2024.03.22
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東日本大震災後生まれの子どもたちと学ぶ(3) 東日本大震災があった時…(さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さん)

東日本大震災を取り上げた授業を、さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さんが5回にわたって紹介します。今回は、震災当時のことを学校の先生や自分の家族にインタビューすることで、震災の怖さや被害の大きさを身近なものとして実感しました。

家族はその時にどうしていたか?

児童のインタビューシート

担当する子どもたちは、東日本大震災当時はまだ生まれていなかったため、これまで新聞記事などを頼りに震災について学んできました。さらに子どもたちが震災を自分事として捉えられるために、自分の家族が震災の時にどうしていたかをインタビューする活動を行いました。
私自身も幸い埼玉にいたので大きな被害に遭ったわけではないのですが、東日本大震災当日の記憶は今でも鮮明に残っています。子どもたちの保護者の皆さんもきっと当時のことについて語ってくれると思いました。

児童のインタビューした内容は以下の通りです。

「お母さんはマンションの外に友達といたそうです。マンションが揺れていてびっくりしたそうです。お父さんに電話しても電波がつながらず心配だったそうです。マンションが壊れるかと思ったそうです」
「お母さんは仙台の高齢者施設で働いていたそうです。揺れが大きすぎて何が起きたかわからなかったそうです。利用者の高齢者の方々から『地震だ!津波が来るかもしれない』と言われて、大変なことが起きたと感じたそうです」
「お父さんは職場にいました。揺れでテレビがはねたようになったそうです。棚からたくさん書類が落ちてきて、立てなかったということです。家族が大丈夫か心配になったそうです」
「お母さんは渋谷の会社にいたそうです。会社が揺れてすごくびっくりして、揺れが収まってから外を見たら、建設中の渋谷ヒカリエのクレーン車がまた大きく揺れていて、中の人は大丈夫かなと思ったそうです」
「お母さんは家にいました。結構揺れたので庭に出たら、車がとても揺れていたそうです。信号などがすべて止まってしまい、テレビが全部緊急地震速報になっていたそうです」

これ以外にもまだまだたくさんのエピソードを集めることができました。子どもたちのお父さんお母さんたちが克明に震災当日のことを記憶していることにびっくりしたいと思います。
そして、誰もが、家族や大切な人が大丈夫かどうかを心配していることにも気づきました。保護者の方へのインタビューを通して、また震災について自分ごととして捉えることができてきたように思います。

先生たちはその時にどうしていたか?

児童は、さらに、自分たちを指導してくれている学校の先生たちにもインタビューを行いました。先生たちは様々な年代の方がいるのでたくさんのエピソードを集めることができました。

先生たちにインタビューした結果には次のようなものがありました。

<音楽の先生>
「高校の部活(ブラスバンド)の途中で校舎の4階にいた。トロフィーが入った棚が開いてしまったので、それを必死で押さえていた。地震が収まってから楽器をもって校庭に避難した。母親が迎えに来るのを待って家に帰った。とても大きな揺れだったのでただ事ではないと思った」

<体育の先生>
「窓ガラスが割れるような音がしてとてもすごい揺れだった。思わず外に逃げ出してしまった女の子がいた。『どうやって子どもの命を守ろう』と考えていた」

<教務主任の先生>
「前の学校にいた時に震災があった。揺れでプールの水があふれているのが見えた。職員室にあった食器が割れ、ロッカーがずれた。『ザー』っと音がして、防火扉が開いた。子どもたちの安全をまず考え、避難させなくてはと考えた。今まで経験した中で一番の揺れだった」

<妹のクラスの先生>
「(家庭科の授業中で)熱い鍋がひっくり返って、みんなも先生もパニックになって、泣いてしまう子もいた。窓ガラスが割れたり気が見たこともないくらいに揺れていたりしていた。プールの水もあふれてきていた。『何が起こっているんだろう?』『テレビも津波の情報ばかりでどうなっているんだろう』と考えた」

子どもたちは、インタビューしてきた内容を発表し合いながら、どの先生も当時の記憶が鮮明で、震災が本当に大きな出来事であったことに気づいた。
保護者のインタビューと合わせて、先生たちへのインタビューをすることで、震災についての話を聞くときにその様子を思い浮かべやすくなったのではないかと思う。

道徳で震災について学ぶ

今回の実践では、特別の教科道徳でも震災を扱った資料を活用して授業を行いました。「責任感」について学ぶ学習で、東日本大震災当時、津波の被害で新聞を印刷することができなくなってしまった、石巻日日新聞の記者たちを取り上げた資料です。石巻日日新聞では輪転機が壊れてしまったため、手書きの新聞で被災者に必要な情報を届けました。その石巻日日新聞の記者さんたちがどんな気持ちで手書きの新聞を書いたのかを考えたり話し合ったりしながら、「責任感」について学んでいきました。
子どもたちは国語科や社会科でも新聞というメディアに関する学習をしているので、新聞社の仕事についてはよく分かっていました。また、主題はあくまでも「責任感」を学ぶことではありますが、東日本大震災当時のことであるため、これまでの震災学習の内容と照らし合わせながら学習を進めることができました。

「あのような大変な状況の中、記者さんたちは取材をして回ったんだね」
「自分の家族も被災しているのに…きっと、情報を伝えなければいけないという責任感があったんだね」
「家族と離れ離れになったり、どこに避難してよいかわからなかったりしている中で、手書きでも新聞の情報があってホッとしたと思う」

そんな感想が多く見られました。今回紹介した活動を通して、子どもたちにとって東日本大震災がさらに身近な自分事として感じられるようになってきました。

文・写真:菊池健一

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