どうしたん?
「どうしたん?」
子どもにそう声をかけることがあります。でも、そのあと、私はちゃんと待てているだろうか。
村上靖彦さんの『生き延びるための会話――他者と生きることの哲学』を読みながら、そんなことを考えました。会話は、ただ言葉を交わすことではなく、人が誰かとつながりながら生きていくための大切な営みなのかもしれません。
教師として子どもと向き合うとき、つい「どうすればよいか」を早く考えてしまいます。けれど、ときには答えを急がず、相手の言葉が出てくるのを待つことも必要なのではないか。
今回は、この本をきっかけに、会話のこと、そして子どもにとっての「生きるスペース」のことを考えてみました。
兵庫県西宮市立総合教育センター 指導主事 羽渕 弘毅
子どもに、ちゃんと聞けていたかな
この本を知ったのは、ある大学の先生がFacebookで紹介されていたからです。紹介を見て、ほぼ反射的に購入しました。
育児にもエビデンスや効率が求められるようになっています。それ自体は、決して悪いことではありません。できるだけよい方法を知りたい。子どものために、できることはしてあげたい。そう思うのは自然なことだと思います。
でも、正しい方法や効率よく問題を解決することを求めれば求めるほど、「ちょっと聞いてほしい」という時間や、何となく誰かと話しているような時間が、少しずつ減ってしまうこともあるのではないか。
そんなことを考えました。
会話から言葉が生まれる
村上さんは、この本の中で「会話」を手がかりに、人が他者とともに生きることについて考えています。
本の中には、貧困や厳しい養育環境の中にあっても、周囲との関係の中で支えられることで、母親が自分自身を肯定していくことが述べられています。
人は、一人で生きているわけではない。当たり前のことなのですが、改めてそう思わされます。
印象に残ったのが、「言葉は会話から生まれる」という一節でした。赤ちゃんは、「密」の中で誰かに話しかけられ、誰かと関わる中で言葉を身につけていく。そう考えると、会話こそが出発点なのかもしれません。
そういえば、私が子どものころはテレビを見ながら食事をすることは禁じられていました。「テレビばかり見て、家族で会話をしない」。そんなふうに言われることもあったように思います。
今なら、テレビの代わりにスマートフォンでしょうか。
いや、そんな単純な話でもない。便利なものが悪いのではなく、会話する余白がなくなっていくことが問題なのだろうと思います。
沈黙のあとに、言葉が出てくる
僕は、沈黙が苦手です。話をしていて少し間が空くと、「えーっと」「そうですね」「ちなみに……」と、何か言葉を足したくなります。
だからこそ、この本を読みながら、「待っていると、何かの言葉が生まれることがあるよな」と思いました。
個人懇談などで、子どもと一対一で話をしているときにも、似たようなことがあります。こちらから質問をして、すぐには答えが返ってこない。そんなとき、ついこちらが言葉を足したくなる。
でも、少し待ってみる。すると、ぽつりと何かを話してくれることがあります。その一言が、その子を知る手がかりになったり、次の関わりを考えるきっかけになったりする。
こちらが話すことで埋めてしまわず、相手の言葉が生まれるまで待つ。それも教師の仕事なのかもしれません。
「分かったつもり」が言葉を止める!?
専門知識も、ときには言葉を封じてしまいます。
子どもが何かを話したとき、「それは○○かな?」「きっと○○だね」と、こちらが早く意味づけしてしまう。そうすると、子どもは「そういうことなのかな」と、それ以上話さなくなるかもしれません。
もちろん、教師には専門的な知識が必要です。でも、その知識で相手の言葉を先回りしてしまわないことも、大切なのだと思います。
特に、マジョリティ文化になじんでいる僕たちは、自分の「当たり前」が、誰かの言葉を狭めていないか、少し慎重にならなければいけないのだと思います。
分からないことがあったら、すぐに答えを出さない。「あれは、どういうことだったんだろう」と、自分の中に残しておく。そうした違和感や失敗が、あとになって自分の見方を変えてくれることもあります。
「名前のない関係」に支えられてきた
指導主事になって、これまでの教員生活を振り返ることがあります。僕は、周りの先生方に恵まれていました。いろいろなことを教えてもらい、失敗して、また考えて。そうやって少しずつ、自分なりの教師像をつくってきたように思います。
一人で成長したわけではありません。仕事について話したこと。授業について相談したこと。何気ない一言を交わしたこと。そんな、一見すると「研修」とは呼べないような時間が、案外大きかったのかもしれません。
最近、タクシーに乗ると、運転手さんに話しかけることがあります。家族からは、「タクシーの運転手さんに話しかけすぎじゃない?」と言われます。でも、僕はああいう短い会話がけっこう好きです。
「今日は暑いですね」
そんな一言から、少し話が広がる。名前も知らない。もう二度と会わないかもしれない。それでも、その数分間だけは言葉を交わしている。
そういう「名前のない関係」の中にも、人が少し息をつけるような、生きるためのスペースがあるのかもしれません。
教室は「生きるスペース」になっているか
以前、知人に紹介されて『Tシャツが乾くまで』というドラマを見ました。
コインランドリーで、洗濯物が乾くまでの間に、そこに居合わせた人たちが話をする。そこでは、大きな出来事が起こるわけではありません。でも、少し話をすることで、それぞれが抱えていたものを整理していく。整理して、もとの場所に戻っていく。そんな場所として描かれていたことを覚えています。
では、教室はどうだろう。
教室はもちろん、学ぶ場所です。何を教えるのか。どんな活動をするのか。どんな力を育てるのか。教師として考えることはたくさんあります。
でも、その前に。教室は、子どもにとって「生きるスペース」になっているだろうか。
くだらないことを話してもいい。ちょっと失敗してもいい。うまく言葉にできなくてもいい。「どうしたん?」と聞いてもらえる。すぐに答えなくてもいい。
そんな場所になっているだろうか。
「どうしたん?」のあとを待つ
特別なプログラムを新しくつくらなくても、できることはありそうです。
「どうしたん?」と聞いてみる。すぐに答えが返ってこなくても、少し待ってみる。こちらの専門知識で、すぐに答えを決めつけない。
子ども同士が、何でもないことを話せる時間を残しておく。そして、教師自身も、自分の考えを一度言葉にしてみる。
そんな小さなことからでもいいのだと思います。
挿絵もいい。急がずに。
この本を読んで、会話について考えていたはずなのですが、最後には挿絵まで気になってしまいました。この本の挿絵が、めちゃくちゃ好きなんです。
調べてみると、挿絵を描いているのは須山奈津希さんでした。ゆったりとした雰囲気が素敵でした。他の作品も、少し見てみようと思います。
会話について考える本を読んで、最後は挿絵の人まで気になっている。まあ、こういう寄り道も、読書の楽しみということで。
次に子どもと話すときは、もう少し待ってみよう。
「どうしたん?」のあとに続く言葉を、急がずに。

羽渕 弘毅(はぶち こうき)
兵庫県西宮市立総合教育センター 指導主事
専門は英語教育学、学習評価、ICT活用。高等学校や小学校での勤務経験を経て、現職。これまで文部科学省指定の英語教育強化地域拠点事業での公開授業や全国での実践・研究発表を行っている。働きながらの大学院生活(関西大学大学院外国語教育学研究科博士課程前期)を終え、「これからの教育の在り方」を探求中。自称、教育界きってのオリックスファン。
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