2024.08.12
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「オリンピックを目指せ」「子どもの可能性は無限大」......なんていいかげんなことを言わないで!

今年(2024)はオリンピックイヤー。スポーツに勤しむ子に、大人たちは無責任に「オリンピックを目指せ!」なんて声かけをしがち。ううん、それだけじゃない。日常のいたるところで、子どもたちは、同じような期待を背負わされている。

東京都内公立学校教諭 林 真未

ほとんどの子どもは、絶対オリンピックに出られない

ほとんどの子どもがオリンピックに出られないことは、生まれたときから決まっている。

それは、
ほとんどの子どもが、ミュージシャンになれないこと、ほとんどの子どもが医者や弁護士になれないこと、ほとんどの子どもが起業で大成功できないこと、ほとんどの子どもが…(きりがないからやめておこう)と同じように、残酷な真実だ。

だけど、
大人たちは言う。
「がんばれば、将来オリンピックだって夢じゃない」
私も、長いこと、この言葉を信じてきた。
でも、
誰だって薄々気づいているはずだ。なんらかの競技で極限まで努力してきた経験のある人なら、特に。

ほとんどの子どもはオリンピックには出られない。

オリンピックに出るには、生まれつきの才能が必要だ。
その上、極限の努力ができる精神力も必要。
そして、怪我をしない、師に恵まれる、タイミングが合う、などの様々な運も必要。
それらすべてを持って生まれてきた子のなかから、さらに選ばれて出場が果たされる。

「才能がなくても、それを努力で補ってオリンピック出場を果たした人もいる」
そんな反論があるかもしれない。
もちろん、それはゼロじゃないと思う。
でも、「努力できる才能」すら、生まれつきの要素が大きいと聞いた。
教育の現場にいる人なら、なんとなく、このことは了解できるのではないだろうか。

努力は人を裏切らない。どんな努力も無駄ではない。

柔道のパリオリンピック金メダリスト・阿部一二三氏がインタビューに答えて語っていた。
「どんな努力も無駄ではない」

人々はこれを聞いて、
「努力をしたから金メダルに結びついた」と理解するかもしれない。
けれど、メダルに至らなかった人たちも、オリンピック出場が果たせなかった人たちも、彼と同じように、真似のできない努力を重ねてきたはず。
努力を結果に結びつけると、彼の発言が矮小化されるように感じる。

「オリンピック出場!」
「メダル獲得!」

この国では、
誰もが羨むきらびやかな結果だけが、極端に重要視されているように思う。

メダルを取ったかどうか、
オリンピックに出場したかどうか、
に関わらず、
そのレベルまで到達した選手たちは、全員ひっくるめてものすごい人たちで、だから、全員もっと称賛されるべきだと常々思っている。

努力は人を裏切らない。
どんな努力も無駄ではない。

この言説を結果に結びつけたら陳腐になる。

私は阿部氏はそんな意味で言ってないと信じる。
彼は努力そのものの価値を伝えたかったんだと思う。

教育においても、
私達が子どもに伝えたいのは、
努力は、自分の中の果実としてしっかり残るよ、ということ。

もちろん、類まれなる才能を持ち合わせていたなら、オリンピックでもなんでも目指せばいい。
きっとその才能は、宿命だから。

けれどそれだけが努力の意味じゃない。
なにかしらの努力をして身につけたものは、その子の後半生を愉しくしてくれる。
それで充分なんだ。

結果を目指す経過としてではなく、
そういう意味で、この言葉を使いたい。

努力ができない子はダメなのか

自分を律して努力をできる精神力も、生まれつきの部分が大きいという。

このことを了解していなければ、子どもの意欲や意志のみで努力がコントロールできると考え、クラスの子どもたちを一列に並べ、この子は努力した、この子は努力しない、とジャッジすることに繋がってしまう。

「個別最適化」っていうけど、そこまで考えてやるべきだと思ってる。
つまり、努力を強いることがすべての子どもにふさわしいわけではない、と考えるべきだと。

努力の価値や意義は伝えたとしても
努力しないという選択肢もある。これぞ多様性。

結果の価値も、
努力の価値も、
もちろん大いに認めたい。

でも
同じように
結果も努力もなかったとしても、
持って生まれたもののなかで生きていくことも認められていいと思うのだ。

「子どもの可能性は無限大」の大罪

なんらかの才能を持っているというのは、稀なこと。
IQの数値も生まれつき。

こう言うと、「そんな身もふたもないことを」と嫌がられてしまうけれど、
これは残酷な真実。

ほとんどの子どもは(大人も)、そんなもの持っていない。

だけど、
抜きんでた才能や、賢い頭脳を持っていないことの、どこが悪いんだ。

できること、すごいこと が、価値を持ち過ぎているから、
それが可能な少しの人たちが称賛され、
それが至らない大勢の人たちがうっすら劣等感を持つ。

この状況が放置されていることをなんとかしたくて、今、耳障りの悪いことを書いている。

素晴らしい成果を称賛しないわけじゃない。
子どもの可能性を否定しているわけじゃない。

だけど、
そこに価値を置きすぎると、結果を出せない人や、結果を出すことを途中であきらめた人が、うっすら不幸になる。
可能性を期待され過ぎた子どもがしんどくなる。
結果を出さない人生は、その人の落ち度じゃない。結果を出すことだけが人生じゃない。
大事なのは幸せに生きること。
持っている力で、それぞれが、その人なりに生きて幸せになることを、教育は目指すべきなんだ。

そう思っているから、
今の、できること、すごいこと、結果を出すこと だけが極端に評価される空気の中で、「可能性」という言葉を使われてしまうと、それは、私には「結果を出す可能性」と同義に聞こえてしまって、皆それぞれ条件を持って生まれてきているのだから、無責任なことを言わないで、と腹立たしくなってしまう。

だから
「オリンピックを目指せ!」とか「子どもには無限の可能性がある」なんていい加減なことを言わないで、

というお話でした。




                                      わかってもらえる人は少ないかも。
               そんな素朴な発言に目くじら立てて、いちゃもんつけてくるなって言われちゃうかな。

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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