2026.03.04
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指導主事が考える問いを手放さない授業づくり ―『子どもの側から授業をつくる』を読んで

若松俊介著『子どもの側から授業をつくる』を手がかりに、「授業を見る目」や「問いを持ち続けること」の意味を、自身の経験と重ねながら振り返ります。
整った授業に安心しながらも、どこかに残る違和感。
指導主事として多くの授業を見る現在地と、教育実習で味わった苦い記憶を往還しながら、子どもの姿を見ようとする営みがもたらす「迷い」や「揺れ」を言葉にしてみました。
正解を求めるのではなく、問いを手放さずに歩き続けること。その姿勢こそが、授業づくりの原点なのではないかと感じました。

西宮市立総合教育センター 指導主事 羽渕 弘毅

授業づくりの正解ではなく教師の違和感に寄り添う一冊

「自由進度学習」「個別最適」「協働的」。
学校現場には、授業を説明するための言葉があふれています。整っていて、便利で、どこか安心できる言葉たちです。一方で、それらの言葉を使いながら、ふと立ち止まってしまうこともあります。
今、自分は本当に、目の前の子どもの姿を見ているのだろうか。

『子どもの側から授業をつくる』は、そんな問いを、静かにこちらに返してくる一冊でした。本書に並ぶ29の問いは、授業づくりの「正解」を教えてくれるものではありません。むしろ、教師自身がこれまでに感じてきた違和感や迷いを、もう一度確かめ直すための補助線のように感じられます。

授業が順調に進んでいるはずなのに、どこか胸の奥に残るひっかかり。発言がそろい、板書も整い、評価としては「よい授業」と言われるけれど、なぜか引っかかる感覚。そうした言葉にしにくい経験を、本書は否定せず、そのまま差し出してきます。

整った授業の裏で見過ごされやすい子どもの姿と静かな違和感

子どもたちが活発に活動している。
声も出ているし、手も動いている。話し合いも途切れず、授業は予定どおりに進んでいく。かつて自分自身が行っていた授業でも、そんな場面は何度もありました。

一人ひとりが役割を担い、課題に向かって動いている様子は、外から見れば「よく整った授業」に映ります。実際、そのときの自分も、どこか安心していたように思います。ただ、活動がうまく回っている一方で、ある子の視線がふと止まっていることや、言葉を飲み込むような間が、後になって気になり始めることもありました。

授業が順調に進んでいるときほど、そうした小さな揺れは見過ごされやすくなります。整っているからこそ、立ち止まる理由を見失ってしまう。
本書を読みながら、あのときの自分は、どこまで子どもの姿を見ようとしていただろうかと、静かに問い返されているような気がしました。

指導主事として授業を見る立場から考える子どもに委ねる難しさ

指導主事として学校を訪れるようになり、「整った授業」に出会う機会は以前より増えました。学習規律が保たれ、発言も途切れず、構成も分かりやすい授業。短い参観時間の中では、安心して見ることができる授業です。

一方で、そうした授業を前にしたとき、「子どもに委ねる」ことの難しさについて、あらためて考えることもあります。委ねるとは、ただ自由にすることではありません。教師が一歩引くことには、不安も責任も伴います。沈黙が続くかもしれない。予定どおりに進まないかもしれない。その揺れを引き受ける覚悟が必要になります。

整っていない時間、言葉にならない間、迷いがにじむ場面。
そうしたものを抱えながら授業をつくっている先生方に、私はどれだけ寄り添えているだろうか。評価や助言が、無意識のうちに「整え」に回収されてはいないだろうか。本書を読みながら、そんな問いが自分に返ってきました。

子どもを「点」でしか見られなかった頃―教育実習の、少し苦い思い出

さらに読み進めるうちに、教育実習の頃の記憶がよみがえってきました。
何度も何度も指導案を書き直したこと。どれだけ悩んでも、「これが正解だよ」とは決して教えてくれなかった指導教官の姿が浮かびました。

授業後、その日の子どもの気になる姿を語ったとき、「ふ〜ん、はぶっちゃんはそんなふうに見えたのね」と返されたことがあります。良いとも悪いとも言われない、その一言に、当時は少し肩透かしを食らったような気がしました。けれど今思えば、それは評価ではなく、「あなたはどう見ているのか」を問い返されていたのだと思います。

あるとき、「(明るくて元気な児童)Aさんは、どう見える?」と尋ねられました。私はとっさに「明るくて元気です」としか答えられませんでした。そのとき、「服装はどうかな」と、もう一段だけ視線を深める問いを投げかけてもらいました。
子どもを見ているつもりで、実は言葉にしやすいところしか見ていなかった自分に、初めて気づかされた瞬間でした。

必死にもがいていた5週間。正直、もう一度教育実習をやりたいとは思いません。けれど、そのときに味わった迷いや立ち止まりが、今の自分の見方のどこかに、確かに残っているようにも感じます。

問いを手放さずに歩き続けること

若松氏が「はじめに」で語る揺れやひっかかりは、あの頃の自分の感覚と静かに重なりました。
迷いは、未熟さの表れではなく、子どもを見ようとしているからこそ生まれるものなのかもしれない。本書を通して、そんなふうに捉え直すことができました。

『子どもの側から授業をつくる』を読み終えて残ったのは、何かを「わかった」という感覚よりも、いくつかの問いでした。
授業が整って見えたとき、私は本当に子どもの姿を見ようとしているだろうか。
迷いが生まれた瞬間を、急いで片づけてはいないだろうか。

迷い続けることは、決して心地よいものではありません。けれど、その迷いがあるからこそ、見えてくる子どもの姿があるのだと、本書は静かに教えてくれたように思います。問いを持ち続けることは、立ち止まることではなく、学びを続けるための姿勢なのかもしれません。

久しぶりに、教育実習でお世話になった先生に連絡を取ってみようと思います。
あのとき投げかけてもらった問いが、今も自分の中で生き続けていることを、うまく言葉にできなくても、伝えてみたくなりました。

羽渕 弘毅(はぶち こうき)

西宮市立総合教育センター 指導主事
専門は英語教育学、学習評価、ICT活用。高等学校や小学校での勤務経験を経て、現職。これまで文部科学省指定の英語教育強化地域拠点事業での公開授業や全国での実践・研究発表を行っている。働きながらの大学院生活(関西大学大学院外国語教育学研究科博士課程前期)を終え、「これからの教育の在り方」を探求中。自称、教育界きってのオリックスファン。

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