2021.04.01
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震災を取り上げた実践(5) さいたま市立海老沼小学校 教諭 菊池健一さん

東日本大震災を取り上げた授業を、さいたま市立海老沼小学校 教諭 菊池健一さんが5回にわたって紹介します。最終回となる第5回では、実際に震災を取材した新聞記者を招き、子どもたちに当時の被災地の状況を話してもらい、質疑応答で理解を深めた様子をリポートいたします。

新聞記者から当時の様子を聞く

震災当時の様子について話す三吉記者

児童はこれまで社会科の学習を通して、国や自治体が大地震に備えてどのような対策を施しているかを詳しく学びました。また、調べたことを生かして、さらに大地震に備えるために必要だと考えることを提案文の形でまとめることができました。児童は、東日本震災当時、ちょうど1歳ぐらいであり、そのころの記憶はあまりありません。そこで、指導に当たっては保護者にも協力をいただき、当時の様子を知ることも重視しました。そのため、児童は地震の備えについて、自分事として考えることができました。

当初、児童の興味関心を高めるために、単元のはじめ東日本大震災を取材した記者から話を聞く予定でした。しかし、今年は新型コロナウイルス流行による緊急事態宣言が発令され、なかなか記者を招聘できない状態が続きました。そこで、予定を変更し、これまでのレポートでも述べてきたように、記者から取材をした記事をいただき、それをもとに学習を進めました。そして、学習の最後に学校に来ていただき震災当時の様子について話をしてもらいました。

ゲストティーチャーとして招聘したのは、共同通信社仙台支社の三吉聖悟記者です。三吉記者は東日本大震災直後に岩手県の陸前高田市を中心に取材をされました。その後は、福島第一原発の取材もされています。三吉記者からは、東日本大震災当時どんな取材活動をしたか、そして取材をしてどんな気持ちになったかということを児童に話していただきました。震災当時、三吉記者は、東京の警視庁を取材中だったそうです。地震がおさまってから社に戻ると、すぐに被災地に向かうように命じられ、陸前高田市を目指して出発しました。途中、ガソリンがなくなってしまったり、大渋滞に巻き込まれてしまったりして、陸前高田市にはちょうど1日かかって到着したそうです。そこで目にした光景は……がれきの山となった町の様子でした。そして、自衛隊や消防団の方々が元気のない顔で歩いているのも見たそうです。そのわけは、児童にもすぐにわかりました。助けたくても助けられない命がたくさんあったからです。その中でも懸命に救助を行おうとする皆さんの姿を必死で取材したとのことでした。

そして、その後に被災地を歩いていると、お孫さんを探しているおじいさんに出会い、何日か一緒に探す活動を行ったそうです。約1か月後にその子のお父さんから見つかったとの知らせが届き、男の子が亡くなったことを知らされました。亡くなった子の記事は児童も読んでいたので、児童は真剣に話を聞いていました。さらに、三吉記者が「被災地で考えたことは、とにかく今の様子をみんなに伝えたいということであった」という話を聞いて、新聞記者の思いを知ることもできました。

新聞記者に質問する

三吉記者の記事をスクラップしたノート

記者の話の後に、児童はこれまでの学習で考えたことを記者に質問しました。特に、福島の原発の話題については三吉記者の記事を読んでたくさん考えてきたので、原発に関する質問が多く出ました。

「福島の原発近くで汚染土がたくさん出ているということがあるが、これからいろんな県で分担する必要があると思うけれど、三吉記者はどう考えるか」
「原発の汚染水をどうするかが問題になっているが、水を熱して水蒸気にする方法などは使えないか」

など、これまでの理科の学習などとも関連付けて質問している児童もいました。三吉記者は自分が分かっていることと分からないことを明確にしながら、児童に誠実に回答してくださいました。

また、記者の仕事についての質問も出ました。

「震災で子どもを亡くされたお父さんを取材したときにどんな気持ちでインタビューをしていたのですか」
「東日本大震災の被災地に入ったときにまずどんなことを考えましたか」

という質問もしました。三吉記者は、取材をした当時のことを思い出しながら児童に詳しく話をしてくれました。「とにかく、今、目の前で起こっていることをみんなに伝えたい」という一心で取材に当たったことを教えてくれました。児童はみんな真剣に聞いていました。

実際に、児童が記事を読んで震災について考え、その記事を書いた記者に質問できるという大変良い機会となりました。また、この活動を通して、児童の震災・防災への意識が高まってきていると感じました。


これから子どもたちに願うこと

学年掲示板に三吉記者の記事を掲示

共同通信社仙台支社の三吉記者から、学習のまとめとして、震災の取材についての話を聞いたり、自分たちが考えたことを質問したりする活動を行いました。児童の感想を読むと、さらに震災のことを知りたくなったというものが多くありました。そして、これからも震災について詳しく調べ、防災に取り組んでいきたいという決意も示していました。

今年の3月11日で、東日本大震災から10年が過ぎました。10年の節目ということで、新聞やテレビなど、多くのメディアで被災地の現在の様子やこの10年の復興の動きなどが報道されました。しかし、12日、13日と時が過ぎると震災関連の記事が少なくなりました。

「震災の風化」ということがよく問題になります。今回、一緒に学習に取り組んだ5年生はまさに震災当時に生まれた子どもたちです。おそらく、震災について記憶がある最後の世代になると思います。これからは東日本大震災を知らない子どもたちにも、震災について教えていくための工夫をさらに考えていきたいと思っています。そして、5年生の子どもたちにはこれから成長していくとともに、震災や防災について考え続けていってもらいたいと願っています。

これまで、10年間、震災を取り上げた授業を続けてきましたが、また新たな気持ちでスタートしていきたいと思っています。

著者情報 文・写真:菊池健一

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