2022.05.22
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(連載)家族支援@学校~学校の「合理的配慮」について考える~(第十回)

教員の仕事のメインは本来、児童生徒の教科指導と生活指導。ところが、もうずいぶん前から、保護者対応と呼ばれる大人相手の仕事が大きな割合を占めています。教師であると同時に家族支援者でもある私としては、この連載を通じて、保護者対応を家族支援と言いかえ、まったく新しい視点で考えていくことを提案したいと考えました。
第十回の今回は、家族支援@学校に絡めて、「合理的配慮」について考えます。

東京都内公立学校教諭 林 真未

お気持ちだけ、いただきます

私の子どもがまだ小学生だった頃だから、もう20年近く前のことです。うちの子が通っている小学校には、特別支援の固定学級があり、そこには、学区外からも子どもたちが通っていて、親御さんは、その子たちを毎日送迎されていました。
「"健常児“の親というだけで、私は玄関先で『行ってらっしゃい』と子どもを送り出せばすむ。けれど、あの親御さんたちは、毎日遠くから学校に通わなければならないんだな…大変だよな…」
私は単純なので、そう感じてすぐに、
「それって不公平ではない? 毎日とは言わずとも、週に1回ぐらい私たちで送迎を肩代わりできないかな。そうしたら、“障害児”の親御さんたちも、私たちと同じように、玄関先で子どもを送り出せるじゃない」
と思ってしまい、PTAだかどこかに相談したことがありました。
でも思慮深い皆さんは二の足を踏みました。
「障害のある子はきっと配慮が必要だし、なにかあったら心配だから、ちょっとそれは難しいのでは…」
確かに、それはそうだなあ…と思いながら諦めきれない私は、固定級に通う親御さんたちに、直接、このアイデアを伝えてみました。ずいぶん意外そうな顔で、私の申し出を聞かれていたのを覚えています。しばらくして、親御さんたちからお返事が来ました。それは、お断りのお返事でした。
「やっぱり、他の人に自分の子の送迎をお願いすることは躊躇してしまいます。お気持ちだけ、有り難くいただきます…」

あれから20年

あれから20年。時代がすすんで「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」が生まれ、「合理的配慮」が責務あるいは努力義務となりました。
これは、それまで差別的な扱いに甘んじていた当事者や、様々なハンディキャップを自分たちでカバーしなければならなかった家族にとって、画期的な一歩だったと思います。
私も、細やかながら障害児者差別撤廃の活動に携わっていたので、この法律の制定ニュースには、大きな安堵を覚えました。
喜ばしい一歩である反面、けれど、残念なことに、それに伴うふんだんな予算措置や一般の人々の大きな意識改革はありませんでした。
そのため、少しずつ状況は変わってきているものの、家族が多くを担う現状は、結局、あまり変わっていないように思います。
今でも、固定級への保護者の送迎は行われているのではないでしょうか。

学校(通常級)での「合理的配慮」

私は通常級の学級担任なので、その界隈の「合理的配慮」を眺めるに、この法律を受けて、学校でも、ユニバーサルデザインやICT活用など、なんらかの障害を抱える子の学びやすい環境作りは、少しずつ整ってきているように思います。
本来的には、学校での「合理的配慮」というのは、障害を抱える本人や保護者からの訴えを受けて、学校の過重な負担にならない範囲で合理的と思われる配慮を、学校と本人・保護者とが対話を通じて決定していくものです。
けれど、実態では、本人や保護者の訴えを受けないまま「合理的配慮」を先回りしたり、逆に、訴えを受けても全校的な対応をしなかったり、あるいは、過重な負担にもかかわらず対応しすぎたり、と、それぞれの学校、学級が迷走しているような気がします。
そして、保護者からは、先生方の無理解を嘆くつぶやきが生まれたり、先生からは、また一つ、重荷が課されたというため息が聞こえたり。

でも本当は、誰も悪くないのです。

私は、保護者も、先生もいっぱいいっぱいで、余裕がないからこういうことになってしまうのかなと思っています。日本がお手本にした諸外国と日本では、そもそもの先生の仕事量や守備範囲に大きな違いがあります(余談ですが、その昔、特別支援コーディネーター導入のニュースを聞いて喜んだのもつかの間、それを学校の先生が兼任すると聞いて、外国との違いに驚いて、倒れそうになりました笑)。親のほうも仕事が忙しく、また、提供される家族支援にも大きな差があります。
つまり、対話を通じて決定、と言われても、日本の場合は、学校も家族も、「合理的配慮」を十二分に検討して実施するリソースが、まったく足りていないのです。

「足りない」を前提に

だから私たちは、まず、自分たちが充分な公的サービスを得ていない、という共有からスタートするしかないと思っています。

もし私が“障害児”を育てるなら、“健常児”を育てるのと同じ程度の負担感で、幸せな子育てをしたい。
今、先生としては、切実にブラックな働き方から脱却して、本来の仕事に没頭したい。
それはわがままではなくて、ただ、普通の状態を求めているだけ。
教育予算も、家族関係予算も、諸外国よりずっと少ない日本には、その状況はありません。
人々は口々に理想を語るけれど、その理想が現実になるのは、遥か遠い先の話。
アドバイスしてくれる人はたくさんいるけれど、現実に飛び込んで一緒に汗をかく人はほとんどいない。
だから今は、家族が学校に、学校が家族に求めるのではなくて、この足りない状況に力を合わせて立ち向かうしかないという……。

我ながら、ほんとに日本人って我慢強いですね……。

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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