教えるって難しい!! 良いところを見よう
皆さんは次のような経験はありませんか?先生の方は教室の子どもたちを、保護者の方はお子さんをイメージしてください。子どもが宿題の算数の問題を解いています。あまり鉛筆は進みませんが、一応解けたようで答え合わせをしました。しかし、間違えてしまったようです。宿題が終わり、間違い直しなどせずに学習を終えようとしていました。
あなたならどうしますか?
名古屋市立御器所小学校 教諭 松田 翔伍
間違いを指摘することの難しさ
上記のような場面に何度も遭遇したことがあります。私の失敗談からお話ししていきます。
私「間違い直しをしてから遊ぼうね。どうして間違えたのだと思う?」
子「…わかんない」
私「小数点を付ける位置が違うね」
子「…」
私「正しくは、こうやるんだよ」
子「…」
このように、こちらは丁寧に教えているつもりでも、教わる側は教わりたくないオーラを全開にしているのです。
一体、私のやりとりの仕方のどこに問題があったのでしょうか。
良いところだけ見よう
私は、まだまだ少ない経験の中で、少しだけ教える際の手応えを感じてきました。そのように変わったのは、子どもを見る時に「良いところだけ見よう」と決めてからのことでした。
手元に、『教え上手“自ら伸びる”人を育てる』(有田和正著)という本があります。この中でモチベーションを高め、才能を伸ばす技術として次のようなものが紹介されています。
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先入観を持って人を見る
一般に、人を見るときの心がまえは虚心坦懐が上等とされています。しかし人を育てよう、人を伸ばそうとするなら、「どんな人にも、かならずいいところがある」といった、よい先入観を持って相手に接する必要があるのです。いつも、ポジティブなメガネを通して相手を見ることです。(略)相手のよいところだけ見てやろうと最初から決めてかかれば、その通りよい面がたくさん目についてきます。
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この言葉は、算数の問題を解いている時にも当てはまると考えます。先程の会話では、「どうして間違えたのだと思う?」と尋ねるところから失敗だったのです。
まずは、子どもの考えに寄り添うために、「どうやって考えたの?」と尋ねます。尋ねる際の言い方もポイントです。尋問するように高圧的にはなってはいけません。まるで素敵なアイデアをひらめいた子を見つけた時のように、感心した態度を滲ませたいと考えます。わざとらしくなってはいけません。
そして、子どもが説明しだしたらそれだけでも素敵なこと。算数は、創造力や論理的な思考を伸ばす教科です。計算が合っているかよりも説明しようとしたこと自体、素敵だと感じたい。
一方で、「…なんとなく」や「テキトー」なんて返ってくることもあります。テキトーだったら、「すごいなあ。テキトーでも答えの数字は正しかったんだね」と良いところを見付けるようにします。
良いところを瞬時に見いだすためには、大人である私たちにも訓練が必要だと思います。どれだけ「良いところだけを見よう」と意識して実行してきたかです。間違いをしても、一旦、良さを認められると、人は他人の話を受け入れる構えが出来ます。
まとめ
人に教える時は、相手の考えをまずはこちらが理解しようという姿勢が大切です。
「どうして間違えたの?」から「どうやって考えたの?」へ。小さな言葉掛けの違いが、受け止め方の違いに繋がります。

松田 翔伍(まつだ しょうご)
名古屋市立御器所小学校 教諭
すべての子が考える楽しさを味わえる算数学習を目指し、面白い問題の開発や指導法、子どもとの関わり方について毎日考えています。「できる」「分かる」だけではない、「楽しい」算数授業について私と一緒に考えてみませんか?未来を生きる子どもたちの笑顔のために。
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