伊那小学校訪問記(1)
長野県伊那市立伊那小学校は、総合学習を根幹に据えた教育を行っている公立の小学校です。 私と伊那小学校との出会いは、今から20年以上も前のことです。当時駆け出しのテレビマンだった私は、教育問題を扱った討論番組の取材のため、伊那小学校を訪問しました。その時、「天竜川を海まで歩いて探険する」という総合学習を実践しておられた丸山雅夫先生と出会い、その後1年間をかけて密着取材をする機会を得ることになりました。その取材を通して、伊那小学校の子どもたちのたくましさに感動した私は、教師への転職を決意し、小学校教諭の免許を取って、兵庫県で教員となったのです。 今回、私が教員となるきっかけとなった伊那小学校で、5日間の派遣研修をする機会を得ましたので、そこで学んだことを報告したいと思います
尼崎市公立小学校主幹教諭 山川 和宏
材に始まり、材に終わる
今回の研修を通して、1年生から6年生までのいろいろな学級の総合学習の様子を見させていただきました。
その中で強く感じたことは、総合学習の材(教材)が、学びだけでなく生活の中心になっていることです。例えば、3年敬組では「ぶうちゃん」「けいちゃん」というミニブタを2頭飼っています。朝8時には集まってブタさんの世話をし、放課後もブタさんの小屋に集まって世話をします。ブタさんに始まり、ブタさんに終わるという毎日の学校生活。土日も休日も関係ありません。習字の作品も、図工の絵画や粘土作品も、学級の歌も、国語の作文も、題材はみんなブタさんでした。
そういう生活をする中で、子どもたちは自然と「ブタさんの気持ちになって考えること」「自分の思いをブタさんに託すこと」が身についているように感じられました。ブタさんと一緒にお散歩に出かけるという授業では、子どもたち誰もがブタさんの周りにいるわけではありません。むしろずっとブタさんと一緒にいる子の方が少数派です。多くの子どもたちは鬼ごっこをしたり、鉄棒をしたり、木の実を拾ったり、それぞれがそれぞれのしたいことをしています。
この場面だけを切り取ってしまうと、「子どもたちが好き勝手にただ遊んでいるだけ」に見えてしまうことでしょう。しかし、彼らと生活をともにしてみると、子どもたちが安心してそれぞれがしたいことに没頭できるのは、その中心にブタさんがいるからなのではないかと感じました。
ブタさんを通してみんなが緩やかにつながることで、「今自分がやりたいことを思いっきり楽しんでいい」という空間ができ上がっているように感じられたのです。表面に現れてはいなくても、確かに彼らの思いの中心には、ブタさんがいるのです。
一人ひとりの物語
3年謹組では、4頭のヤギさんを飼っています。ヤギさんと一緒に学校の敷地から歩いて15分ほど離れた湧き水の森へと散歩に出かけるという授業に同行させてもらいました。
電車が好きというAさんとおしゃべりしながら歩いていると、いつの間にか子どもたちはばらばらになっていて、周りにはほとんど誰もいなくなってしまいました。それでもAさんは気にするふうでもなく、氷筍のような形をした氷を見つけて歓声をあげ、何とかして取ろうと格闘していました。
そうこうしているうちに、子どもたちの姿が見える原っぱに出ました。原っぱには急な斜面があり、天気もよかったことから「ここで寝転がると気持ちいいよ」と誘ってくれる子がいて、みんなで寝転がりました。次に「この斜面を転がり落ちたら面白いだろうな」という話になり、今度はみんなでごろんごろんと斜面を転がり落ちる遊びを始めました。でんぐり返りや後転に挑戦する子もいました。
すると、Bさんが「秘密基地に案内したいからついて来て」というので、一緒に秘密基地に行きました。そこにはCさんもいて、勝手に秘密基地に入ってこようとしている子とちょっとした言い争いのようなことになっていました。そこで、「秘密基地に入るには合言葉を言うこと」というルールが決められ、「トイレをがまんできない時は秘密基地に入ってきてしてもいい」という特別ルールを設けることで互いに納得していました。
さらにその隣には別の子たちの秘密基地があり、その中にはカマキリの卵を集めた部屋がありました。学校に戻ってからは、「カマキリの卵はどんなところに産みつけられているか」について、子どもたちみんなで熱心に話し合う様子が見られました。ここでも、ヤギさんとは離れたところで活動する姿がたくさん見られましたが、その中心には確かにヤギさんがいるように感じられました。
それから3日後。再び、3年謹組の子たちとヤギさんのお散歩に出かけるのに同行させてもらいました。今回、BさんとCさんは松ぼっくりや変わった形の葉っぱを拾ってきて、アクセサリーを作っていました。
そこへAさんがやって来て「先生たちが犬の死体を見つけてお墓を作っている」と伝えました。BさんとCさんはその様子を見に行こうかと迷った様子でしたが、結局そのままアクセサリー作りを続けていました。Aさんもそのそばでどんぐりを拾って石でつぶして遊んでいました。
その頃、担任の先生と多くの子どもたちは、見つけた犬の死体を埋めるための穴を掘っていました。また、Dさんは、その犬が首輪をしていたため、「近所で飼われていた犬に違いない」と考えて、きっと心配しているであろう飼い主を見つけるため、近所のお家を一軒一軒訪ねて歩いていました。日ごろから知らない人と話すのが苦手だというDさんにとって、それはとてつもなく勇気のいることだったに違いないのですが、「何とかしてあげたい」という強い願いに突き動かされたのでしょう。
子どもたちは以前、大切な母ヤギさんを喪うという悲しい経験をしていたのです。子どもたちが、犬の飼い主の気持ちに寄り添って行動したのはその経験があったからかもしれません。お墓は無事に完成し、犬を埋めて先生と子どもたちは学校に戻りました。何軒もお家を回ったけれど飼い主を見つけられなかったDさんは、みんなから遅れて学校に戻り、飼い主を探すためのポスターを描きました。
アクセサリー作りに夢中になっていたCさんは、さらに遅れて学校に戻って、「あー楽しかった」と一言つぶやいていました。私には心の底からあふれ出た言葉のように聞こえました。
この日の授業では、アクセサリー作りに夢中になっていた子も、お墓を掘っていた子も、飼い主を探していた子も、ヤギさんのそばにずっと付いていた子も、それぞれの子が自分の思いに真摯に向き合って活動し、それぞれの物語を紡いでいました。
一見するとてんでばらばらのようですが、子どもたちは緩やかにつながりながら「今やりたいこと」に対して真っ直ぐに行動し、それぞれが思いを遂げようと夢中になって活動することができていたのです。
それもまた、子どもたちの中心にヤギさんがいたからこそだと思います。ヤギさんを中心に、「今自分がやりたいことを思いっきりやっていいんだ」という世界が、教師と子どもたちとで積み上げてきた信頼によって築き上げられているように感じました。
伊那小学校の子は、どの学級のどの子と話しても、自分たちの総合について胸を張って(時には照れ臭そうに)語ることができます。これは、子どもたち一人ひとりが材に対して確かな思いを持ち、物語を紡いでいるからこそできることなのではないでしょうか。
職人のようにその道を極めようとしたり、うまくいかないことに対して対策を懸命に考えたり、地域に出て行っていろんな人に出会って話をしたりする中で、一人ひとりが思いを重ね、自分の物語を紡いでいるのです。
教師は、そのような子どもたち一人ひとりの物語の伴走者として存在すればいいのではないかと感じました。
最後に
最後に、伊那小学校のある先生がこんなことを言っていました。
「総合学習で自分が大切にしていることは、教師が子どもと一緒に何をやりたいかという心の底からの思いです。自分は子どもたちと向き合うのではなく、子どもたちが見ているものを一緒になって見ていたい。子どもたちと同じ方向を向いていたい」
教師として子どもたちと一緒にやってみたいことは、ありますか?
山川 和宏(やまかわ かずひろ)
尼崎市公立小学校主幹教諭
演劇ユニットふろんてぃあ主宰
富良野塾15期生。青年海外協力隊平成20年度1次隊(ミクロネシア連邦)。
テレビ番組制作の仕事を経て、小学校教師になりました。以来、子どもたちと演劇を制作し、年に2回ほど発表会を行っています。
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札幌市立高等学校 教諭
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