意味不明なタイトルですね。申し訳ありません。
外国語は難しい
職業柄?
性格として英語だけではなく様々な外国語に興味があります。
大学院での授業でも、色々な外国語に触れたり、留学生に言葉を教えてもらいました。
簡単な挨拶などすぐに使えそうなものを教えてもらって、「よし!使おう!」とすると、以下のようなことを痛感させられます。
・そもそも聞き取れない
・繰り返して発音できない
・数分後には忘れる
当たり前かもしれませんが、すぐには使えるようにはなりません。
外国語に興味はあるものの、あまりのできなさに留学生も苦笑いです…(笑)。
学校教育では?
では、学校教育に置き換えて考えてみましょう。
指導者がこのような考えをもっていないでしょうか?
・これだけ「教えた」から子どもたちはできる(使える)だろう
・「教えた」のに、学ばないのは本人に原因がある
使える(話せる)ようにするためには、どのようなことが必要なのでしょうか。
「教える」からの脱却!?
「教える」という言葉には、良くも悪くもすごく大きな力を感じてしまいます。例えば、指導者が「これを教えよう!」と意図し、熱く教えても、子どもたちには響かない(学びたいと思っていない)ことが多々あります。
そこで、指導者が「使いながら学ぶ」という意識を大切にして欲しいと考えています。
「教える」という意識を少し弱めて、授業の中で意図的に使わないといけない状況や場面を入れて、サポート役に回ってみませんか?
(もちろん楽しさや使う必然性も必要ですが…)
Learning by doing
Learning-through doing
こんな言葉をよく耳にしませんか?
よく耳にするものの、「使いながら学ぶ」とはどういうことなのでしょうか。
言語活動
外国語活動や外国語科の授業では「実際に英語を使って自分の考えや気持ちを伝え合う」言語活動が重視されています。
『小学校外国語教育の指導と評価』直山木綿子(監修)では、言語活動を漆塗りに例えています。
従来の日本における外国語教育では、文法事項を丁寧に教わって(教えて)、ある程度理解してから使うことが一般的でした。
しかし、外国語を完璧に理解することは非常に難しいです。
そこで、言語活動の中でターゲットとする表現や語彙を使いながら、正確性や流暢性を徐々に高めることを目指してみませんか?
徐々に
はじめはうまくいくことがありません。
「徐々に」というのがポイントです。
授業の中で「中間評価」や「中間指導」を入れながら、子どもたちの使用をサポートしてほしいと思います。
そして単元末では、使えるようになっていることを目指しましょう。
まとめ
「どう教える」ではなく、「使用を促すような場面を設定し、どうサポートするか」が指導者の大きな役割になっています。
おすすめの本
『「その他の外国文学」の翻訳者』白水社編集部 編
日本では馴染みの薄い言語による文学について翻訳者が熱く語っています。
羽渕 弘毅(はぶち こうき)
兵庫県西宮市立甲陽園小学校 教諭
専門は英語教育学(小学校)、学習評価、ICT活用。 広島大学教育学部を卒業後、高等学校での勤務経験を経て、現職。 これまで文部科学省指定の英語教育強化地域拠点事業での公開授業や全国での実践・研究発表を行っている。 働きながらの大学院生活(関西大学大学院外国語教育学研究科修士課程)を終え、「これからの教育の在り方」を探求中。 自称、教育界きってのオリックスファン。
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