探究活動に生成AIをどう取り入れるのか ~どこまで任せ、どこから伴走するのか~
今回は、探究活動の現場で生成AIをどう位置づけてきたか、その中で見えてきた「どこまでをAIに任せ、どこからは伴走者である教員が担うべきか」という線引きについて深掘りしてみたいと思います。探究テーマ(リサーチクエスチョン)決定、日々の探究、成果物づくりのそれぞれの場面での捉え方に共通する「考え方」について考察していきます。
花園中学高等学校 社会科教諭 伏木 陽介
探究の現場で見えてきた「AIとの距離」
実践を重ねる中で考えた、生成AIをどこまで委ねるのかという問い
私自身は総合探究の時間に、生徒が自分のテーマを決定し、文献、フィールドワーク、インタビュー、アンケートなども含め一次情報を集め、考察し、成果物にまとめていくというサイクルを繰り返しています。このテーマの決定や、日々の探究、成果物づくりという一つひとつの場面で、生成AIをどう関わらせるかを、諸先生方とともにさまざまな方法を試してきました。
最近は、他校の先生方が集う勉強会にお招きいただき、探究に関連する話題や悩みを共有することも大変多くなってきました。
教員から寄せられる悩みを改めて棚卸ししてみると、「テーマ決めで詰まる」「面談で問い返しが難しい」「探究の成果をどうまとめさせるべきか」「生成AIを使わせたいが、どこまで任せてよいのか分からない」「どんな形で生徒に提供するべきか」といった声に集約されていくことに気づきました。裏を返せば、これらはどれも、生成AIにどこまで委ねるかという点にも結び付くかと思います。
具体的なツールの活用法については次回に譲り、今回は、その前提になる「捉え方」の部分についてお伝えできればと思います。
「答えを出す」道具ではなく「問いを返す」相手として
まず痛感したのは、普通に生成AIへ質問を投げると(生徒はこれをしてしまうことが多い)、たいてい整った「正解らしきもの」がすぐに返ってきてしまうということです。
「地域活性化のアイデアをください」と尋ねれば、商店街イベントやアプリ開発、観光ツアーといった案がそれらしく並びます。もっともらしく見えるだけに、生徒の思考はそこで満足してしまい、止まってしまいがちです。
探究において本当に大切なのは、生徒自身が抱いている一次体験や、うまく言葉にできないモヤモヤを掘り起こし、そこから自分だけの問いを立てていく過程だと思います。探究においては、実際にその場に行き、自分の身体を通して得た一次経験そのものが重要です。
そこから生まれる感覚や違和感、偶然の出に筆者会いは、生成AIに代替させるものではないと思います。つまり、一次体験に向かう生徒への伴走こそ、教員が積極的に担うべき領域だと考えます。
生成AIの価値は、一次経験の内容を踏まえ、それを言語化する手伝いをすることです。
あるいは生徒自身が考えたテーマや問い、提案などを「それは誰に向けた提案ですか」「反論が出そうな点はどこでしょう」といった問い返しによって、生徒自身の思考を後押しすることにあると思います。私はここを、生成AIを探究に取り入れる上での一番の分岐点だと捉えています。
言い換えれば、テーマ決めの場面で生成AIに決めてもらうこと自体は避けるべきです。あくまで生徒が自分の関心や違和感を先に言葉にし、生成AIはその視点を広げたり、多角化したりする壁打ち相手として関わらせる。
この順番を間違えると、生徒は自分の問いという手応え、いわば探究の所有権そのものを失ってしまうように感じています。
面談の場での問い返しについても、同じ構図があてはまります。生徒の相談に対し、教員自身が的確な問いをその場で返せず、伴走に手応えを持てないという声をよく耳にします。
ここでも、生成AIに代わりに問いを立ててもらう使い方をすれば、一見効率的に見えるかもしれません。しかし、それでは生徒との対話の主導権までも手放すことになりかねません。
むしろ生成AIは、生徒の状況を情報として提供する中で、教員が発問の引き出しを事前に増やしておくための壁打ち相手として使うのが、本来のあり方だと感じています。
一次情報の収集や成果物のブラッシュアップでの活用
日々の探究活動においても、フィールドワークやインタビュー、文献調査といった一次情報の収集そのものは、生徒自身の足と言葉で行うべき領域(そして醍醐味)だと考えています。
ここに生成AIを安易に介在させすぎると、五感で感じられることや、その現場でしか得られない気づき、対話の中で生まれる予期せぬ発見が薄まってしまいかねません。
一方で、集めてきた情報を蓄積し、論理を整理したり、別の視点からチェック、提案を受ける場面では、生成AIは頼れる存在になります。
インタビューの前に相手の本音を引き出す質問の質を検討させたり、生徒自身が立てた仮説に安易に同調させず矛盾点を指摘させたり、完成間近のレポートやスライドの原稿を学校独自の評価基準に照らして確認させたりといった使い方が考えられます。こうした使い方は、教員一人が多くの生徒に向き合っていく上で、心強い補助線になっています。
伴走者にしかできないこと~「第二の伴走者」としての生成AI
もう一つ、この一年で強く感じているのは、生成AIが苦手とする領域が、実は教員の本領そのものだということです。
何を目指すのか(目標・到達地点)を生徒とすり合わせ、モチベーションをどう保たせていくかを見極めることは、少なくとも現時点では、人と人との対話にしか担えない部分があると感じています。
だからこそ私は、生成AIとの対話を成果物づくりの下請けとして使わせるのではなく、生徒が生成AIと交わしたやりとりそのものを、探究のプロセスを映す記録として一緒に振り返る材料にしています。
AIとのやりとりを通じて、自分の考えはどう変わったかを確認する時間は、面談の場でしか生まれない気づきにつながっています。
そう考えると、生成AIをうまく使いこなすことの目的は、生成AIに向き合う時間を増やし、生徒を教員から遠ざけることではなく、むしろ生徒と教員や大人が向き合う時間の質を高めることにあるのだと思います。また別の見方をすれば、限られた生徒との対話の時間を、より意味のあるものにする方法の一つでもあります。
一次情報の整理やアイデアの壁打ち、自分のモヤモヤを整理し確認するための対話といった部分を、生成AIに事前に任せます。これにより、先生方が探究活動で担当する多くの生徒との限られた面談や声かけの時間を、目標のすり合わせや、生徒の気づきを引き出す対話そのものに使えるようになります。そのための素材を提供する第二の伴走者として、生成AIは存在します。この一年の実践を通じて、私はそこに一番の手応えを感じています。
具体的な利用実践例に向けて
生成AIが探究活動に入ってくるほど、教師の役割が小さくなるわけではありません。むしろ、何をAIに委ね、何を生徒自身に委ね、そしてどこで教師が対話するのか。その線引きを考えることそのものが、これからの探究における教師の重要な仕事になるのではないでしょうか。
答えを与える存在ではなく、問いを深める伴走者として、生成AIとどう付き合っていくか。
次回は、実際に授業や面談の中で活用しているカスタムAIアシスタント機能(Bot(Gem))の具体的な事例や、NotebookLMのようなパーソナルAIアシスタントをどのように活用しているかを、いくつか紹介できればと思います。

伏木 陽介(ふせぎ ようすけ)
花園中学高等学校 社会科教諭/中高一貫(ディスカバリー)コース統括・ICT担当、東西探究交流会代表
長年にわたり、探究学習のプログラム策定や実践に携わってきました。
学校や授業の改革には何が必要かを考え、現場でのチーム作りや実践を重ねております。
また、大学などの「学術知」を中高の教科指導とどう結びつけるかを追求し、共通テストの分析やICTとの接続等の教材開発に取り組んでおります。
こうした経験を活かし、未来の学びの創造に貢献したいと考えています。
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