『オデュッセイア』 人類の根底を見せる壮大な長編叙事詩

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。
今回は、古代ギリシャの叙事詩を原作に、トロイア戦争後の英雄オデュッセウスの帰還の旅を描いた『オデュッセイア』を紹介します。戦争や暴力を繰り返す人間の愚かさと、その一方にある「愛」の力を通して、人間の根源を見つめ直す作品です。
『オッペンハイマー』のノーラン監督の最新作がついに公開

photo by Melinda Sue Gordon (C) Universal Studios. All Rights Reserved.
クリストファー・ノーラン監督は、原爆の開発を指揮した理論物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの生涯を綴った映画『オッペンハイマー』(23年)で、アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞を含む7部門を制した。
ジャンル的には伝記映画なのだが、人類史上最も禁忌な武器を作り出した者たちの葛藤や、そこに至るまでの経緯、武器そのものへの畏怖などを歴史的背景とともに描く。それとともに、人類そのものを滅亡させかねない武器を、科学者たちはわかっていながら作り上げたという事実をしっかり見せることで、人間の愚かさをも剥き出しにした。壮大な歴史ドラマでもあるとともに、重厚な人間ドラマでもあった。
以前、この『オッペンハイマー』について「映画と教育」で書いた際に、ノーラン監督は第3次世界大戦を止めるという課題に挑む男を追った『テネット』(2020年)製作の際に、現代世界における核の脅威、実際に日本に原爆が投下されたことに思いを巡らし、いろいろ調べたりもしたことで『オッペンハイマー』の製作につながったと書いた。
そのことを考えると、『オッペンハイマー』を終えたノーラン監督は、もっと人間の根源的な部分に触れたいと考えたのではないか。つまり、人類はなぜ戦うのかという理由。その思いを探るため、古代ギリシャの詩人ホメロスが書いたと言われる叙事詩『オデュッセイア』に着手したのではないだろうか。
西洋文学の源流のひとつとなった『オデュッセイア』

photo by Melinda Sue Gordon (C) Universal Studios. All Rights Reserved.
そもそもホメロスとは紀元前8世紀末の吟遊詩人とされ、『イリアス』と『オデュッセイア』という二大叙事詩を作ったと言われている。叙事詩『イリアス』はギリシア神話に基づくトロイア戦争末期を舞台とし、約10年に及ぶ戦いの最後の数週間を描いたもの。英雄アキレウスの「怒り」を中心とした戦いのドラマが綴られる。
一方、叙事詩『オデュッセイア』は、トロイア戦争後に知将オデュッセウスが10年間の海上の冒険を経て故郷へ帰るまでの旅の物語。映画『オデュッセイア』は、それこそ有名なトロイの木馬の逸話あたりからスタートし、オデュッセウスがなんとか帰還を試みるのだが、そのたびにさまざまな試練が立ち塞がることになる。
しかも今回の試練とは、神々の怒りが巻き起こす大嵐だったり、一つ目の巨人だったり、魔女だったり、セイレーンだったりするのだ。予告編などを見ていると、とても重厚な史劇のように思えるのだが、フタを開けてみればとてつもなく壮大なファンタジーとして仕上がっている。
しかも描写はどちらかといえばグロい。例えば一つ目の巨人は人間たちを茹でた海老でも食べるがごとく頭からむしゃぶりつくのだが、その描写は『進撃の巨人』以上に薄気味悪いし、ゾッとさせられる。
魔女のシーンもそうだ。オデュッセウスの部下たちは食糧を頼って魔女とは知らずにある女性の家に押しかける。そこで食事に手をつけた途端、魔法の力で食べるのを止めることができなくなってしまう。顔が汚れるのもおかまいなしに、次から次へと意地汚く肉や穀物に食らいつく兵隊たち。そんな彼らの口や顎に手をかけ、押し広げながら豚の姿に整形していく魔女の姿は相当に怖い。
もし子どもが見たらトラウマになること、確実だ。宮崎駿氏のアニメーション映画『千と千尋の神隠し』でも、主人公の両親が豚に変貌してしまうシーンがあったが、その起源はホメロスの叙事詩だったのかもしれないと、改めて感動を覚えた。そして同じファンタジーという枠内にはあるけれど、ノーラン監督の表現は生やさしいものではなく、時に不快感を与えるような壮絶さがあり、そこがまた非常に興味深い。
描かれるのは人間の「愚かさ」

photo by Melinda Sue Gordon (C) Universal Studios. All Rights Reserved.
ではなぜここまでのグロさあふれる表現をあえてノーラン監督は取っているのだろうか。
それは人間の最悪な面と最良の部分の両方を見せたかったからではないかと思う。オデュッセウスはトロイア戦争後に帰還する際に、予言を受ける。その中の一つに、太陽神ヘーリオスが大切に飼う神聖な牛がいる島で、その牛を殺してしまい、罰を受けるというものだった。
予言通りに島に上陸したオデュッセウスは部下たちに、何があろうと絶対に牛を殺して食べないよう誓わせる。しかし飢えた部下たちは、その約束を破り、オデュッセウスが寝ている間に牛を殺してしまう。この逸話には人間の「嘘をつく性質」がよく描かれているし、100%約束を守れない人間の弱さも描かれている。
さらにノーラン監督は、トロイア戦争がもたらしたものは何だったのかとも観ている側に問いかける。木馬の中に忍んだ兵士たちが、潜入が難しかったトロイア城内に入り込むことに成功し、結果大暴れして戦争を終結させた。しかしその時に行ったのは、兵士だけではなく女だろうが子どもだろうが誰だろうが容赦なく命を奪い、美しい城に火をつけて焼き尽くすことをおかまいなしとする、あまりにも非道な行為。
オデュッセウスはふと我に返って、その様子をとても客観的に見る。戦争を終わらせること自体はいい。けれども、そのために行われるこの暴力は何なのか。それはノーラン監督が『オッペンハイマー』を撮ったときにも感じていたことであろう、戦争の無意味さ、秩序のかけらもない破壊行為と、それをやれてしまう人間の怖さだ。
つまりノーラン監督のフィルターを通して、私たち観客が感じさせられるのは、紀元前から人間はバカだったんだなということ。そして紀元前から現代に至るまで、人間は何度も何度も何度も何度も「戦争」という愚かな行為をやめずに生きてきた。そして累積すれば億を超える、いやひょっとしたら兆を超えるかもしれないほどの同類の命を奪い続けてきた。
そして何度も暴力はいけないと戒めつつ、それでも「戦争」を続けてきたのだ。この部分だけ見ていると人は学ぶことができないのではないかとも思えてしまう。紀元前からこうなんだもの。人間は滅びて当然かもしれないという、諦念が込み上げてくる。そういう部分をより明確に出すためのグロい描写を、ノーラン監督は選んだのではないだろうか。
でも人間は「愛」で救われる

photo by Melinda Sue Gordon (C) Universal Studios. All Rights Reserved.
その一方でしっかり描かれるのが「愛」だ。オデュッセウスの帰りを待ちわびる王妃や王子、そして彼を慕う者たちは、王の椅子を乗っ取ろうと画策する者たちになびくことはなく、ただひたすら王の帰りを待ち続ける。それを成したのは、とてつもない「愛」の力。「愛」が信じる力を呼んだのだ。それが神々の怒りを買いつつも、オデュッセウスを生きながらえさせた要因ではないかと思う。
あまり「愛」を口にしすぎると何か軽々しくも思えるが、誰かを愛おしく思い、大切にしたいと思うことはすべての出発点にあり、最も大切なことであることを、この映画を見ていると自然に見えてくるのだ。大事なのは家族であり、家族を守りたいという心が、国を守ることや、ひいては地球を守ることにもつながっていくのではないだろうか。
『オデュッセイア』は富や権力、体裁などを守ろうとするばかりの今の世界に、大きな疑問を問いかける映像叙事詩だ。後世にも伝えるべき、意味のある作品ではないかと思う。この作品を通して、今一度、私たちは自分の根源を見直す必要があるのではないだろうか。そうすれば戦争だけではなく、環境問題なども含めて、まだまだ解決できる方法はいろいろとある気がする。
今こそ学ぶ力、それを活かす力を発揮しないと、愚かさから脱却しないと、本当に未来はないかもしれない。そんな分岐点にいることを自覚させられる作品だ。
- Movie Data
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
原作:ホメロス
出演:マット・デイモン、アン・ハサウェイ、トム・ホランド、ロバート・パティンソンほか
配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
9月11日(金)より、全国ロードショー
© 2026 UNIVERSAL STUDIOS
- Story
10年にも及んだトロイア戦争を終結させたイタケの王オデュッセウス。そんな彼は妻であり王妃のペネロペと息子テレマコスが待つ故郷への帰途、神々の怒りを買ってしまう。一方、王の不在が続く故郷では、ペネロペに求婚者アンティノオスの影が忍び寄り、まだ見ぬ父を思う息子テレマコスも窮地に追い込まれていく。愛する家族のもとへ帰り着くため、オデュッセウスは過酷な運命に立ち向かっていくのだが……。
文:横森文
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横森 文(よこもり あや)
映画ライター&役者
中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。
2022年4月より、目黒学園で戯曲教室を展開。
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