2015.11.27
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科学教育における小学校の矛盾する2つの姿 ~不思議と感じる感性をいかに育むか~

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師 鈴木 邦明

  

 

先日、東京学芸大学理科教員高度支援センター主催「第六回理科教育シンポジウム」にパネリストとして参加してきました。

 

テーマは「不思議と感じる感性をいかに育むか」というものでした。

発表者は、大学教授、中学校教員(大学の附属中学校)、自然科学館職員、そして私でした。

中学校の教員の方は、教職大学院の教員も兼ねており、私以外の方々の発表は、とても専門的なものでした。

とても勉強になりました。

しばらくすると、東京学芸大学理科教員高度支援センターのページに当日の詳細がアップされると思います。

興味のある方は、そちらをご覧ください。

 

そこで、話題になったことの一つに「小さな子どもが持っている『どうして?』という疑問はいつ無くなってしまうのか」ということがありました。

大学の教授で、日本で初めて恐竜の足跡化石を見つけた先生は、「いつでも『なぜ?』を持つこと」が大発見につながったと話されていました。

また、パネリストの一人である中学校教員が、中学生にアンケートをしたところ、小さな頃は感性に基づく不思議を感じているけれども、年齢が上がるにつれて知識に基づく不思議を感じるようになるとのことでした。

 

シンポジウムの最中、そのことを私はずっと考えていました。

そこで出た私なりの考えは次のようなものです。

小学校においては、子どもに疑問を持たせ、不思議を感じさせるような授業(生活科や理科など)を行っています。

それと共に、不思議だと思う気持ちを削ぐような活動も行っています。

小学校では、休み時間が終わり、チャイムが鳴ったら教室に戻ってくることを求めます。

アリの不思議な動きに見入っている一年生がいたとしたら、教員は「終わりにして教室に戻りなさい」と声をかけるはずです。

もし子どもが「もっとアリを見たいから、教室へ戻らない」と言い張ったり、泣き出したりすると、「困った子」として、職員室で話題になることでしょう。

これは、学校の目的に「社会化(socialization)」があるから起こることです。

学校では、子どもがある程度、集団の中ではみ出さずに生活をする能力を育むことを目指します。

特に一年生では、そういったことが重要なテーマの一つになります。

そういったことをしないと、学校というシステムにおける学びの質が高まらないからです。

「小1プロブレム」は、こういったこととも関連しています。

 

小学校では、矛盾する2つのこと(「不思議を感じる感性を育てること」と「集団の中ではみ出さずに生活できるようにすること」)を同時に行っています。

幼児が持っている何にでも不思議に思う気持ちが、小学校に通うことによって、徐々に制限をかけられていくのだと思います。

いつまでもそういった思いを失わない子どもは、学校という組織からはみ出してしまいます。

エジソンがそうです。

アップルの社長だったスティーブ・ジョブズもそうです。

他にも世界を変えるような発見をした多くの偉人がそうだと思います。

 

これまでの21年間の教員生活において、上で書いてきたようなことは考えたことがありませんでした。

矛盾する中で、何を大切にしていくのかをしっかりと考えながら、日々、質の高い教育をしていきたいと思います。

 

日々、悩みながら・・・。

 

 

理科教育シンポジウムで使用した資料などもある私の研究用のHPがあります。

興味のある方はご覧ください。 

鈴木 邦明(すずき くにあき)

帝京平成大学現代ライフ学部児童学科 講師
神奈川県、埼玉県において公立小学校の教員を22年間務め、2017年4月から小田原短大保育学科特任講師、2018年4月から現職。子どもの心と体の健康をテーマに研究を進めている。

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