2026.05.07
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英語のわからない年長さんがやってきた~言葉よりも先に必要な心の居場所

アメリカ・モンタナ州のボーズマンという町で、モンテッソーリ保育士として働くかたわら、大学院でも学びを深めています。
今回は、新しくクラスに入ってきた、英語が話せない子について綴ります。

ボーズマン・モンテッソーリ保育士 城所 麻紀子

保育の場にある、つながりの細い線をたどる

前回、私は「問題のあるクラス」と見なされる保育の場で、子どもや保護者との間につながる細い線をたどりたい、と書きました。教室全体を見ると、ごたごたは絶えず、外から向けられる視線も厳しいままです。

それでも、その中で自分の見方を支え直してくれるのは、やはり目の前の子どもとの具体的なやりとりなのだな、と実感します。

新しく入ってきた、もうすぐ6歳になる男の子との関わり合いで、そのことに気づきました。
彼のお母さんはロシア人、お父さんはメキシコ人で、メキシコからモンタナに引っ越してきました。
家ではロシア語とスペイン語で話していて、英語は話せません。

言葉の外にいる、もうすぐ6歳の男の子

こういう子どもの話になると、「小さな子どもは言葉が通じなくても、すぐ友達になるよね」という声を耳にすることがあります。
けれど、そんなことはなく、子どもだって、かなり苦戦するものです。

彼はもうすぐ6歳で、このクラスではいちばん上の年齢で、身体も大きいです。
5歳、6歳の子どもたちはよく話しますし、遊びも会話の流れの中でどんどん進んでいきます。
じっと見ていても、その輪に入っていくのは簡単ではありません。

英語が話せなくても、彼の存在を受け入れ始めた子どもたち

まわりの子どもたちも、新しく入ってきた彼を完全に無視しているわけではありません。
お母さんがお迎えに来ると、「〇〇君、お母さんが来たよ!」と英語で伝える子がいます。
何を話すでもなく、彼の膝に寄りかかってみる2歳の女の子もいます。

子どもたちなりに、クラス内での彼の存在は受け入れ始めているようにも見えます。

険しい表情から、行動での関わりへ

できるだけ彼を観察している中で、彼にも少しずつ変化が見えてきました。
まだ言葉はありませんが、3歳の子どもに自転車のヘルメットを持っていってあげたりするようになりました。

険しい表情でただ見ているだけだった子が、行動で他の子どもに関わりはじめているのだと思うと、少しほっとしました。

言葉の壁に遮られた、バケツを投げつけるほどのいらだち

その一方で、いらだって3歳の女の子の膝めがけて、バケツを投げつけたことがありました。
しばらく前から様子を見ていたのですが、まさか子どもに向かって投げるとは思っていなかったので、一瞬、息をのんでしまいました。
本来なら、その後で、泣いている子どもにどう働きかけるべきか、どうしていけないのかなど丁寧に話したいところです。

でも、言葉がまったく通じないので、それがほとんどできません。「No」「Stop」と短く止めることはできても、その先のやりとりに進めないもどかしさが残ります。
指導をしたいのに、言葉の壁にさえぎられてしまうような感覚でした。

入りたいのに入れない。
まわりでは会話がどんどん進んでいくのに、自分はその中に入っていけない。
そのもどかしさやいらだちが、バケツに当たったようにも見えました。

子どもを急いで変えず、環境を整える

それでも、先生たちは誰も、周りの子どもたちに無理に一緒に遊ぶよう促したりはしません。
「彼と遊びなさい」と言ったり、「仲間に入れてあげて」と求めたりもしません。
そうやって関係を外から作ろうとはしません。

大人の役割は、子どもを急いで変えることではありません。
その子が自分の力で入っていけるように環境を整えることだ、という判断なのだと理解しています。
そして整えるべきなのは、その子ひとりのための環境だけではありません。その子と、周りの子どもたちが、無理なく出会っていける環境そのものなのでしょう。

生き物への興味から生まれた、彼とのひとつのつながり

彼は家でイグアナを飼っているそうで、教室にいる魚やカエル、亀にも強い興味を持っています。
ちょうどそのえさやりは私の担当です。
そこから少しずつ、彼とのあいだに一つのつながりができてきました。
最近では毎日、えさの時間になると、彼のほうから私を呼びに来るようになりました。

言葉よりも先に「ここにいていい」と思える居場所を用意する

そして今朝、びっくりすることがありました。
彼が英語で、「魚にえさをあげてもいい?」と話しかけてきたのです。

少し前まで、こちらが何とか英語で返事をしてもらおうとして、「ぶらんこ、押してほしい?」「Yes or No?」と尋ねていました。やっと返ってきた “Yes” を先生たちみんなで喜び合っていたくらいです。
それなのに今朝の言葉は、こちらが引き出したものではなく、彼のほうから自然に出てきたものでした。

そのとき、言葉は無理に言わせようとして出てくるものではないのかもしれない、と思いました。安心できること、興味を持てること、自分の役割のように感じられること。そういうものが先にあって、そのあとに言葉がついてくるのかもしれません。

言葉のわからない子がクラスに入ってきたのは、これが初めての経験です。最初のうちは、「どうしたらいいんだろう」と手探りで過ごしていました。でも今は、まず必要なのは、その子を急いで変えることではなく、その子と周りの子どもたちが、無理なく関わっていける環境を整えることなのだ、と感じています。

私はこの子のことを通して、言葉を教える前に、その子が「ここにいていい」と思える場所や、毎日の中で自分の出番だと思える時間を用意することのほうを、大事にしたいと思うようになりました。

言葉のわからない子が自分の教室に入ってきたら、みなさんなら、どこから手をつけるでしょうか。

城所 麻紀子(きどころ まきこ)

ボーズマン・モンテッソーリ保育士、元サンディエゴ日本人向け補習校講師、モンタナ州立大学院家族消費者科学科 修士課程


2020年からアメリカのモンタナ州の人口5万人の町で、モンテッソーリ保育園の保育士をしています。
アメリカといっても、白人約90%、アジア人約2%(最近増えました!)という環境です。
あまり日本人の方に知られていない、アメリカの田舎での教育や生活の様子などを共有できたらいいなあと思っています。

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