2020.03.06
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東日本大震災について学ぶ(リポート1) さいたま市立海老沼小学校 教諭 菊池健一さん

東日本大震災を取り上げた授業を、さいたま市立海老沼小学校 教諭 菊池健一さんが4回にわたって紹介します。第1回では、子どもたちにどのように関心を持たせるかについてリポートいたします。

教師として被災地を訪ねる・・・

今年度担当する3学年の児童は、東日本大震災が起こった当時に生まれた世代です。もちろん当時の記憶はありません。これまで、毎年この時期に、東日本大震災を題材として取り上げ、防災の必要性について、そして命の大切さについて学ぶ活動を行ってきました。特に教科の学習に震災や防災の内容を取り上げた実践に取り組んできました。

いつもは学習の導入として、児童の震災時の経験などを話し合っていました。震災当時に自分や家族はどんなことをしていたか、そしてどんな気持ちでいたかを改めて思い返すことで、児童は震災について自分のこととして捉えられるようになってきます。しかし、これからは震災を知らない世代になります。その子どもたちにどのように関心を持たせていくか。今年度はそこから考え始めました。

そこで、まずは教師である私が被災地の現状について知ることが大切であると考えています。これまでも被災地を訪ね、現地の人から話を伺う機会がありました。今回も、久しぶりに被災地を訪ねることからスタートしました。

気仙沼市、陸前高田市、釜石市へ・・・

宮城県立気仙沼向洋高校の旧校舎3階の様子

今年訪れたのは、気仙沼市から釜石市までの北上ルートです。初めは気仙沼市の「気仙沼向洋高校」跡を訪ねました。ここには気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館もオープンし一般に公開されることになりました。ここで驚いたのは、校舎の3階に入ってしまった車です。どれだけ高い津波が来たのか、そして、どれだけ強い津波だったのかを感じました。そして、津波が来る前に近くの高台や校舎の屋上に避難した生徒さんや先生方の思いを想像することができました。

陸前高田市の奇跡の一本松

次に、陸前高田市の「奇跡の一本松」を訪ねました。この一本松はもう生きていませんが、復興のシンボルとして多くの人が訪れています。小学校で使われる道徳の副読本にも一本松を話題にした資料が掲載されています。昨今、近くに伝承館もでき、多くの人に震災の状況を伝えています。私も実際に一本松の近くに立ち、津波の大きさを感じることができました。また、残った一本松の強さとそこから地元の人々が感じている力強さも知ることができました。

釜石鵜住居復興スタジアムに設置された震災教訓祈念碑

最後に、釜石市鵜住居町を訪ねました。鵜住居町にはラグビーワールドカップ2019™日本大会で使われた釜石鵜住居復興スタジアムもあります。駅の前では、震災で亡くなった方の名前が刻まれた慰霊碑を見ることができました。また、同スタジアムでは、当時小学校で保護者の電話対応に当たられながら津波で亡くなった事務員の方が、最後にご主人に伝えた「あなたも逃げて」という言葉が記された震災教訓祈念碑を見ることができました。

これらの見学から、新たに学ぶことも多く、児童の指導にも活用できる資料も得られました。

授業にどう生かすか考える

今回の取材で、被災地の現在の状況について知ることができました。震災から約9年がたち、被災地から離れたところから見ていると復興がだいぶ進んでいると思っていたのですが、まだまだ十分に復興し切れていないことが分かりました。さらに復興を進めるためにどうすればよいかなどを児童と考える活動もできると感じました。

また、実際に釜石市の小学生が津波から逃げた道を実際に歩いてみました。道を歩きながら、津波が襲ってくる中で逃げていた子どもたちはどんな思いだっただろうと考えました。これからクラスの子どもたちの防災意識を高める指導をする際にも、この経験が生きると思います。

文・写真:菊池健一

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