2021.03.04
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震災を取り上げた実践(1) さいたま市立海老沼小学校 教諭 菊池健一さん

東日本大震災を取り上げた授業を、さいたま市立海老沼小学校 教諭 菊池健一さんが5回にわたって紹介します。第1回では、震災当時の記憶がほとんどない子どもたちが自分事としてとらえるための実践についてリポートいたします。

震災を自分事としてとらえさせたい

双葉町の様子

今年の3月11日で東日本大震災からちょうど10年になります。この震災は、東北地方に大きな被害を与えました。そして今でもその傷あとが深く残っています。思い返してみると、この10年は本当にあっという間でした。現在担任をしている5年生の児童は、当時0歳から1歳です。児童には当時の記憶がほとんどありません。これまでの震災を取り上げた実践では、震災当時の様子を思い出すことからスタートしましたが、今回はそれができません。児童が使用する教科書には社会科や理科などを中心に東日本大震災の被害の様子が掲載されています。しかし、今担当している児童にとっては、自分とは関係のない昔の出来事のように思えるのではないかと考えました。

そこで、今年度も東日本大震災を題材に教科横断的な学習をデザインしていくことにしました。担当する5年生では、社会科で防災について学習します。地震から街を守るための自治体の取り組みなどについて学びます。その単元を中核に、防災について調べ、考えたことを提案文としてまとめる国語科学習も取り入れようと考えました。また、震災について自分事としてとらえるために特別活動や道徳で震災について取り上げた資料を活用していくことにしました。さらに、それらを貫く取り組みとして、新聞社や新聞記者と連携し、震災当時のことを児童に深く伝えていけるようにしました。

双葉町の様子(倒壊した家屋)

また、私も毎年行っている被災地への視察を行いました。今回は、福島第一原発からほど近い双葉町を訪ねました。現在、復興が進み、「東日本大震災・原子力災害伝承館」などがオープンしましたが、近くには汚染土置き場が設けられ、フレコン(フレキシブルコンテナ)バッグでいっぱいになり、双葉駅前も倒壊した家屋がそのままになっていました。まだまだ本当の復興には程遠いという感想を持ちました。そして、宮城県の山元町にある旧中浜小学校跡も訪ねました。現在、震災伝承の場として整備されており、学校の内部を見学することができました。ここでは地震や津波のすさまじさを改めて感じることができました。今回の視察で得たことも授業に盛り込みたいと考えました。

被災地について知る

山元町震災遺構 中浜小学校

被災地について知るため、まずは、児童の震災への関心を高める活動からスタートです。年度当初より、学年の廊下にある掲示板に学習と関連する新聞記事や資料を貼り、児童の学習意欲を高めてきました。そこで、掲示板を活用して、震災に関する内容に関心を持ってもらおうと考えました。今回は、共同通信社の仙台支局のM記者に協力をいただき、M記者が取材して書いた記事をいただきました。そして、掲示板に掲示しました。

M記者は東日本大震災直後から陸前高田市や気仙沼市、そして、福島第一原発などの取材をされました。そして、現在に至るまで継続的に被災地の取材を行っています。そこで、震災があった当時の記事をいただき、児童に紹介をしました。児童は当時の記憶がほとんどないので、記事の写真を見て本当に驚いていました。5年生では国語で新聞の読み方を学習しています。見出しの役割や記事の構成についても詳しく学習し、その後の学習でも新聞を活用してきました。その積み重ねがあるので、震災当時の新聞を見て、その見出しの大きさや、震災の記事の扱いの大きさに、震災が本当に大きな出来事であったことに気がつきました。

震災遺構 中浜小学校内部

また、児童は年度当初に国語科で「新聞の読み方」を学習しました。そして、継続してこれまで新聞のスクラップの課題に毎週取り組んできました。新聞スクラップは児童が自由に記事を選ぶようにしているのですが、この期間は共同通信社のM記者の記事をスクラップさせることにしました。スクラップを通して、M記者がどのようなことを読者に伝えようとしているのかを詳しく読み取ってほしいと思ったからです。児童はこれらの活動を通して、東日本大震災についての関心を高めていきました。この期間に実施された学校行事の避難訓練にも大変真剣な態度で取り組めていました。これで、震災を取り上げた教科学習への素地が整ってきたと感じました。

自分は、そして家族は…

学年の掲示板

次に、震災があった当時、子どもたちはどこでどうしていたのか、そして家族はどんなことを考えたのかを調べる活動を行いました。児童は保護者に当時の様子をインタビューしました。児童には当時の記憶はほとんどありません。これまで東日本大震災を題材に学習をしてきたときには、自分が震災当時にどうしていたかを思い出すことからスタートしていました。これまで指導してきた児童は当時の記憶が鮮明で、震災について自分事としてとらえやすかったように思います。現在指導している児童はそうはいきません。そこで、保護者の協力を得て、当時の様子を児童に話していただきました。

児童の家族へのインタビューの報告では以下のものがありました。

「わたしは保育園でお昼寝中だったそうです。母はまずわたしをむかえに行って、とにかく早く無事を確認したいと思っていたそうです」

「父は、大地震の後に東京から帰ることができずに、会社で過ごしたそうです。わたしや家族が無事かどうか、早く会いたいと思って不安な一晩を過ごしたそうです」

「お母さんと一緒に買い物に行っていたそうです。すごいゆれだったので、わたしのことをすぐに抱きしめてしばらくいたそうです。地震がおさまってから、どうしていいかわからず、その場にしばらくいたそうです」

どの児童の報告を聞いても、保護者は子どもたちや家族を心配し、一刻も早く無事を確認したいと思っていたことがわかりました。児童は友達の報告も聞き、東日本大震災当時の出来事の大きさを改めて確認しました。そして、地震から命を守る方法について学んでいく大切さを実感したようでした。


文・写真:菊池健一

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