2020.07.08
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通常級の特別支援(その2)

前回は、「特別支援」と「通常級の特別支援」は別モノでは、と提案しました。今回は、私が担任として実践している「通常級の特別支援」の具体的な実践をご紹介します。これらはちっとも正しいわけではなくて、暗中模索・試行錯誤・悪戦苦闘のなかで産み出した苦肉の策。少しでもお役にたてば、と恥を忍んで披露します。

東京都内公立学校教諭 林 真未

障害の種別ではなく、集団行動力と人間関係力がポイント

「特別支援」と「通常級の特別支援」は別モノと提案しましたが、「通常級の特別支援」も、ひとくくりでは語れないと思います。

今の学校システムは、多数の子どもたちが1人の大人の指示通りに動くことが前提で成立しています。だから、発達障害を含む、障害のある子やグレーゾーンの子が通常級にいる場合、障害の重さや種別、IQの高さ等よりなにより、集団行動力・人間関係力があるか否かが、「通常級の特別支援」を考えるポイントになります。

たとえIQが低くても、身体に障害があっても、集団行動ができれば、「通常級の特別支援」はそんなに難しくありません。しかし、集団を大人一人で動かさなければいけないときに、子どもが一人だけ勝手な行動をしてしまっては、その子を含む全員の安全を守り、必要な学習を提供することが難しくなります。

また、人間関係力も大切な要素です。「特別支援」の指南書には、発達障害の子の自己中心的行動や他害行動の起きるメカニズムが説明されていて、事前予防のための手立てもレクチャーされています。それはもうホントにその通りなんだけど、けれど、たくさんの子どもたちがともに過ごす空間での、子ども同士のトラブルまでは、なかなか避けられません。

つまり、通常級の教室にいる特別支援を必要としている子どもが、集団行動力や人間関係力があるかどうかで、「通常級の特別支援」のありようは大きく変わると考えます。

具体例を挙げると、ダウン症や静的な自閉症、知的障害のお子さんは、集団行動や友好な人間関係に長けている場合が多い。この場合は、学習支援が主軸になります。
身体障害のお子さんの場合は、移動支援や安全確保が中心でしょう。
ADHD、アスペルガーやアクティブな自閉症等の発達障害では、集団行動や人間関係に課題があることが多いように感じます。

担任は、この、集団行動や人間関係に課題がある子に対する「通常級の特別支援」に、いちばん困難を感じているのではないでしょうか。
また、そのような子どもと、学習支援が必要な子どもの両方を抱えて、身体が二つ以上欲しいと感じている担任の先生も少なくないでしょう。

徹底的に愛を伝える

このような状況の中で、まず私がしているのは、教室のすべての子どもたちに、徹底的に愛を伝えるということです。
支援の必要な子がいると、どうしてもその子に気持ちを持ってかれがちなので、努めてまんべんなく、子どもたちを見るようにしています。逆に、支援の必要な子には、たとえ問題行動があっても、変わらず愛していることを伝えます。

具体的には、まず、学級開きで、一人ひとりを大切に思っていることを伝えます。また、子どもから話しかけられたらていねいに応え、コミュニケーションが少ない子にはこちらから話しかけます。こんなことはだれもがしていることとは思いますが、とくに「大好き」「だいじ」と、はっきり言葉にすることを心がけています。

支援の必要な子には、その気持ちを思いやりながら、「私メッセージ」で、問題行動を抑えるよう働きかけます。

(例)
・上履きを脱いでしまうことに「上履きを履くのが苦手なのは知っているけど、画びょうを踏んで怪我をしてほしくないから、教室や廊下を歩き回るときは、上履きを履いてほしいよ」
・教室を出てしまうことに「一緒に勉強したいから、なるべく頑張って教室にいてほしいよ」「先生の見えないところでなにかがあると心配だから教室にいてほしいよ」
・どうしても手が出てしまったときに「がんばって、がまんしようと思ったけど、がまんがしきれなかったのかな?」

など、悪いことをしているから怒られている、という形ではない言い方を心がけています。

日々、このような声かけを努力し、関係性を作っているつもりでも、毎日、同じ問題行動は繰り返されるでしょう。それは、本人にもコントロールできない面があるのですから、仕方のないことです。
けれどそれでも、毎時間、授業を妨げられたりしたら、うんざりした気持ちにもなると思います。私はなります(-_-;)。
子ども同士のトラブルも、もちろん日々勃発します。こちらも、「またか」という思いに駆られることでしょう。
そんなときは、困った子は困っている子という「特別支援」の金言を思い出し、気を取り直すしかありません。

私は、自分の上手な対応で、その子の問題行動がなくなるとか、そんな期待は持たないようにしています。
そう思いたいのはやまやまですが、私は、先生の対応と子どもの変化にはっきりとした因果関係はないと考えます。「~していたら落ち着いてきた。」という、よくある成功エピソードは、先生の努力と変化の時期がたまたま重なっただけ。どういう対応であろうと、多くの子は、高学年になるにつれて落ち着く、と考えるのです。
私の場合は、そう考えていないと、つい、自分の功名心を満たすため、成功エピソードの主役になるために、やりすぎてしまうところがあるもので……。

*「問題行動」という表現を使いましたが、あくまで学校システムに対しての問題行動であり、見方を変えれば有意義な特性でもあると考えます。

特別支援の手法を可能な限り網羅する

精神的な面だけでなく手法的な面での工夫も、まだまだ足りませんが、頑張っているつもりです。
例えば、
 
教室や授業のユニバーサルデザインを心がける。
一日の予定を明示し、急な変更を行わない。
活動をルーティン化する。
タイムタイマーを活用して視覚的に時間を明示する。
一回に一つの明確な指示。
指示する時には、視覚聴覚に同時に訴えるように提示する。
はっきりとわかりやすく大きな字の板書。
板書が写せない子の手立てをあらかじめ用意する。
補助具を活用する。
一斉指導の後に、個別の声かけをする。

などなどなど。
これまでに先輩方から学んだ特別支援の手法を、気づく限りは取り入れています。

なかでも、抜群の効果を感じるのは、タイムタイマーです。アメリカ製の特別支援教具で、「タイムタイマー」の商品名ですぐ検索できます。視覚的に時間を把握できて、ブザー音の有無も調節できるのでお勧めです。

また、校内の先生方の支援や介助員制度の利用等も、積極的にお願いしています。
これはなかなか人手が足りないので、難しいところですが。
ほんとはかっこよく、自分ひとりでなんとかできる! っていうところを見せたいんですけどね……。

学級全体で状況を共有する

「通常級の特別支援」で欠かせないのは、学級全体で、特別支援についての理解を共有することです。

最初の頃は、特別支援を受けている子の発達障害について、他の子どもたちに伝えていいものか悩みました。伝えるにしても、保護者は発達障害だと考えていなかったり、否定していたりする場合には、どう伝えていいものか……。これにはさんざん悩みました。

今では、保護者がどういう状態であろうとも、必ず、学級全体で状況を言語化し、共有するようにしています。ただし、発達障害とか、特別支援という言葉を使わずに。
それらの代わりに私が使っているのは、「我慢する力」という言葉です。 
「◯◯さんは、みんなよりちょっと我慢する力が弱いんだよ。だから、みんなが席に座っているときに、席を立ってしまうことがあったり、同じことができなかったり、怒ってぶってしまったりすることがある。けれど、今、我慢する練習をしている最中だから、みんなには、大目に見てほしい。そして、できるようになるまで、応援してほしい。」
こんな言い方で、学級の子どもたちに状況を伝えています。
もちろん、◯◯さんは、「我慢する力」は弱くても、得意なこと優れたところがあることも、同時に伝えます。

「特別支援」に関わる人たちは、皆、特別支援の対象の子どもだけを見つめています。
けれど「通常級の特別支援」の主役は、学級の子どもたち全員です。

学級の子どもたちの協力がなければ、発達障害を持つ子の「通常級の特別支援」は成り立たないし、逆に、発達障害の子とともに育った子どもたちは、その経験を通じて、一筋縄ではいかない状況を生き抜く術を自然と身につけていくのではないでしょうか。

せめて私としては、そんな子どもたちに報いるべく、日々の学校生活をなんとか楽しく演出したい、と切に思います。

How to より to be

いろいろ書き連ねましたが、実際の毎日では、書いた通りにうまくいっているわけではまったくありません。

むしろ、自分の気持ちを抑えきれずに、「特別支援」のセオリーを無視した感情的なぶつかり合いをしてしまって、自己嫌悪に陥ることもしばしばです。

障害の有無にかかわらず、問題行動を繰り返す子どもたちは、自分の学校での所業を、お母さんだけにはぜーったい知られたくない、と思っているので、こちらの思い通りに動かすために「これ以上やれなかったら、お母さんに報告します!」と口走ってしまうこともあります。この方法を使うのはどうなのかなあと思いつつ、効力が抜群なので、困ったときにはつい頼ってしまっています。

さて、こんな間違いだらけの私でも、なんとか子どもたちと関係を保っていられるのは、きっと、how to(やり方) ではなく、to be(あり方) に軸足を置いているからなのかな、と感じています。

how to(やり方)はいつも失敗ばかりですが、to be(あり方)に関しては自信があるのです。
障害を抱えている子もそうでない子も、優等生も劣等生も、目立つ子も目立たない子も、みんな同じように大好きな気持ちは揺るぎませんから!

最終的には、それさえあれば、なんとかなる!

special thanks to ……

この記事を書くにあたり、 松岡章一先生@北九州に多大なるご教示をいただきました。ありがとうございました。

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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