思います。
子どもの様子を思い浮かべながら、どのように授業を展開していこうかと考えることは、教師の仕事の本質的な部分ではないかと思いますが、この教材構成を中心とした教材研究の面白さをあらためて感じています。

制約の中で

さらに宮本(2013)は、教材構成を①意図対応性(学習指導の目標に対応しているか)②典型性(学習内容を典型的に反映しているか)③問い誘発性(子どもの好奇心・探究心を喚起するか)の3つの原理があるとしています。
実際に教材開発をしているときは、この3つを合わせながらやっていると思いますが、以前の私は、①を強く意識した教材開発をしていたように思います。「授業というのは目標を達成しないと意味がない。達成しなかったら失敗である」と思っていました。
それはその通りだと今でも思いますが、そこに縛られすぎて、子どもに無理をさせたり、自分自身にストレスがたまってしまったりすることも多々ありました。
子どもが目標に達成しないのはもちろん指導者の私の責任というのを前提にしつつも、日々の授業はそんなうまくはいきません。しかも、教材開発はいろいろな制約がある中でやらなければいけません。

例えば、ワーク・ライフバランスの視点では時間的制約(子育て中など)があります。
学校文脈では教育課程上の制約(○月に研究授業がある、単元の入れ替えができない、△△の単元で授業をしてくださいなど)があります。
また、学年内での制約(授業進度を合わせる必要がある、自分のクラスだけ違う教材をやることができないなど)、予算上の制約(外部人材の活用における謝礼など)も考えられます。

このような制約の中で何を大切に教材開発をするのでしょうか?①、②、③をすべて同じ割合で網羅するのは難しいでしょう。
最近の私は③問いの誘発性が大きな比重を占めるようになりました。③を重要視するということは、まず教材開発者である自分が問いを誘発されるかということです。
もちろん、①と②を軽視するわけではありませんが、②はどういう位置づけになるのかを説明できたら大丈夫でしょうし、子どもの問いや考えから教材構成を修正しながら単元を進めていくようにもなっています。社会科という教科の枠組みを少しは概観できるようになったこともあるかもしれませんが、研究授業の指導案での単元計画のようにきっちり決めてしまうのではなく、ゆるやかに教材構成をするように変わってきています。ただ、問いだけ誘発して意欲が持続しない、という失敗も重ねながらです……。

違和感を教材化する

最近は教材開発するにあたって、取材にいくことが当たり前になってしまいました。毎単元することなど不可能なのですが、取材にいって関わる人にお話を聞くことそのものが教材開発になっていると思っています。そのため、取材にいけず直接「ひと」にお話を聞くことができないときはモヤモヤしてしまいます。時間的制約も多いため、電話でお話を聞くことが多くなってきました。

その取材によって以前の自分にはないはっきりしてきたことは、「違和感が教材になる」ということです。つまり取材先の「ひと」にインタビューしている時に、「あれ?」と思うことを大切にしているということです。

例えば、5年生の森林の学習で、大阪の企業の社長さんを取材させていただいた時のことです。この企業では、間伐材から「木糸」という糸を作り出しています。
社長さんは何気なく「原料は間伐材を森林の事業者からなるべく高く買ってから……」と話されたのですが、私の中で違和感が。
そうです、一般的には原料は「安く」仕入れるはずです。しかしわざわざ高く買っているのはなぜか?
その理由は林業従事者が持続可能になるように考えて、努力をされていたのでした。この問いは授業でそのまま活用できます。

また、4年生の伝統産業の学習では、大阪府堺市の堺打刃物について取材しました。
堺伝匠館に取材に行った時に、堺市産業振興センターのAさんにお会いして、すぐにインタビューさせていただきました。その中で私は、「日本食ブームもあり、海外の需要は実際に多いですよね?」と質問したところ、Aさんはこう答えてくださいました。
「今はすごいですよ。ネット注文も多いですが、実際に団体で来られて買われる方もたくさんいます。海外の需要は今はいいんですがね……」

私はここでも違和感を持ちました。Aさんの「今は」という発言です。「今は良いけれど」という逆接のニュアンスを感じたからです。

実際その通りで堺の刃物業界では「この需要はいつまでも続くわけではないので、今後の見通しをしっかり構想していく必要がある」という危機感をもっておられました。だからこそ新しい取り組みを模索しておられました。伝統産業を守る奥深さをまた感じましたし、このこと教材化できると確信し、実際に授業でも活用しました。

この違和感は、社会科教育でよく言われる「ズレ」なのでしょうが、「ズレ」があるから問いが誘発されます。
極端なことを言えば、今の私の教材研究の中心はこの「ズレ」を見つけることになっていると感じています。
社会の中にあるこの「ズレ」を探して集めるとそれだけで教材ができるかもしれません。複数の先生と集めあいをするとかなり面白いだろうと思います。

石元 周作(いしもと しゅうさく)

大阪市立野田小学校 教頭


ファシリテーションを生かした学級づくりと社会科教育に力を入れて実践してきました。
最近は、書籍からの学びをどう生かせるかや組織開発に興味があります。
統一性がない感じですが、子どもの成長のために日々精進したいと考えています。

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