好きに理由は必要か?推しや熱量がなくてもいい心の持ち方
みなさんには推しがいるでしょうか。好きと言うには、詳しさや熱量が必要なのでしょうか。
推し文化や学校での何気ない問いかけを手がかりに、「なんとなく好き」「ちょっと気になる」という小さな心の動きを大切にすることについて考えます。
千代田区立九段中等教育学校 廣瀨 紘太郎
最近考えていること
みなさんには推しがいるでしょうか。
アイドル、俳優、スポーツ選手、作家、漫画のキャラクターなど、対象はいろいろあると思います。
かくいう私には、自信をもって「これが推しです!」と言える存在がいません。
もちろん、好きなものはたくさんあります。でも、「推しです」と言うほど詳しいかと言われると自信がない。グッズを集めているわけでもなければ、長年追いかけているわけでもありません。
そのため、何かに夢中になって推し活をしている人を見ると、少しうらやましいなと思うことがあります。
一方で、推しをもたないのも、それはそれでかっこいいのではないかとも思っています。
仏教には「我執」という言葉があります。簡単に言えば、自分に執着することです。
少し乱暴に自分のことに引きつけて考えると、「私は〇〇が好きな人間だ」といった自己像に縛られすぎないことも大切なのかもしれません。
そんなことを最近考えています。
「好き」と言えない人もいる
学校現場では、「好きな〇〇は何ですか」という問いがよく使われます。
「好きな本は?」
「好きな教科は?」
「自分の推しを紹介しよう」
私自身も、何度も使ってきた問いです。
もちろん、すぐに答えられる児童生徒にとっては、自分のことを話すきっかけになるよい問いだと思います。
しかし、本当に全員が答えやすい問いなのでしょうか。
まだ好きなものが見つかっていない人もいます。好きだけれど、人には言いたくない人もいます。そして、「好きと言えるほど好きなのかな」と迷ってしまう人もいると思います。
先日、視聴していたテレビドラマで、こんなセリフがありました。
「おまえは好きが小さすぎて言えなかった。俺は好きがデカすぎて言えなかった。好きが言えない感じだけは分かるから」
これを聞いて、「確かになあ」と思いました。好きは小さすぎても言いづらいし、大きすぎても言いづらい。
例えば、「好きな作家は?」と聞かれたとします。有名な作品を一冊読んだだけで「好きです」と言うと、「それしか読んでいないの?」と思われそうな気がする。一方で、少しマイナーな作品まで知っていると、なんとなくちゃんと好きな人に見える。
不思議なものです。
本来、自分の内側にあるはずの「好き」が、いつの間にか他者からどう見えるかという問題になってしまいます。
「好き」に熱量は必要なのか
推しの世界では、どれくらい好きなのかが可視化されやすいように思います。
いつから応援しているのか。
どれだけ詳しいのか。
何回ライブに行ったのか。
どれくらいグッズをもっているのか。
もちろん、熱心に応援すること自体が悪いわけではありません。
しかし、「にわか」と「古参」のような言葉があるように、いつの間にか好きの大きさを比べてしまうことがあります。
このことについて考えるきっかけになったのが、朝井リョウ氏の『イン・ザ・メガチャーチ』です。
この作品では、ファンダム経済を題材にしています。人が何かを信じたり、熱狂したり、その熱狂が仕組みの中に取り込まれていったりする様子が描かれています。
読んでいて怖いなと思う一方で、自分は大丈夫だろうかとも考えました。
どれだけ好きか。
どれだけ時間やお金を使ったか。
そんな熱量を気にし始めた時点で、もしかすると自分の好きが、別の何かに動かされ始めているのかもしれません。
好きだから時間やお金を使うのか。それとも、時間やお金を使ったからこそ、「自分はこれが好きなのだ」と思いたくなるのか。
考え始めると、なかなか難しい問題です。
「なんとなく好き」でもいい
では、好きとは何なのでしょうか。
ここまでいろいろと考えてきましたが、結局のところ、そんなに難しく考える必要もないのかもしれません。
なんとなく好き。
ちょっと気になる。
理由はよくわからないけれど、なぜか心に残る。
それくらいでもいいのではないでしょうか。
私たちはつい、「なぜ好きなの?」と理由を求めます。
国語科の教員という仕事柄、理由や根拠を求めることは、私自身かなり多いです。
でも、すべての好きに明確な理由が必要なのでしょうか。
「なんとなく好き」
それも立派な答えだと思います。むしろ、まだ言葉にできないからこそ、大切にしたい感覚もあるのかもしれません。
小さな心の動きを大切にする
将来やりたいことを見つけよう。
夢中になれることを見つけよう。
学校でもよく耳にする言葉です。
もちろん、自分のやりたいことを見つけ、それを追究していくことは素晴らしいことだと思います。しかし、そもそもやりたいことを見つけることが難しい。
最初から人生をかけられるような対象が見つかる人ばかりではありません。
だからこそ、「ちょっと面白そう」「なんとなく気になる」「もう少し知りたい」という小さな心の動きを大切にしたいです。
それが何年も続かなくてもいい。
途中で飽きてもいい。
他の人より詳しくなくてもいい。
好きの大きさを競わなくていい。
好きになった理由をうまく説明できなくてもいい。
そもそも、まだ好きなものが見つかっていなくてもいい。
自分自身と対話して、ほんの少しでも心が動いたのなら、その感覚を大切にする。
「意味はよくわからない。でも、自分は好きなんです」
そんな言葉を、誰もが気兼ねなく言える教室をつくっていきたいです。
そして私自身も、推しと呼べるほどではなくても、日々の中で生まれる「ちょっと好き」を、もう少し大切にしてみようと思います。

廣瀨 紘太郎(ひろせ こうたろう)
千代田区立九段中等教育学校
「活動あって学びあり」をモットーに、日々研究・実践を重ねています。
教科の枠を超えて、多様な視点からものごとを捉え、表面的なことだけでなく、その背後にある文脈を大切にしながらよりよい教育のあり方を皆さんとともに探究していきたいです。
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