『郷』 鹿児島の圧倒的な自然の中で、高校球児の挫折と再生への道を描く

映画は時代を映し出す鏡。時々の社会問題や教育課題がリアルに描かれた映画を観ると、思わず考え込み、共感し、胸を打たれてしまいます。ここでは、そうした上質で旬な映画をピックアップし、作品のテーマに迫っていきます。今回は、鹿児島県出身で北京電影学院監督学科卒の伊地知拓郎監督による初長編作品、『郷』ご紹介します。
厳しい上下関係の中で夢を追う若者

(C)郷2025
『郷』は不思議な映画だ。
展開するのは、もちろん想像で作られた物語なのだが、観ているとだんだん他人事に思えなくなってくる。いや、何か自分自身の物語というか、体験した出来事のように思えてきてしまうのだ。

(C)郷2025
映画の出発点は鹿児島にある高校。舞台となるのは軍隊のような規律に縛られ、上下関係がなかなか厳しい野球部だ。ここに、ただひたすら真っ直ぐ夢を追い続けている若者・岳がいる。野球が好きでうまくなりたくて、人一倍練習を積んで努力している岳。おかげで彼は1年生ながら頭角を表し、監督からも一目置かれる存在になる。状況だけ見ていれば、彼の未来は光り輝いているようにも思える。
しかしそこに影が忍び寄る。
それが同じ部活の上級生だ。人より抜きん出てくる者は、だいたい誰かのやっかみを買ってしまうものだが、岳の場合はこの上級生に目をつけられてしまう。必要以上に絡んでくる上級生。岳の存在が面白くないから、その上級生は何かと彼の行動にいちゃもんをつける。グローブや靴を磨いとけと命じ、磨き方が甘いと「なんだこれは?」と詰め寄る。水を飲む岳に「誰が(今)水を飲んでいいと言った?」と怒りを露わにする。そんな上級生に小声で「すいません」と応対するしかない岳。
最近は学校でも、こういった部活の厳しい上下関係はだいぶ改善されているとは聞く。今は「上下関係ありつつフラットな会話ができる関係」が増えているのだとか。これは運動部などで特にその傾向にあるそうだが、理由は気軽に話せる関係の方が試合などでのパフォーマンスが上がるという考えが根幹になっているらしい。
でも人のやっかみというものは、いくらフラットな関係を結んだとしても完全に消滅することはない。つまり何かがキッカケで、こういう争いの波は簡単に生まれてしまう可能性はあるのだ。
「言葉」が生んだ嫉妬と取り返しのつかない選択

(C)郷2025
その可能性を生むひとつの要因が「言葉」だ。
実際、岳をねたむ上級生が、より岳への嫉妬心を燃やすことになったのは監督の言葉にある。監督がその上級生の名を呼んで、1年生の岳がこんなに頑張っているのに、お前は何をしているんだという主旨の言葉をかけたのだ。おそらく監督は、上級生たちに喝を入れたくて岳を引き合いに出したのだろうが、そのやり方はあまりにも短絡的だったと言える。この監督の行為がもともと岳をいじめていた上級生の心の闇を、増大させてしまったからだ。
他にも同じように「言葉」が生き方に大きな影響を与えるシーンがある。それは岳が進路相談に臨み、「プロ野球の選手になりたい」という夢を書いて提出した時の教師の言葉だ。それこそ「本気か?」とか、こんな夢物語を語るなよ的な言葉を岳にかけたのだ。でも教師に夢をバカにされたことで、岳はより一念発起する。さらに練習を積み、絶対に見返してプロ野球選手になってやろうという意気込みが画面から伝わってくるのである。
だがそれがさらなる溝を上級生との間に作ることになり、その結果、岳はある行動を起こしてしまう。そして、自らの夢を閉ざすようなことをしてしまうのだ。
「Language Is a Virus」という80年代に活躍したローリー・アンダーソンの曲がある。言語がいかに私たちの思考や感情、行動を制御し、感染のように拡散していくかを皮肉に描いた歌だ。人は「言葉」によってものすごく左右される。
だからこそ、気を遣って話さないといけないということが、この映画を観ると戒めとして胸に迫ってくるのである。
自然の中で描かれる再生と人間の小ささ

(C)郷2025
そして映画はここから岳の再生への道を優しく見守っていく。どんなふうに彼が再生していくのかは、映画を見て確認していただきたい。だが、面白いのはその再生の過程で、たくさんの美しい鹿児島の自然美が登場することだ。圧倒的な自然の美しさに何か癒やされるような感覚になるとともに、言葉では言い表せない絶対的な大きな存在をも感じてしまう。それが神なのか、なんなのかは観ている自分でもよくはわからない。
夢を持つことは大切だが、同時に小さいことにこだわってもいけないというような気持ちにもなる。その感覚を表すかのように、岳が体験してきたことをすべて遠景から写した、いわゆるロングショットが展開するシーンがある。
軍隊的に縛られた部活も、いじめられたことも、いじめている人間たちも、圧倒的な自然の大きさから見たら、なんと小さいことか。というか人間の存在そのものが、人類よりもはるかに長く、その形を変えずにあり続ける海や土、空などに比べればあまりにもちっぽけだ。宇宙から見たら人間の一生なんてまばたきみたいなものだという気分にさせられる。
だとしたら、いがみあうことに何の意味があるのか。悩み苦しむことよりも、互いを許してプラス思考で生きるべきではないのか。いつの間にか、ピースフルな気分になっていく。それを台詞を極力排した状態で、主人公の気持ちを想像させ、監督が言いたいのであろうことを体感させていく。そこが、この作品のすごさであり、不思議さなのだ。大上段でテーマを構えるのではなく、じわじわと心に浸透させていくのがすごいのだ。
この映画を観て、生きることに疲れていた気持ちを立て直したとか、思わぬ感情の起爆剤となった人もいるかもしれない。それも、映画自体が持つ本質が成せる技なのだろう。考えるな。感じろ。こんな映画はたぶん、初めてな気がする。とにかく百聞は一見に如かず。どんな感情があなたに巻き起こるのか。ぜひ体験していただきたい。
- Movie Data
監督・脚本・編集・音楽・撮影:伊地知拓郎
プロデューサー‥キャスティング・衣装・美術:小川夏果
出演:泉澤祐希(語り)、小川夏果、古矢航之介、阿部隼也、千歳ふみほか
配給:マイウェイムービーズ/ボルトレ
全国順次公開中
(C)郷2025
www.goumovie.com
- Story
岳はプロ野球選手を目指している高校球児。怒号が飛び交うグラウンドで、毎日毎日しごかれ、軍隊のような規律に縛られつつ、過酷な部活で戦っていた。そんな岳に思いもよらない様々な人生の壁が…。担任教師や幼馴染らとの交流を通して、彼の心には生まれ育った鹿児島での様々な記憶が鮮明に甦っていく。そんな中で岳は何をつかみとっていくのか。
文:横森文
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横森 文(よこもり あや)
映画ライター&役者
中学生の頃から映画が大好きになり、休日はひたすら名画座に通い、2本立てなどで映画を見まくっていた。以来、どこかで映画に関わっていたいと思うようになり、いつの間にか映画ライターに。『スクリーン』、『DVD&ブルーレイでーた』、『キネマ旬報』など多数の雑誌に寄稿している。 一方で役者業にも手を染め、主に小劇場で活躍中。“トツゲキ倶楽部”という作・演出を兼ねるユニットを2006年からスタートさせた。
役者としては『Shall we ダンス?』、『スペーストラベラーズ』、『それでもボクはやってない』、『東京家族』等に出演。
2022年4月より、目黒学園で戯曲教室やライター講座を展開。
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