2016.08.04
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相模原大量殺人 学校・家庭・地域ができることとは?

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師 鈴木 邦明

7月26日未明、神奈川県にある障害者施設において、凄惨な事件が発生し、19人の方が亡くなられてしまいました。

驚きと悲しみと苦しみが絡まりながら、私の心の中にあります。

 

事件から時間が経過し、ニュースなどで事件の詳しい状況や犯人の状況などが公になってきました。

 

今回の事件は、事件発生後、イギリスのBBCを始め、世界の多くの報道機関が取り上げていました。

この数年で世界中で発生しているテロと関連をさせているのかもしれません。

報道によると、今回の事件は、世界で起きているISなどが絡む宗教に関係するテロなどではないようです。

しかし、若者のそういった狂気の行動の背後にあるもの、根底にあるものには共通する部分があるのではないかと感じます。

事件の衝撃が大きすぎて、私自身の考えもきちんとはまとまっていないのですが、今回はこの事件のことについて書きたいと思います。

 

まず、子どもを取り巻く現代の社会状況について考えてみます。

地域や社会において、人とのつながりが疎遠になってきています。

情報機器の発達などによって、SNSなどを用い、密なつながりのように見えますが、実はとても希薄なつながりなのだと思います。

以前であれば、人と人の密な繋がりの中で、地域や学校などで育てられていたもの、また逆の言い方をすると、きちんと指導、注意することができていたものが出来なくなってきているのではないかと感じます。

今回の事件と社会の状況について様々なことが関係していると思われますが、その中でも私は「ゲーム」と「携帯電話」がとても気になります。

私は、中学生位の頃にファミコンが発売された世代です。

あまりゲームに夢中になることはありませんでした。

今もゲームはしませんし、少し下の世代が夢中になっているポケモンGOにもあまり興味は湧きません。

しかし、今を生きる子ども達は、状況が全く違います。

教師になってこの20年位、子ども達の様子を見ていると、子ども達はたくさんのゲームをやり、一部の子どもは「依存している」と言っても良いような状態です。

親に隠れて夜遅くまでゲームをやり、学校で居眠りをしてしまうという子どももいます。

特に夏休みなどの長期休業中は、一日中、ゲームをしているような子どももいるはずです。

学校で子どもと接していると、ゲーム好きな子どもの心理的なぎこちなさを感じることもあります。

ゲームには、非常に暴力的な内容のものが含まれていることがあります。

ゲームはとても考えられて作られており、子ども(大人も)が「中毒化」してしまう要素がたくさんあります。

そういった暴力的であったり、都合が悪い時にはリセットをしてしまったりすることのできるゲームが子どもの情緒面の発達において、大きな歪みを作っているのではと感じます。

特に、時折テレビのニュースなどで見かけるアメリカの兵士が行っている遠隔攻撃の様子には恐ろしさを感じます。

日本の子どもが使っているゲームと同じような機材で、スクリーンを見ながら、攻撃をしています。

それらは、アメリカの本土にある基地の中で、無人機を使って中東などのテロ組織を攻撃しているというものなのです。

ゲームの「バーチャル」な世界と現実の「リアル」が一つのところで、つながっています。

今、流行しているポケモンGOも現実世界と仮想世界がつながることで、成立しているゲームです。

情報機器の発達により、この「バーチャル」と「リアル」の混同が人の暮らしをより良いものにしていく面もあるのだと思います。

しかし、そうではない負の部分をしっかりと認識し、対応していくことなしには、より良い社会の実現は難しいのだと思います。

 

「携帯電話」に関しては、人間関係の作り方に大きな影響を与えているように感じます。

SNSなどによる繋がりは、親密な繋がりのように見えますが、それは非常に特殊なものだと思います。

SNSでは、互いを監視するかのように「常に」繋がり、文字などによって「表面的」につながっています。

「既読」や「いいね」に縛られ、窮屈な思いをさせられることも多いはずです。

そういった状況において、人とのつながりの中で育むべきものが十分育っていないというのが、現代の子どもなのではと思います。

数十年前の日本であれば、否応なしに様々な人との直接的な関わりの中で、人が生きていく上で大切なものを学んでいたように思います。

少し社会のルールから逸脱したことをすると、近所の人に叱られ、また、知らない大人からも叱られたりする中で、様々なものを学んでいたのだと思います。

 

そういったことが背景にある中で起こってしまったのが、今回の事件なのではないかと思っています。

単に犯人である一人の若者が悪いということだけではない、社会における問題として今回の事件をとらえ、これ以上悲しみ、苦しむ人が出ないように考えていくことが大事なのだと思います。

 

そういった中で、社会(学校、家庭、地域など)がやれることは何かと考えました。

まず、学校や施設などで、不審者に対するセキュリティのレベルを上げるということが考えられます。

学校を全て高い塀で囲い、入口はオートロック式にし、防犯カメラを設置するなどのものです。

私が以前勤めていた学校は、校門が全てオートロック式のものでした。

学校は出入りの多い施設なので、オートロックの操作が非常に煩雑だったのを覚えています。

そういったハード面を整えていくことにも一定の効果はあると思われます。

しかし、コストが大きなものになることと犯罪を起こそうと思っている人が本気になればそういったハードを超えてくることができるという問題点があります。

学校にいくら壁をつくったとしても、それは刑務所などのものとはレベルが違います。

悪意を持った人ならば、乗り越えることができてしまいます。

ハードには限界があります。

 

ハードよりも取り組むべきはソフトに関する部分だと思います。

学校や家庭、地域を含めた社会全体で、子どもが健全に育っていくことができるように努力をしていくことが大事なのだと思います。

先日、発達障害に関する研修に参加した際、講師の方が発達に障害がある子どもは、情緒などの部分だけでなく、体の動作性がスムーズでない子どもが多いと話されていました。

眼球や舌の動きなどが滑らかでないことが原因で、コミュニケーションで不都合が生じることもあるのだということでした。

確か、教室にいる子ども達を見ていると、そういったことに心当たりがあります。

昨今の子どもを取り巻く環境の変化(体を使わない生活)などの影響で、自分の体を保持する上で必要な筋力やそれに関係する神経などが十分発達していない子どももいるとのことです。

「体を動かす」ことで、体の動作を滑らかにすることができます。

それが、コミュニケーションをスムーズにすることにもつながっていきます。

このように適切に、科学的に子どもの育ちに関わっていくことが求められます。

少しずつ、着実に子どもの心を育んでいくことが大事なのだと思います。

 

大事なことは、それぞれの時点で、子どもの健全な成長のために周りの大人が努力をすることなのではないかと思います。

「正しいことは正しい、正しくないことは正しくない」と伝えていくことが必要でしょう。

それと共に、何らかの理由でフォローが必要な人を、社会全体が支えていく体制を作っていくことも必要でしょう。

ポイントは「全ての子ども」をきちんとケアーするということです。

取りこぼしを作らないように、トラブルの際の小さなサインを見逃さないことが大事でしょう。

今回の事件に関しても、何度かサインが発せられていました。

そういったものを的確に捉え、適切にフォローしていくことが、大事なのだと思います。

 

様々な意味で、現在は子どもにとって生きにくい時代なのだと思います。

子どもに関わる大人が協力し、子どもがより良く育つことができるよう努力していくことが大事なのだと改めて感じました。

 

心から未来がより良いものになって欲しいと思います。 

鈴木 邦明(すずき くにあき)

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師
神奈川県、埼玉県において公立小学校の教員を22年間務め、2017年4月から小田原短大保育学科特任講師、2018年4月から現職。子どもの心と体の健康をテーマに研究を進めている。

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