2021.07.01
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我が師の恩(1)

「仰げば尊し」が卒業式で歌われなくなって久しいですが、私の世代にとっては「卒業式の唄=仰げば尊し」というくらい定番の曲でした。小学校の卒業式で歌って以来、私にとってはとても心に残っている曲で、あまりに好きすぎて中学1年生の時の合唱コンクールで「仰げば尊し」を歌おうと提案してクラスメイトに即座に却下されたほどでした。合唱コンクールで唄おうだなんて、きっと当時の私は歌詞の意味を理解していなかったのでしょう。
そんな「仰げば尊し」の中にある「我が師の恩」という言葉とぴったりと結びつく、3人の先生について、今回から紹介していきたいと思います。

尼崎市立立花南小学校 主幹教諭 山川 和宏

日本史のS先生

S先生とのやりとりノート

私が今も大切にしているノートがあります。それは、高校生の時の日本史のノートです。
当時私たちの学校で日本史を教えてくださっていたS先生の授業は、大変刺激的でした。年号や重要語句の暗記などを求めることなく、まるで大河ドラマのように、日本史に登場する人物を生き生きと描写し、滔々と話して聞かせてくれるのです。

それまで、映画や小説の世界で描かれる歴史には興味を持っていても、学校の授業としての歴史はどちらかというとつまらなく感じていました。しかし、S先生の日本史の授業は、とても面白く、あっという間に夢中にさせられました。
S先生は、週2コマの日本史の授業のうちの1コマを旧石器時代から古代・中世・近世へ、もう1コマを幕末から近現代へというように2つに分けて、同時並行で授業をしてくださいました。

どちらの授業も興味深かったのですが、特に幕末から明治時代にかけての授業は、幕末・維新の志士たちをはじめ、たくさんの魅力的な人物がいて、その活躍をまるで見てきたかのように話すS先生の語り口に引き込まれました。
S先生は、幕末の人物の中で、徳川慶喜を大変評価しておられました。「15代様の聡明さが日本を救ったンだ」とよく語っていました。それまでの私は、大政を投げ出したひ弱な将軍というイメージしか持っていなかったので、目から鱗が落ちる思いで話を聞いていました。

また、S先生は、毎回の授業の内容について私たちに感想を書かせて、次の授業の時にノートを集めておられました。私は、そのノートにいつもびっしりと感想を書いていました。時には先生の話の中で疑問に思ったことを質問しました。すると、いつも丁寧にお返事を書いてくださっていました。S先生は、大変博識であるだけでなく、最新の研究成果についてもよく学んでおられて、自分がどんな質問をしてもいつもきっちりと答えてくださいました。

私の方も、自然とたくさん本を読んで歴史の勉強をするようになり、時には人物論を書いて先生に読んでもらうこともありました。吉田松陰について書いたことを先生に認めてもらった時はとてもうれしかったのを今でも憶えています。
自分でいろいろと調べてみると、時にはS先生とは違う考えを持つこともありました。その時には、ノートの中でいろいろと議論するようになりました。歴史のことだけでなく、これからの日本が進むべき道や、世界の在り方についても議論しました。

生意気盛りの高校生だった自分は、ずいぶんと激しいことを書いたこともありました。それに対しても、時には優しく、時には毅然とお返事をくださったS先生には、今も感謝の気持ちしかありません。
そのやり取りが残っているノートは、私にとって宝物です。

そして、今。

その後、私は日本史学の研究を志し、大学・大学院で日本史を学びました。そして、今、小学校で歴史を教えています。

小学校の歴史の学習は、それぞれの時代について知識のよりどころとなる基点をつくっていくことだと云われています。その上で、点と点をつなげて線にしたり、ある出来事について学んだ時に別の見方をしてみたりすると、ますます歴史の面白さを感じることができると思います。

子どもたちが一人でも歴史のことを大好きになってくれるよう、私自身もS先生のように精進していきたいと考えています。

山川 和宏(やまかわ かずひろ)

尼崎市立立花南小学校 主幹教諭
富良野塾15期生。青年海外協力隊平成20年度1次隊(ミクロネシア連邦)。
テレビ番組制作の仕事を経て、小学校教師になりました。以来、子どもたちと演劇を制作し、年に2回ほど発表会を行っています。

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