2021.05.17
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PTAのTはTeacherのT

PTAというのは教育熱心なお母さんの集まり、というのが昭和の頃から続く漠然としたイメージですが。実際には、PTAは、英語のParent-Teacher Association の頭文字。訳は、親と教師が協力する会なんですよね......。ちなみにGIGAスクールのGIGAは、Global and Innovation Gateway for All(直訳すると「すべての人への国際的技術革新の門戸」)の頭文字です。

東京都内公立学校教諭 林 真未

子どもにとってのPTA

昭和の昔、私が子どもだった頃から、PTAと言えば、お母さんたちが集まって、講演会を企画したり、広報誌を作ったりするイメージでした。
「子どものための活動」という触れ込みだったけれど、私はいまだに、PTAのどこが子どものためなのかよくわかりません。

その頃、私の母は作家で、私が学校から帰るといつも、私に背中を向けて机に向かい原稿を書いていました。
おやつは、テーブルの上に置いてある小銭。私はいつも学校から帰ると、それを持って近くの店にお菓子を買いに行っていたものでした。
夕飯も、母はさっとキッチンに立って手早く料理を並べるとすぐ、書斎に戻ってしまう。

そんな忙しい母が、働いているとはいえ、時間の都合をつけられる職種だから、とPTAの役員を引き受けた時、子どもだった私は強く思いました。
「PTAをやる時間があるのなら、私に手作りのおやつを作ってくれたらいいのに」
って。

親にとってのPTA

平成になって、今度は私が母親になりました。「PTA」は相変らず、講演会を企画して、広報誌を作っています。会議に出席する学年委員っていうのもありましたっけ。
できればみんなPTAはやりたくないと思っていて、PTAを決める年度初めの保護者会には、憂鬱な顔で集まっていましたね……。
欠席すれば委員は免れる可能性が高いけれど、それも潔くない話。

当時、私は「ファミリーライフエデュケーター=個人事業主」だったので、自分の母同様、時間的な都合がついて、保護者会には出られるし、PTAもやろうと思えばやれてしまう状況……。だから欠かさず出席していました。

保護者会の終わり頃、いよいよ委員決めの時間がやってきます。すると、みんながなんとなく、なんとか自分以外の人に決まってほしいという雰囲気を醸し出してうつむく。

天邪鬼な私は、もう、すぐにそれをぶち壊したくなってしまい、気がついたら、いつも委員を引き受けてしまうのでした。私は子どもが3人いるので、それぞれの小、中、高校で何回PTAを引き受けたかわかりません。最終的には、副会長まで出世したこともあります笑。

ある年、私が早々になにかの委員を引き受けた後、他の委員がいつまでたっても決まらないことがありました。もうその頃、私にはPTAが本来ボランティアの任意組織だという知識があったので、挙手して、こう発言しました。
「誰も委員をやりたくないのであれば、このクラス全体で、PTAを脱退すればいいんじゃないですか?」
すると、あっという間に、
「じゃあ私が」
「私が」
って、すべての委員のなり手が見つかったのには驚きました。
日本人って、ほんとにイレギュラーなことはやりたがらないのですね。
後から聞いたら、そんな発言をする私の方こそ、皆さんに驚かれていたようです。

思ったことを思った通りについ言ってしまう、日本人らしくないところが、私を生きにくくしているという自覚はあります……。

先生にとってのPTA

令和の今、私の立場は180度変わって、保護者から先生になっています。

保護者としてPTAを引き受けていた頃、実は私、
「PTAはparent-teacher associationの略で、親と教師によるボランティア組織のはずなのに、実際に活動するのは親ばかり。しかも、先生のほうは勤務時間にPTA業務をやっているのに、ボランティアでタダ働きしている私たちが、『すみませんが……お願します』とか職員室に言いに行くの、おかしくない?」
と、先生に対して、心の中で悪態をついていました。

今、心から懺悔して、逆に、あの頃の私を含む保護者の皆さんに伝えたい。
「先生は残業代が出ないので、実は毎日約2‐3時間、子どものためにタダ働きしています。それだけ働いても、PTA の活動に参加する余裕は持てません。PTAに関われなくても、どうか勘弁してください」

PTAのほんとうは?

そもそもPTAは、戦後すぐにアメリカから輸入されたシステム。
もともとあった、日本独自の学校応援システムも、そこに吸収されていったようです。
その上、日本と西洋では、「個」「集団」あるいは「ボランティア」に対する文化の違いがあるので、PTAは、本家とは主旨の違うものに変質し、独自の進化を遂げてしまいました。

個人的には、家庭教育講演会も、豪華な広報誌も、広域PTAの会合も、全部やらなくていいから、文字通りparent-teacher Associationとして、自分の子だけでなく、その学校の子どもたちみんなの育ちに、一緒に、直接、関わっていけたらいいんじゃないかなと思っています。

保護者時代、授業の準備の補助や、実際の授業でのフォローや、校外学習のコーディネートなどを、日常的にお手伝いする方が、広報誌を作るよりずっとやりたかったな。
先生としても、これらのことを全部先生が段取りしたり、丁寧にお願いやお礼をしたりしなくても、当たり前にやってもらえたら、すごく助かりそうだな。アメリカのPTA(最近はPTOというらしいです)では、そんな仕事があるらしいです。

「皆の子どもを皆で育てる」は、家族支援の理想でもあります。

日本でそれが実現するためには、以前に書いたように、保護者と先生が、お互い、学校批判・保護者批判をせず、信頼し合うことが大前提になるんでしょうけれどね……。

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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