2020.02.28
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学校は砦 家族支援@学校

「学校」というリソースは、教師たちがそういう意識で仕事をすれば、子どもたちの、さまざまなネガティブな結果を未然に予防する、たいせつな砦。
どういうことかと言いますと......。

東京都内公立学校教諭 林 真未

撮影 kkas_09

家族支援が必要だ!

映画『プリズンサークル』 を見てきました。刑務所内の更生プログラムを、2年間追い続けたドキュメンタリーです。加害者の少年たちは、一様に、家庭内での虐待や学校でのいじめ経験を持っていました。

奈良少年刑務所(現在は閉鎖)の受刑少年たちの詩に曲をつけて歌い続けている、シンガーソングライターの逢坂泰清さん。彼も、詩集「空が青いから白を選んだのです」(寮美千子編 新潮文庫)に出会って、罪を犯す人たちは、それ以前に酷い経験をしていること、そして純粋な心を内包していることを知ったと言います(『くも』は名曲です!)。

私は、1989年に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を知ってからずっと30年余り、こんなことが二度と起きないようにするため、いったい私に何ができるのだろうと考え続けています。

そして、イギリスの教育家・A.S.ニイルの「幸せな人は罪を犯さない」という言葉を頼りに、幸せな人は幸せな家族に育まれる。だから私は、家族が幸せに暮らせる応援をすればいいのでは……」と想い続けてきました。

ここにきて、映画や歌の世界の人たちから、「それは間違っていないよ」と背中を押された気持ちでいます。これらの芸術に触れて、「日本には、やっぱり、もっともっと家族支援が必要だ」と再度痛感しました。

そして、家族支援が乏しい今の日本で、学校は、しんどい子ども、しんどい家族を見つけるための最後の砦。

公立小・中学校。

そこは、私立や国立に行く少数者を除いて、地域の子どもたちが残らず集まるところ。そこそこやれている家庭の子がマジョリティではありますが、ネグレクト、DV、家庭不和、貧困、そんなハイリスク家庭の子どもも、必ず「学校」には来ます。

不登校の子も学校に籍はあるし、無戸籍だったとしても、目の前に子どもがいたら、学校は受け入れると思います。学校ってそういうところですよね。

医療や社会教育や、もしかしたら福祉も、その当事者である家族メンバーの誰かが「行こう」と思わなければ、ハイリスク家庭と出会うことは難しい。熱心な関係者が、全戸訪問や十二分な地域の把握を実践しなければ、待っていても出会えません。

その点、小学校は、6歳になった子どもさえいれば、あらゆる子育て家族が集まります。だから、ここにいれば、地域のあらゆる家族に出会うことができるのです。

ここで、家族の中に潜むリスクの多寡を見抜いて、ハイリスク家庭に対して未然に予防的対策を十分にとることができれば、
 
世の中の不幸は激減するのではないか。家族を幸せにする手助けができるのではないか。

と、いつも夢想しています。

教師は家族支援者ではないけれど……

けれど、大多数の先生方にとって、関心事は、専門は、子どもの健やかな成長であって、家族を立て直すことではありません。
教師は、児童の教科指導、生活指導のプロフェッショナルであって、家族支援者ではないのですから。

「だからスクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーがいるんでしょう?」

本当にそうでしょうか。

スクールカウンセラー、あるいはスクールソーシャルワーカーがいれば、家庭の困りごとは解消するのでしょうか。週1回・9時~17時の就業時間で、何校もの掛け持ちで、充分なアウトプットが得られるわけがありません。

そもそも、「カウンセラー」は心理的危機に陥った後の対処者であって、予防的支援の専門家ではないですし。社会福祉士の資格はあっても本来的なソーシャルワークができる人材は少ない、と社会福祉士の友人も言います。

「他の家族支援リソースに繋げればいいのでは?」

学校と家族支援を結ぶ絆も、まだまだ、たいてい糸のように細いです。そして、なおも悲しいことに、糸が繋いだ先の家族支援リソースが、十分に機能する保証は全くありません。この国の家族支援はまだまだ、乏しすぎるくらい乏しいのです。そして、地域格差も想像以上に大きい。

肩書とか、役割とか、専門性とかそんなものはどうでもいい。とにかく、ずっと寄り添うニンゲンがいること。しんどい状況では、それがまず必要。

結局、今の日本のシステムの中で、一番身近で毎日親子と向き合っているのは「先生」や「保育士」です。本来、家族支援は専門外であっても、直面したらなんとかするしかありません。

そこで、多くの先生たちは、それぞれがそれぞれのやり方で、親子と向き合っています。

ある人は支援的に、
ある人は指導的に、
ある人は寄り添うように、
ある人は距離を置いて、
ある人は批判的に……。

テレビドラマの熱血先生が驚くほど、献身的な支援をしている先生方は口をそろえて言います。
「クラスに困っている子がいたから、やるしかなかった……」

いじめが遺す禍根

プリズンサークルの受刑者たちは、学校でも、いじめの対象になった経験を持ちます。いじめの被害者がどうして犯罪加害者に至るのでしょうか。きっと、自分の痛みに鈍感になることで、それをやり過ごしているうちに、だんだん人の痛みにも鈍感になってしまうからなのでしょう……。

いじめを防ぐことは、犯罪者を生まないことにも繋がる。そう考えると、いじめの芽を摘むことの大切さも痛感されます。

いじめは絶対ダメ。

みんながそう痛感しているのに、いじめ事件は、世間を繰り返し騒がせます。

そしてその度「先生はどうして見抜けなかったんだ?」とSNSやメディアでたくさんの人が言います。

そうはいっても、子どもたちは、いじめている方もいじめられている方も、全力でその事実を大人から隠そうとしているのです。

まだ、小学校のほうが、大人の介入がしやすいかもしれません。担任が毎日べったり一緒にいるわけではない中学校で、しかも年齢的に複雑な意識や感情が芽生える発達段階の、彼らの一部始終を完璧に把握することは、実は、ものすごく難しいことなのだと思います。

だから、あんまり先生バッシングが酷いと、「そう言うなら、あなたがやってみてください」と、つい悪態をつきたくなります。「スマホに文字を打たないで、直接中学校に来て、いじめを見つけるのを手伝ってください」と。

つい筆が滑りましたが、とはいえ実態は、「なんと言われようと、あまり学校に素人がはいってほしくない」というのが、学校の本音かもしれません。

私も、学校に入りたくてたまらない素人でしたから、学校の見えない壁を切なく思っていたのですが、実際に教師になって、学校の気持ちがわかるようになりました。

いじめは、一律に考えることはできません。その個々の状況によって、いろいろな様相を持っています。だから、個々のケースに応じて経験やセンスを駆使して対処する必要があります。今は個人情報の問題もある。そんな中で、どんな人物なのか未知数の外部のボランティアの方を広く受け入れることは、新たな問題を生む危険があると経験上警戒している。そんな感じだと思います。

けれど本来的には、子ども時代のいじめ経験は、犯罪を生むだけでなく、本当に一生の苦しみになることも少なくないから、教師だけでなく、たくさんの人の力を合わせて、「いじめをなくす」という難しい仕事に挑み続けなければならないと思います。

家族支援@学校

いろいろ考えてきましたが、ほんとうは、家族の問題も、いじめも、なにも起きないことが一番いい。だから、「起きない」を起こす予防的支援が最重要。
私は、そう考えているので、これからも、この”砦”で、家族支援・とくに予防的支援のノウハウと、学校における家族支援について、伝え続けていきたいと思っています。

一緒に頑張っていきましょう。


参考資料

林 真未(はやし まみ)

東京都内公立学校教諭
カナダライアソン大学認定ファミリーライフエデュケーター(家族支援職)
特定非営利活動法人手をつなご(子育て支援NPO)理事


家族(子育て)支援者と小学校教員をしています。両方の世界を知る身として、家族は学校を、学校は家族を、もっと理解しあえたらいい、と日々痛感しています。
著書『困ったらここへおいでよ。日常生活支援サポートハウスの奇跡』(東京シューレ出版)
『子どものやる気をどんどん引き出す!低学年担任のためのマジックフレーズ』(明治図書出版)
ブログ「家族支援と子育て支援」:https://flejapan.com/

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