2024.03.08
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東日本大震災後生まれの子どもたちと学ぶ(1) ふたたび大川小を思い出す(さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さん)

東日本大震災を取り上げた授業を、さいたま市立植竹小学校 教諭 菊池健一さんが5回にわたって紹介します。今年度は、津波により多数の教職員と児童が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校を再び取り上げます。震災から10年以上が経ち、世間から記憶や関心が薄くなっていく今、防災意識や命を大切にするための学びを実践します。

震災授業の実践にやはりチャレンジする!

毎年1月になると、担当する学年で東日本大震災を取り上げた授業を行ってきました。今年度で12年目になります。これまで、震災授業をおこなうなかで様々な方と出会いました。被災地の方、被災地を取材された記者さんなど、たくさんの方に協力していただき、子どもたちとともに学んできました。

しかし、ここ数年で東日本大震災についての関心が低くなっている気がします。「風化」という言葉が頭をよぎります。もちろん、福島第一原発の処理水の問題などについては昨今も報道されてはいますが、被災地の人々に関する報道が以前よりも減りました。担当する小学校の児童も東日本大震災後の生まれになり、震災は教科書や資料集に掲載されている「過去の出来事」のように感じている様子も見られます。また、これまで震災を取り上げた実践を行うにあたって、同じ学年を担当する同僚からは「震災について学ぶことは大切なこと!」と積極的な賛成をいただいていたのですが、今年度は「震災が教育課程のどこに位置づいているのか?」「震災を取り上げても、結局は『かわいそう・・・』で終わってしまうのではないか?」という意見をいただき思い切った実践ができなくなりました。
「震災は忘れたころにやってくる」とよく言われますが、先日の能登地方地震などの被害を見て『震災は忘れる前にやってくる』の方が正しいのではないかと考えました。現在担当している児童とは、2年前の3年生の時にも震災に関する学習を行いました。毎年、様々な教科や領域などを生かして震災について学ぶことによって、スパイラルに防災意識や命を大切にする思いが高まると信じています。今年度も、同じ学年の担任とも相談しながら、実践を行うことにしました。

佐藤そのみ監督の映画を観て

映画上映後に話をする佐藤さん

私が震災授業を行うようになった理由は、東日本大震災で学校管理下では最大の被害を出してしまった宮城県石巻市立大川小学校について知ったことがきっかけでした。その大川小学校の被害で妹を亡くし、その後大学に進み映画の勉強をされ、大川小をテーマにした映画を制作した方がいらっしゃいます。佐藤そのみさんです。佐藤さんは、大川小学校の津波事故で当時6年生だった妹さんを亡くされています。
佐藤さんは、当時中学生だった自分の経験をもとに、子どもの視線から東日本大震災について考えさせる映画『春をかさねて』『あなたの瞳に話せたら』を制作されました。震災後、家族や友達をたくさん亡くして悲しさに打ち震えたこと、そしてたくさんの報道陣にインタビューをされて戸惑ったこと、同じ被災者の友達と様々な話をしたことなど…現在、映画は各地で公開され、様々な人々に鑑賞されています。

2月には、関東弁護士会連合会が弁護士会館(東京都千代田区)で開いた上映会に出掛けてきました。
佐藤さんが映画会のトークで話をしてくれたことで大変印象的だったことが、
「東日本大震災の前の日に妹とけんかをして、震災当日の朝に妹が『お姉ちゃんおはよう』と言ってきたけれど、無視してしまった。あれが最後になるとは…」
というお話です。
これまで被災地の方にたくさん話を伺いましたが、いつも「あの時が最後だとは思わなかった」とおっしゃいます。普段は当たり前のように思っていることは、実は当たり前ではないのだということを実感しました。今回の震災に関する実践で子どもたちにもこんな思いをもってもらえたらと考えました。私も担当する児童と佐藤さんの映画を鑑賞したいと思いました。

鈴木典行さんのお話を聞いて

大川小学校での出来事について話す鈴木さん

上映後のトークセッションでは、大川小学校の遺族でもあり、大川伝承の会共同代表として今でも当時のことを語り部として多くの方に語っている、鈴木典行さんがお話しされました。鈴木さんは、約3年前の東京オリンピックの際に、亡くなった娘の真衣さんの小学校時代の名札をポケットに入れて聖火ランナーとして走りました。
鈴木さんは当時6年生であった娘さんを大川小学校の事故で亡くしています。今回は、当時大川小学校で子どもたちを探していて、娘の真衣さんを見つけた時のことをお聞きしました。そして、二度とこんなことが起こってはいけないという強いメッセージもいただきました。
私は以前、鈴木さんに大川小学校を個人的に案内していただいたことがあります。震災当時、子どもたちはどこにいてどうしていたのか、どんなことがあったのか、どうすれば助かったのかなど、様々なことを教えていただきました。

鈴木さんが私におっしゃった、
「子どもは『宝』以上です」
という言葉が今でも忘れられません。
鈴木さんについては2年前に受け持ちの児童と震災学習を行った際にも取り上げたので、子どもたちも鈴木さんについて知っています。後日、鈴木さんのお話を改めて子どもたちにしました。

今年度の実践をスタートする

大川小学校の裏山にて

今回、佐藤さんや鈴木さんの話をお聞きし、今年度の実践では、まず私自身の取組のスタートに戻って、石巻市立大川小学校を再び取り上げてみようと考えました。私は、NIE(教育に新聞を)の研究に取り組んでいるため、今回の実践でも新聞を活用したいと思います。また、毎年震災の取材をした記者に協力していただき、児童の質問に答えてもらっています。今年も新聞社との連携を行いたいと思います。また、授業の中でも特別の教科道徳の時間に震災に関する資料を使った授業を行います。さらに、これも毎年行っていますが、被災地の方の話を児童が聞く機会を設けるつもりです。

東日本大震災から10年以上が経ち、以前よりもスムーズに実践を行うのが難しくはなってきましたが、工夫次第で震災を取り上げた実践を豊かに行うことはできると思っています。このあとの4回のレポートで、今年度の実践について紹介していきます。

文・写真:菊池健一

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