「助けを求めてよい」ことを、学校文化としてどう育てるか ―『「生きる」教育で変わる未来』を読みながら考えたこと―
子どもが困ったときに、安心して助けを求められる学校とはどのような場所なのでしょうか。
本稿では、『「生きる」教育で変わる未来: 学校を子どもたちの「心の安全基地」に』を手がかりに、トラウマ理解に基づく授業実践や、養護教諭を含む全教職員で子どもを支える学校づくりの姿をたどります。
これまで連載で考えてきた「働き方」や「チームづくり」と重ねながら、「助けを求めてよい学校文化」を育むことの意味について考えてみます。
西宮市立総合教育センター 指導主事 羽渕 弘毅
『「生きる」教育で変わる未来』が示す心の安全基地としての学校像
これまでの連載では、教員一人ひとりの働き方から始まり、学び合う組織、日々の授業研究、そしてチームづくりについて考えてきました。いずれの回でも共通していたのは、子どもを中心に据えた対話があり、教師自身も学び手でいられる学校であることの大切さでした。
では、そうした学びや挑戦の前提となる「安心」は、学校の中でどのように保障されているのでしょうか。
今回取り上げたいのが、西岡加名恵氏(京都大学大学院教育学研究科教授)らによる『「生きる」教育で変わる未来:学校を子どもたちの「心の安全基地」に』です。
私自身が「『生きる』教育」という実践に出会ったのは、西岡氏から直接紹介を受けたことがきっかけでした。その後、NHKで放送された関連番組を通して、理念としてではなく、学校の中で実際にどのように授業として立ち上がっているのかを具体の姿として見る機会を得ました。
子どもたちの表情や教室の空気感を含めて知ることができたことは、この実践を捉える上で大きな意味を持っていたように思います。
本書で紹介されている大阪市立生野南小学校(現・田島南小中一貫校)の実践は、子どもたちが直面する人生上の困難やトラウマを、個人の問題として抱え込ませるのではなく、授業という学びの場に丁寧に位置づけてきた取り組みとして描かれています。
子どもたちの「荒れ」を、規律や指導技術の問題に回収するのではなく、「安全・安心とは何か」「人との関係の中で起こる暴力とは何か」といった問いとして扱っている点が、強く印象に残りました。
特に心に留まったのは、小学校1年生の段階から「虐待予防教育」が位置づけられている点です。
「安全」「安心」「清潔」とはどのような状態なのかを学び、「プライベートゾーン」に関する約束を確認するだけでなく、困ったときに相談できる人や場所を具体的に確かめていく。さらに、児童養護施設についても、子どもたちを守るための施設であると正面から教えられています。
振り返ってみると、学校教育はこれまで、こうしたテーマを「扱うには重い」「低学年には早い」と感じ、無意識のうちに距離を置いてきた面もあったのではないでしょうか。
養護教諭とチームで支える学校が育む「助けを求める力」
本書が示しているのは、問題が起きてから個別に対応するのではなく、トラウマが子どもに与える影響や、それを防ぎ、乗り越えるための視点を、学校全体で共有していくことの意味のように思われます。
第3章「養護教諭として、なぜ『「生きる」教育』に取り組む必要があったのか」(田中梓氏)で語られている視点も印象的でした。
養護教諭は、子どもたちの心身の不調やSOSに最も近い場所にいる存在です。その立場から、個別対応だけでは限界があること、そして授業という集団の学びの力を信じ、学校全体で子どもを支えていく必要性が語られています。
ここで扱われているのは、担任だけが背負う支援ではありません。
担任、養護教諭、管理職、スクールカウンセラーなどが、それぞれの専門性を生かしながら、共通の教育観をもって子どもに向き合う姿です。
「『生きる』教育」は、授業内容の工夫にとどまらず、学校づくりの柱として機能してきた実践なのだと受け取れました。
西岡氏が関わるプロジェクトでは、「受援力」、すなわち助けを求める力が、教育の目標として位置づけられています。
困難に直面したときに一人で抱え込まず、適切な人や制度につながることを、授業を通して学んでいく。この視点は、子どもたちに向けられたメッセージであると同時に、学校そのものへの問いでもあるように感じられます。
「助けを求めてよい学校文化」はどのように育まれるのか
NHKで紹介されていた子どもたちの姿や、本書に描かれた学校の様子は、決して特別な学校だけのものではないようにも思えました。
私が関わってきた学校現場にも、条件は異なりながらも、子どもが抱える困難や、それに向き合おうとする教師の姿は確かに存在しています。
その意味で、「『生きる』教育」は、遠い理想ではなく、それぞれの学校の文脈の中で考え続けていくことのできる実践なのだと感じています。
本書を読みながら、改めて考えさせられたのは、学校づくりの出発点は「安心」であり、それは授業や制度以前に、文化として育まれるものだということでした。
子どもが困ったときに助けを求めてよいと思える学校は、教師自身もまた、一人で抱え込まずに学び合える学校であるはずです。
誰かに委ねるのではなく、授業の力を信じ、立場や専門を越えて子どもを理解しようとする。その営みの積み重ねが、「助けを求めてよい学校文化」を形づくっていくのではないでしょうか。
これまで連載で考えてきた「働き方」や「チームづくり」、「教師が学び手でいられる学校」という問いも、行き着く先は同じ場所にあるように感じます。
学校を、子どもにとっても、大人にとっても、安心して立ち戻れる場所にできているか。
その問いを、これからも手放さずにいたいと思います。
参考資料

羽渕 弘毅(はぶち こうき)
西宮市立総合教育センター 指導主事
専門は英語教育学、学習評価、ICT活用。高等学校や小学校での勤務経験を経て、現職。これまで文部科学省指定の英語教育強化地域拠点事業での公開授業や全国での実践・研究発表を行っている。働きながらの大学院生活(関西大学大学院外国語教育学研究科博士課程前期)を終え、「これからの教育の在り方」を探求中。自称、教育界きってのオリックスファン。
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