2023.11.16
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教師の観の転換 子どもに寄り添うとは(vol.2)

経験を積んで自分の信念や授業スタイルを確立してきたころに,特別支援学校で教育実習をさせていただく機会を得ました。

このときほど,教師としての自分の在り方を根本から問い直したことはありません。

「子どもに寄り添う」って,言うのは簡単。この教育実習は,小手先の方法論や精神論に偏るのではなく,身をもって本質を考えるようになる転機となりました。

鹿児島市立小山田小学校 教頭 山口 小百合

子どもを本当にみているか 戸惑いの連続に「観」を揺さぶられ 教職の非再現性と不確実性からの気付き

子どもを本当にみているか

小学校教員になって20年以上が過ぎた中堅期。自分なりの授業スタイルを確立してきた私の信念は「授業で勝負」でした。
教科の内容をいかにわかりやすく,どの子もできるようにするかを考えて,教材研究に励み,書籍や研究会で優れた実践を漁っては再現を試みていました。長い間,研究主任を担当し,周りから「研究熱心」「指導力の高い先生」と言われたこともあり,正直に言うと,ちょっと自信をもっていました。

ところが,保護者の学校評価アンケートに「子どものことが見えていない。もっと子どもの声を聞いてほしい」と書かれたことがありました。
「こんなに一生懸命に子どもたちのために尽くしているのに?私の努力も知らないで」と,心の中で反論しました。
でも,もう一人の自分は認めていました。
毎日の忙しさの中で山積みの仕事を片付けることが優先になっていないか。
常にばたばたして子どもたちを急かし,自分の思う方向に引っ張ろうとイライラしてばかりの気がして,子どもたちと心から向き合えてはいないのではないかと,度々自己嫌悪に陥るのでした。

戸惑いの連続に「観」を揺さぶられ

そんな私に,特別支援学校での研修の機会が訪れました。教職大学院生として,教育実習をさせていただくのです。中堅教師の私が。初めて特別支援学校で。

実習初日。中等部のAさんが私の腕にいきなり抱きついて頬をすり寄せてきました。人見知りで不器用な私には,初対面で好意的な行動を示されるのは想定外。その子の気持ちを理解できなくて,どう対応するのが適切かわからずに困ってしまいました。
Bさんは,私が親切のつもりで優しく教えようとしたら,いきなり睨みつけて壁を蹴って威嚇してきました。
Cさんは,私が手伝おうとして何気なく身体に触れたところ,「謝って」「謝って」「謝って」と何度も何度も言い続けました。
今思えば,Bさんは自分でやりたいと挑戦していたのかも。Cさんは感覚過敏で他人に触れられるのが嫌で,びっくりさせられたのが許せなかったのかも。「みんな一人の人間で,それぞれに感情や考えがある」という当たり前のことに改めて気付かされました。

数学の時間にお金の模型を使って両替を学んでいた時のこと。
5や10の量や位取りの概念が定着していないと難しいだろう。知的障害の子どもにとってハードルが高いのではないかと思って見ていました。
Dさんが,間違えた自分自身に腹を立て,自分の頭を拳で何度も叩いていました。そしてそこで投げ出さずに,わかるまで一生懸命にお金を数えて考えていました。「学びたい!」「わかりたい!」という強い思いを感じました。
この様子に衝撃を受け,私は教師として恥ずかしくなりました。子どもの思いや可能性を信じずに,勝手に決めつけていた・・・。

他にも,視点が宙を漂っている子,甲高い声を上げている子,こだわりの強い子など,いろんな子がいました。嘘や飾りのないストレートな感情を表出する純粋な子どもたち。
しかし,積極的に関わろうと意気込んでみても,子どもたちがしたいことや伝えたいことが理解できないし,こちらの思いもなかなか伝わらないのです。どう接したらよいのか。
子どもたちに気を遣ってくたくたになっている私の横で,自分より若い他の実習生たちがうまくコミュニケーションをとっている姿に焦り,すっかり自信をなくしてしまいました。

教職の非再現性と不確実性からの気付き

行動が遅くなりがちなEさんに,担任が「○○するか,それとも○○するか」と,指を2本立てて選ばせました。Eさんはスムーズに行動できました。二人とも楽しそうでした。
Eさんを動かすにはこれだと思い,私もやってみました。
すると,Eさんにむっとした顔をされました。同じようにやってみたのに・・・。
他の教師に話すと「それはあの先生だからできることで,私にもできませんよ」と言われました。ある教師に有効なことが他の教師にも有効とは限らないのだと痛感しました。

また,一度うまくいった方法がいつでも効果的であるとは限らず,状況や文脈に合わせることも大切であると思いました。
では,他の教師たちはどうしているのか。
意識してみると,それぞれに違ったEさんとのコミュニケーションがみえてきました。
単なる「方法」ではなく,一人一人の教師がEさんと共に築き上げてきた「関係性」なのです。
ここで初めて「自分は子どもを動かす指導技術のみを求め,子どもとふれ合って関係性を築こうとしていないのだ」と,自分自身の見方・考え方の偏りに気付きました。

それで今まで通用してきたのは,言葉を理解できる子どもたちが私の指示に合わせてくれたからできた。いや,それを強いてきた。自分で気付かないまま,子どもの問いや思いや感情を置き去りにしてきてしまったのかもしれません。
言葉が通じにくい状況に置かれた今,言葉しかコミュニケーションのチャンネルをもたない自分。
人よりうまくいかせることで優越感を感じていた高慢な自分。
自分の教師像の輪郭がはっきりと見えてきて,子どもたちへの申し訳なさでいっぱいになりました。

子どもと心が通じ合う喜び

それからは,Eさんと同じ目線で,頭の中でEさんに「なってみる」ことを試みました。
次第に,言葉は発しなくても何をしたいのかがわかってきました。
身振りや文字盤を使って互いに伝えたいことが通じ合った瞬間,二人でハイタッチして喜び合いました。

玄関ホールで,フィギュアスケーターのように何度も回転して喜ぶAさんがいました。
私も,Aさんの真似をして回ってみました。
すると,Aさんがゲラゲラと笑い出したのです。私も一緒に腹の底から笑っていました。Aさんの楽しさがわかったのです。
いつも疲れた顔で,忙しくばたばたしていたこれまでの私は,子どもの世界を共に味わう楽しさを忘れていました。初日にうまく関われなくて戸惑っていた時からの自分自身の変化を自覚しました。

子どもと心が通じ合う喜び。原点に返る。そこから全ての教育活動が始まるのです。

山口 小百合(やまぐち さゆり)

鹿児島市立小山田小学校 教頭


鹿児島県内公立小学校で、地域素材・人材を活かした体験的な授業づくりや複式学習、遠隔授業の実践を積んできました。 
鹿児島大学教育学部附属小学校では、家庭科を中心に全教科における思考方法・技能の育成をテーマに研究に取り組み、現在も続いています。
教職大学院では、学校運営や学級経営、教員研修、授業分析、ICT活用などについて学び、小規模校の教育の質の維持向上を考えています。
教頭になり、アメリカのバーチャル学校のリモート授業や地域と連携した特色ある教育活動を楽しみながら、情報化推進などで奮闘しています。
女性のからだのこと、子育てしながらの悩みなど、失敗談も含めて飾らずにつれづれを語っていけたらと思います。

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