2023.07.18
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捨てる勇気と信じる覚悟

今回のテーマは心構えです。
何を捨て,何を信じるのか。
普段の授業に違和感を覚えたり,不安に思ったりしている先生方,一緒に考えていきましょう。

岡山県赤磐市立桜が丘小学校 指導教諭 古市 剛大

ある日の放課後,職員室での会話です。

「やろうと思っていたのに,ずっとできていないことってあります?」
(勤務時間を過ぎての他愛のない話ですが)
「旅行に行けていない」
「買った本がそのままになっている」

私はというと,落語です。一度は生で聞いてみたいと数年前から思っていたのですが,なかなか行動できていません。実は,私の家の近くでは月に1回,集会所のようなところで寄席をしているそうなのです。
こんな近くで,しかも毎月しているのに…と思うのですが,いまこの原稿を書いている段階でも行けていません。
どんなことでも一歩目を踏み出すにはエネルギーがいりますよね。
みなさんには,やろうと思っていたのにできていないことってありますか?
今日の話が,そのきっかけとなれば嬉しいです。

スクラップ&ビルド

みなさんの学校では「働き方改革」進んでいますか?
行事などの教育活動を見直したり,業務のスリム化を図ったり。
子どもたちのために「ビルド」はすごく大切ですが,増やすだけでは日々そのことに追われ,子どもの生きる力を育むという大事な部分が後回しにされたり,多忙感によって先生自身の充実感が失われたりしてしまいます。
それでは子ども・先生・学校・地域社会のWell-beingにはつながっていきません。
「スクラップ」
つまり,捨てることも必要なのです。

授業の中の「捨てる勇気」

日々の授業を行う上で,朱書き(指導書)ってありがたいですよね。
私も授業を考えるときに参考にしています。
でも,朱書きに書いてあるはずの発問や学習活動を実際にすると,
子どもたちの反応があまりよくない,時間が足りない,なんてことはありませんか?
「指導書にはこの順番で載っているし…」
「この学習活動をすると子どもがこんな反応をするって書いてあるから…」
そう考えてしまいますよね。
私もそうでした。

しかし
目の前のクラスの子どもは,隣のクラスの子どもとは違います。
クラスの子どもの生活経験は,隣の学校の子どもとは違います。
であれば,同じ発問でも考えやすい子もいれば,分かりきったことだと感じる子もいるはずです。
先生の話に,「私もそんな経験あるなあ」と自分の生活経験を想起させられる子もいれば,ぴんとこない子もいるはずです。

目の前の子どもたちの実態を一番よく知っているのは,日々一緒に過ごしている先生です。
この子たちには,この発問をしなくてもねらいへと向かうことができる,

そう感じるのであれば,
朱書きの発問を捨ててみるのはいかがでしょうか。
この子たちであれば朱書きの学習活動よりもこっちの方がいい,
そう感じたならば自分を信じ,
朱書きの流れを勇気をもって捨ててみるのはいかがでしょうか。

より「分かる」「できる」が増えたり,タイムマネジメントもうまくいったりするかもしれません。

授業の中の「信じる覚悟」

授業で「こわい」と感じる瞬間ってありませんか?

私の1位は
「シーンとすること」でした。
研究授業だとなおさらでした。そのこわさに耐えられなくなると,きまってしてしまうのが
「言い換え」です。

先生「主人公はどんな気持ちだったでしょうか?」
子ども「…」
先生「どんなことを思っていたと思う?」
子ども「…」
先生「なんでもいいから教えて」
子ども「…」

なんともいえない空気ですよね。
でも考え方を変えると,この「シーン」ってそんなに悪いものでもないのです。

実はこの時,子どもたちは頭の中で必死に考えているのです。
先生ってつい,すぐに答えや自分の考えを求めてしまいます。でも,すぐに分かることよりも,しっかり頭を使って出した答えの方が,価値がありますよね。
この「シーン」は,その準備の時間と捉えることができます。
先生は,その「シーン」を待てばいいのです。

待っている時間は,実際よりも長く感じます。苦しくなるかもしれません。
しかし,表情には表れにくいかもしれませんが,必死に考えていると子どもを信じて待つ覚悟が必要です。きっと少しずつ子どもたちの口が動き始めるはずです。
あせって,何度も言い換えをしたり,別の発問に変えたりしてはいけません。
子どもたちも混乱してしまいます。
もしそれでも「シーン」が続けば,次の授業に生かせばいいのです。
発問の言葉を精選したり,逆に補助発問を増やしたり,活動の指示を段階的に行ったり…
それが指導と評価の一体化につながります。

とは言いつつも

朱書きの流れを捨てる。
授業中の「シーン」を待つ。
やはり難しいし,苦しいですよね。
だから,勇気と覚悟なのです。

一歩踏み出すことができれば,その良さに気付けるはずです。

古市 剛大(ふるいち たけひろ)

岡山県赤磐市立桜が丘小学校 指導教諭


「道徳の教科化」をきっかけに,道徳のおもしろさと難しさを感じながら,研究と実践を重ねてきました。子供の「知りたい」「話したい」を大事にした授業とは?道徳科における個別最適×協働とは?日々の授業から,そして指導教諭だからこそ見える・感じることを綴っていきたいと思います。

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