2020.08.11
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北の国から南の島へ(1)

極寒の北海道富良野で2年間を過ごした私が次に選んだ挑戦の場は、太平洋に浮かぶ常夏の島、ヤップ島でした。青年海外協力隊として派遣されることになったのです。今回は、ミクロネシア連邦のヤップ島の教育事情について、ご紹介します。

尼崎市立立花南小学校 主幹教諭 山川 和宏

【ミクロネシア連邦って?】

私が教えていたヤップ島の中学校です.4学年で150名ほどが通っていました。

ミクロネシア連邦は、太平洋に浮かぶ607の島々から成る連邦国家です。それらの島々が、コスラエ州・ポンペイ州・チューク州・ヤップ州の4つの州に分かれています。

私が派遣されたのは、ヤップ島。ストーンマネーの島として有名な島です。
ヤップ島の人たちが話す言語は、ヤップ語。ただし、ヤップ島以外の島から来ている人もたくさんいて、その人たちはそれぞれの島の言語を話すので、公用語として英語が使われていました。
私が教えていた中学校でも、普段の授業は英語で行われていました。

中学校といっても、日本でいうと、小学5年生から中学2年生が通う学校です。そこで、算数と体育を教えていました。
ミクロネシア連邦は、アメリカ合衆国の援助を受けて財政が成り立っている国ということもあり、学校で使われている教科書は全てアメリカのものです。算数の教科書は、まるで百科事典なみの分厚さのもの。もちろん、英語で書かれています。ヤップ島の子どもたちにとっては、母国語ではない言語で学ぶということが大きなハードルの一つになっていたように感じました。それに加えて、教科書の内容が島の子どもたちの暮らしとかけ離れているために、より理解を難しくしているように思いました。
そこで、できるだけ島での暮らしに近づけるような教材を開発したり、授業の進め方を工夫したりということを念頭に活動していました。

【ヤップ島の学校】

ストーンマネーは、島で今も使われているお金です。

ヤップ島での活動を通して特に強く感じたことは、2つです。

1つは、ヤップ島に比べると日本の学校の方が、環境的にも技術的にも遥かに優れた教育を行っているということ。

そして、もう1つは、それにもかかわらず、ヤップ島の子どもたちの方が日本の子どもたちより幸せそうだということです。
例えば。授業の風景ひとつをとってみても、姿勢を正して、下敷きをひいて、黒板に書かれたことを丁寧にノートにとる……といった学習規律を重視する日本の学校に比べると、ヤップ島の学校は自由です。教室の中に野良犬が入りこんだり、寝転んで授業を受ける子がいたり。ノートや鉛筆などの学習道具も満足にそろっているわけではありません。だけど、勉強することを楽しんでいます。


また、下校時刻に突然の大雨が降り出したとします。日本の子どもたちだと、塾に間に合わなくなるからと言って、大雨の中でも急いで帰ります。ところが、ヤップ島の子どもたちは、雨がやむまでのんびり待ちます。そして、雨上がりの虹が出た頃にのんびりと帰るのです。
もちろん、日本の子どもたちにもヤップ島の子どもたちにもいろいろな子どもがいるので、一概には言えませんが、日本の子どもたちの方がゆとりが少ないということは確実に言えると思います。

雨季には毎日のようにスコールが降りますが、雨上がりに見える虹は最高にきれいです。

正直にいうと、初めは日本の優れた教育技術を教えに行ったつもりでした。しかし、むしろ自分の方が島の子どもたちから、生きる上で本当に大切にしないといけないことは何なのかを教えてもらっていたように思います。
日本で行われている優れた教育の中にあって見落としてしまいがちになっているものの中にこそ、本当に大切にしないといけないものがあるということを学んだ2年間でした。

山川 和宏(やまかわ かずひろ)

尼崎市立立花南小学校 主幹教諭
富良野塾15期生。青年海外協力隊平成20年度1次隊(ミクロネシア連邦)。
テレビ番組制作の仕事を経て、小学校教師になりました。以来、子どもたちと演劇を制作し、年に2回ほど発表会を行っています。

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