2024.01.11
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「振り返り」に値する中味が大事 子どもにとっての中味のある授業(1)

「振り返り」を意味あるものにするには、振り返りに値する授業の中味が大事ですね。前回に続き、今回も、子どもにとって、振り返りに値する「授業の中味」について、「勉強」「学び」をKeywordに考えてみたいと思います。

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授  前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師 川島 隆

「勉強」という言葉

新年を迎え、いよいよ受験シーズンですね。
近頃は、地方でも、中学受験が珍しいことでもなくなりました。
様々な選択肢の中で、将来歩む道を考えていくことは、とてもよいことだと思います。
一方、そういう時流にのって、新聞広告には、受験シーズンでなくても塾生募集がでています。
その中で、こんなフレーズが目に留まりました、「『勉強しなさい!』『勉強しなさい!』『勉強しなさい!』と言われて、やる気の出る子はいない」

その通りですよね。
「勉強しなさい」「勉強しなさい」じゃあ、子どもに限らず嫌になってしまいますよね。
せめて、「勉強してみない?」とか「勉強してみるといいかなあ~」とか、
もう少し積極的に、「一緒に勉強しよ」などと工夫してみる必要はあるでしょう。
(でも、そんなんじゃあ……。)

学校でも、準備された課題を「これ、やりなさい」って言われれば、子どもはやるんでしょうけど。
なんか違う気がします。

「勉強」と「学び」の違いについて

今回は、前回同様、「振り返り」に値すべき、授業の中味をどうするかを
この「勉強」と「学び」というKeywordから、考えてみたいと思います。
そもそも「勉強」という言葉そのものに抵抗を感じます。感じません?
「勉強」とは、そもそも「無理をすること」「気がすすまないことを、しかたなしにすること」という意味を持っています。
商売で「もうちょっと勉強してくれませんか?」と言ったりしますが、
これは「もう少し無理してまけてくれませんか?」っていう意味なんですね。
昭和世代の人間は、御存知のことと思います。
そんな「無理」なことなら、子どもも大人も嫌ですよね。

佐藤 学氏(東京大学名誉教授)は、「勉強と学びの違いについて」、次のように述べています。

〇 「勉強は、絶えず終わりを告げるもの」「学びは絶えず始まりを準備するもの」
〇 「勉強は、前へ前へ進むもの」「学びは行きつ戻りつするもの」
〇 「勉強は、何ものとも出会わず、何ものとも対話しないで遂行されるのに対して、学びはものや人、事柄と出会い対話する営みであり、他者の思考や感情と出会い対話する営みであり、自分自身と出会い対話する営みである」

例えば、「これを計算しなさい」って課題を出されたら、答えを出したところで「終わり」「思考ストップ」となります。
課題(家庭学習も含め)をやり終えたら、きっと子どもは、「終わったあ!」って言ったり、心の中で叫んだりして、そこで、思考はストップします。
それは、強いられたものが「終わった」のだということです。
一方、「学び」と言えるものならば、取り組みつつも次なる疑問や気付きが新たな「学び」を生み出していくことになるでしょう。

「学び」とは……

「学び」について、奈須正裕氏(上智大学教授)から、こんなことを教えていただきました。

〇 すべての子どもは有能な学び手である。
〇 そもそも子どもは、主体的にしか学べない。
〇 ご褒美と賞賛は、内発的な意欲と学びの質を低下させる。
〇 「知識」は、学び手によってその都度構成される。
〇 暗記的知識は、問題解決には使われない。

つまり、「学び」は、子どもの主体性が前提にあり、強いられたり、受け身であったりする中で、創られるものでないということです。
そして、本来の「知識」は、与えるものではなく、覚えるものではなく、子どもたちが、主体的に学ぶ中で獲得し、活用していくものになるのだということです。

子どもの内に「問い」や「気付き」を生み出す授業を

その意味で、これから私たちが創っていく授業は、如何に子どもの内に「問い」や「気付き」を生み出していくかが大きな課題であると思います。
子どもの中に生まれた「問い」や「気付き」を、主体的に解決すべき「課題」として授業を展開していくことで、真の「学び」を創っていくことができると考えます。
そして、そうした授業を創ることが、「評価」を考える上でも重要なことだと考えます。

「指導」と「評価」の一体化は、もう何十年も前から言われていることで、昭和世代には耳タコな言葉です。
「評価」を考えることは、授業の「目標」が何か、どんな「内容」で授業を構成するのか、
そしてどんな「方法」で行うのかを考えることです。
ぜひ授業の具体で考えていきましょう。

私の失敗事例

5年生理科「天気の変化」の導入の授業のことです。
教科書では、掲載されている2枚の写真を比較するところから始まります。
しかし、これでは自分事にならないと考えた私は、授業前日に1~2時間ごとに教室から撮影した5枚の写真を、その日の天気を確かめた後にばらばらに提示して、その順序を考えるという課題を提示するところから始めました。

順序を考えながら、雲の様子や天気の変化への疑問や気付きを生み、そこから単元計画を立てようと考えたのです。
ところが、40分授業と言うこともあったにしろ、順序を考えることに終始したこと、考えるための根拠となる材料や知識がないことで、私が想定した「問い」「気付き」を多くの子どもが生むところには至りませんでした。

その失敗を踏まえて

その後、次の時間の導入。
授業当日の朝と授業前の写真のみを提示し、そこでの気付きや疑問を出し合うようにしました。
偶然、その日は、雲の動きが速く、青空から曇り空へとリアルタイムで変化が見られました。
実際の雲の動きの観察も交えることで、その変化の速さも含めた多様な「気付き」「疑問」が生まれました。

むすびに

「振り返り」について考えるとき、授業の終末のノートに書き綴っていく場面にだけに注目しがちですが、その授業全体を教師自身がまず振り返って子どもにとって意味ある「振り返り」になり得るか考えなくてはと思います。
子どもたちがぐんぐん書いて止まらなくなっちゃうぐらいなら、子どもにとって「愉しい」「よい」授業だったんだということだと思います。

言うは易し、行うは難し。
私自身も学生にとって意味深い授業を創っていきたいとつれづれ書きながら心持ちを新たにしました。

参考資料
  • 「『学び』から逃走する子どもたち」佐藤学 著 岩波ブックレット pp54-57 2000.12.20
  • 「改善を待つ授業はどこにあるのか?」奈須正裕 日本教育心理学会第60回総会指定討論 慶応義塾大学 2018.09.16

川島 隆(かわしま たかし)

浜松学院大学 現代コミュニケーション学部 子どもコミュニケーション学科 教授
前浜松学院大学短期大部 幼児教育科 特任講師


2020年度まで静岡県内公立小学校に勤務し、2021年度から大学教員として、幼稚園教諭・保育士、小学校・特別支援学校教員を目指す学生の指導・支援にあたっています。幼小接続の在り方や成長実感を伴う教師の力量形成を中心に、教育現場に貢献できる研究と教育に微力ながら力を尽くしていきたいと考えております。

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