2019.10.31
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北の大地のはしっこで考えたこと

仕事で根室の方に行ってきました。
北海道に住みついて9年になります。まだまだ訪れたことのない土地がたくさんありますが、この北方領土にほど近い、道東の端っこを拝んだのも初めてでした。

札幌大学地域共創学群日本語・日本文化専攻 教授 荒木 奈美

高速道路で行けるところまで行って、後はひたすら東に向かって突き進む。札幌から車ならおよそ5時間半。公共の交通機関だと電車とバスを乗り継いで7時間は下らない。ここは北海道の東の最果て。
道中車窓に映るのは、人間よりも牛、馬、そして鶴。
外を歩けば風の音がちゃんと聞こえてくる。自然がむき出しになっている。
しばし時間を忘れ、ここがいつの時代のどこなのか、わからなくなるーー

こういう中に身をおいていると、人間が「主体的に生きる」とはどういうことかを考えつづけている自分が、本当に愚かしく思えてくる。そんなオコガマシイことを! 
世界の主体は自然にある。人間はその一部に過ぎないのだから、本当は最初から主体的な存在などではありえない。風がそよいだら一緒にざわめき、気持ちのよい太陽のエネルギーを感じられたら自信をもって活動する。そのようにして、周囲の環境に合わせて無理なく生きていくのが、「主体的に活動する」ということの意味なのかもしれない。

だから私は「体験から学ぶ」ことを大事にしつづけてきた。
体験の中でえられるワクワクを感じることが先。
その中で「もっとこのことを調べたい、学びたい」と思えたら、きっとその人は主体的に学びはじめると思うから。そしてこれこそが「学びの原点」なのではないか。

荒木 奈美(あらき なみ)

札幌大学地域共創学群日本語・日本文化専攻 教授
高校で12年間、大学で8年半、たくさんの高校生や大学生と主に文学作品を通じて関わってきました。自分の好きな漫画やアニメやゲーム、アーティストについて語るとき、彼らは本当に顔を輝かせて熱心に語ってくれます。自分の「好き」を極めたいと思うことは学びの原点。高校生や大学生の「学ぶ意欲」を引き出すために私たち教師ができることは何だろう。「主体的に学ぶ」学習者を育てるための教育のあり方について、今日も実践を通じて、探究を続けています。

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